俳句随想

髙尾秀四郎

第 98 回  同人・安田孝氏の俳句

俳諧の道ほろ苦しビール乾す  孝

冒頭の句は同人の安田孝さんが2013年の7・8月号に寄稿された句です。

本年1月末に安田孝さんの奥様の安田あや子様からお便りが届き、安田孝さんが昨年の12月5日に永眠されたとのお知らせをいただきました。奥様から伺ったところでは、亡くなる少し前には病室に病院の同僚が集まり、大いに笑い、また泣いて、大変賑やかであったそうです。孝さんにとってはきっと楽しく心躍る時間であったのでしょう。亡くなる前まで孝さんの病室にはあした誌が置かれていたとのこと。お便りにはご厚志も添えられていました。

孝さんのお生まれは東京の板橋で、昭和21年(1946年)9月生まれですので、戦後生まれということになります。東京の麻布高校から北海道大学医学部に進み、医師となられてからは函館で研修医となり、やがて東京の三井記念病院産婦人科に勤務され、定年後も同病院の健診センターで勤務を続けられたようです。趣味の俳句は奥様から勧められて始められたとのことです。

この奥様からのお便りをいただいた後、自分に何ができるかと考え、「俳句随想」で孝さんの俳句と人となりを取り上げようと思い付きました。それから俳句同人誌あしたの創刊以来の同人作品を一覧にまとめ、併せて寄稿のあった「ミニエッセイ」や「珈琲待夢」、「私の一句」などを読み直し、この稿に結び付けました。

孝さんの同人作品を一覧にしたところ、総数が758句。内お酒に関わる句が143句で約2割、最後のご寄稿は2023年9・10月号でした。

孝さんは大学受験の浪人中に友人と大晦日に観た映画「飢餓海峡」で青函連絡船と出会い、翌年の3月に北大受験でその青函連絡船に乗って函館へ渡り、北大入学後は酒と柔道部で4年間、その後の4年間は医学を学んで、病院での実習に二夏を函館で過ごしたとミニエッセイ「愛惜の青函連絡船」に書かれています。この函館の病院での研修医を終えた孝さんはその後、東京の三井記念病院に勤務されますが、そのきっかけもまたお酒であったようです。面接官の婦人科部長が面接の最後に「ところで君、酒は?」と聞かれ「はい、升々」と答えると、「良し」と言われて採用が決まったとか。こうして勤務がスタートした三井記念病院は、孝さんにとって勤務場所に留まらず、ご尊父、ご母堂、長兄、次兄の最後を看取る病院(または関連する養護施設)にもなっており、妹さんはこの病院にて出産をされたという家族ぐるみでのご縁の深い病院になったようです。しかし病院勤務は激務と共にストレスも大きかったようです。病院のそばには河豚の名店「とんぼ」があり、その店の大将とは義兄弟の盃を交わした仲とか。そのことについて2019年5・6月号の「私の一句」で、『病院のそばの清洲橋通りを越した浅草橋の路地裏にあり、池波正太郎が言う小体で粋な店がある。その大将がカウンター越しに河豚を捌く姿は静謐で河豚をいつくしみ、全神経を指先に集中させる。時が透明になるような値千金の瞬間である。』として、次の句を詠まれています。

捌きつつ板前河豚を愛すなり   孝

そして『一方、私の病院勤務は辛いことの連続、なかでも五十過ぎての凡そ十年にわたる医療裁判はあまりにも過酷、筆舌に尽くせぬ非情、医療裁判に勝者も敗者もない。そんな私を支えてくれたのは女房の無言の励まし、そして「とんぼ」の大きな赤提灯』であったと結ばれていました。

孝さんは東京に戻られてから江東区に居を構えられています。その江東区は『江東区はかつては夜間の人通りがなく恐いところであったが近年は高層ビルやマンョン群が立ち並び変貌を遂げ』、そこを『夫婦の終の住処として気に入っている。しかも職場に加え芭蕉記念館、有楽町線界隈の居酒屋、夫婦で納骨を考えている納骨堂のある築地本願寺、銀座ライオンや門前仲町の「花菱」の女将は人生劇場の飛車角をかくまった砂町の親分の孫娘』と、孝さんにとっては地縁人縁に恵まれた場所であると書かれています。

その後、心筋梗塞と脳梗塞が足に及んで、末梢動脈閉塞症となって歩行がままならなくなった頃に杖を使われるようになり、やがて『杖の助けで晴海通りを渡りきることが困難となって、電動車椅子を購入。大地を歩く感覚がさらに遠のく。大きな変化は目線が幼児の高さに。これが一番嬉しく新鮮な驚き。かつて酒場で車椅子の方をみかけたのは1名だけ。相性の良い店を探し、車椅子での酒場放浪を近所で楽しみたい。』と車椅子でも酒場に出かける気概を持ち続けておられました。

そんな孝さんにとって俳人でもある吉田類氏のTV番組「酒場放浪記」を奥様の手料理を肴に飲むのが極上の楽しみであったとか。『吉田類の行く酒場は高級な店ではなく、路地裏の池波正太郎の描くような市井の人たちがゆく店。外で飲む機会がめっきり減った自分には居ながらにして酒場という聖地の雰囲気の中で飲める。』と書かれていました。

さて孝さんの俳句です。全体の2割が酒の句で占められていますが、孝さんとお酒の関係は意外と遅く、北大柔道部の新入生歓迎コンパからだそうで、そんな酒にまつわる句も含めて15句を選ばせていただきました。選ばせていただいた後に季節別に分け春の句から順に並べております。

精の限りふらここを漕ぐ日のありし

血痕のガーゼの染みや残る雪

青春の蹉跌癒しぬ雪解道

人の世は仮の宿なり猫さかる

ビアホールジョッキに透かす万華鏡

炎昼を漂流したる屍見し

白靴や吾が青春の衒いとも

青春はときに醜し羽抜鳥

濁り酒酸いも甘いもうべなえり

山椒の実爆け余命の揺れいたり

散々に生きて悔いなし新豆腐

河豚雑炊父の流儀をかたくなに

冬麗に天女のごとく母逝きぬ

推敲のかなわぬ齢初鏡

凍蝶やベッドに句集遺すのみ

 今回の稿は、奥様からのお便りの引用の他、ほとんどは「俳句同人誌あした」に孝さんが書かれたものを拾ったものです。つまり孝さんは「俳句同人誌あした」の中に生きておられるということに他なりません。持病に苦しみながらもご寄稿いただいたことへのお礼と共に、孝さんに心からのご冥福をお祈り申し上げます。そして孝さんがお亡くなりになった昨年の年末に思いを馳せて一句を捧げさせていただきます。

酒愛すドクター去りし年の空   秀四郎