ミニエッセイ  -思ううがまま-

南極の消印

白根 順子

日本の最も南に位置する郵便局は南極の昭和基地内で、正確には銀座郵便局の「昭和基地内分室」になるそうだ。日本からは南極観測船「しらせ」が毎年、観測隊員や支援物資とともに郵便物を届けている。昭和基地の分室はその窓口ということで、その郵便料金は国内と同額であると知った。

「しらせ」は昨年の十月中旬に日本を発ち、約五か月後に戻ってくる。南極の消印が押された手紙が季節を越え届く仕組みという。早速トライした。未来の自分への思いを書き、銀座郵便局「昭和基地内―郵便担当係」に速達で依頼した。南極観測船「しらせ」の帰港をいま心待ちにしている。

須賀 経子

桜の季節は最も心躍る季節である。寒さから身も心も解き放され卒業入学入社等々希望に胸ふくらませる時である。

桜は中国大陸やヒマラヤにも数種あるが日本に最も種類が多く美しいので親しまれ愛好され国花にもなったとある。初めて花見を体験したのは『夜の森』の桜。広い道路の両側に太く見応えある並木のトンネルに集う人達の満足な笑顔が溢れていた。

震災から十一年目を迎えた今年のテレビニュースに一瞬見た、あの「夜の森」の桜。老木が黒いロープで繋がれまだ禁止区域であることを表示していた。春に花が咲く勢があるだろうか。老木でも樹形は当時のままであった。

初めての句会

菅谷ユキエ

迷いながら会場に着いた時には席題の出句締切りが迫っていました。席題は「陽炎」と「彼岸」のようです。安堵する間もなく、右往左往の雰囲気にのまれ頭は真白です。

凡婦なり陽炎ほどの温さもち

その頃の偽わらざる心境が思わず口を衝いて出たのでした。

どんな風に句会が進められたか思い出せません。私の句が高点句に選ばれたらしいのです。宇咲先生からも好評をいただけたように思いました。

夢中で過ごした句会でしたが、今はこの句は実感としての強味はあるものの、俳句としては詩情に欠けていると反省しています。

メモ帳

高尾秀四郎

日記はパソコンに、俳句は携帯電話に入力していますが、予定表とメモ帳だけは手書きにしています。先日そのメモ帳がいっぱいになったため新たなものに替えました。メモ帳はオモテ表紙の方から順にメモを書き込み、裏表紙からは、現時点でやるべきことを書き込みます。そして実施済になれば棒線で消すという作業をしています。新しいメモ帳には前のメモ帳で消していない、やるべきで出来ていなかった事項が残っていて、それを新たなメモ帳に転記します。その中には令和5年からのものもあって、書き込んだ当時を思い出しながら、溜め息交じりに書き込みつつ自分の弱さ、優柔不断さを反省したものでした。

再利用

高橋たかえ

公民館修復工事の為、長年通っているヨガの教室が近くの熊谷直実に縁のある法恩寺をお借りする事となった。寺院はヨガ発祥のインドのアシュラムの様なお役目を果たしていると思います。玉砂利を踏んで寺苑に入ると神聖な気持ちになります。

平成六年八月より翌年の三月迄の間をテラヨガとして通う事になり、公民館とは少し違い緊張します。「開山堂」の大きな額や奥の仏像を拝し、天井の高き空間を見詰め乍らのヨガは、高齢の私にとって二度と体験出来ないと思うと、がらんとした寺の冬の寒さや会場までの長い廊下を幾曲りする事も今は感謝の念でいっぱいです。そして春が待たれます。

田口 晶子

我が家の庭にある金柑の大木。今年もたわわに実り、甘露煮、蜂蜜漬け、ジャムにも挑戦してみようかなどと思いをめぐらせていた。

そんなある日のこと外がやたらと騒がしいので、何事かと出てみた。と、その瞬間、金柑の木から数十羽の鳥が一斉に飛び立った。近づいて根本を見ると、まるで黄色い絨毯を敷きつめたように、無数の実が落ちていた。それから毎日、鳥はやってきた。更に更に地面は真っ黄色に染まって、とうとう七日後、木は丸裸となり黄の絨毯は元の地面に戻っていた。数十年間で初めての出来事。

呆然とする私の脳裏によぎったものは、ヒッチコックの〝鳥〟であった。