一句一筆 第九十五号より

宮本 艶子

秋愁や列車の尾灯胸に散り   高橋たかえ

物語性がありますね。親しい人を見送った列車なのでしょうか。次第に闇に吸い込まれていく尾灯。その残像が胸いっぱいに散り、寂しさが募ります。「秋愁」が作者の思いを如実に語っています。たかえさんは草茎の宇田零雨師に学び、冬男師と共に俳句界を歩んでこられました。作品六句はいずれも素晴しい心象句。下五の着地の見事さにいつも舌を巻くばかりです。これからも末永くご教示下さい。

秋雲の生れて水面の客なりし   田口 晶子

晶子さんの感性にはいつもハッとさせられます。秋の雲はまるで遊子のようですね。水面に映る雲を「客人」と見立てる非凡さ。音楽教師として合唱の指導をしてこられた〈混声の歳月重し晩翠忌〉も心に響きます。〈柿剥くや刃ひらひらひらひらと〉は柿の皮をくるくると途切れることなく刃を操る様が心地良いですね。表現のユニークさに脱帽です。

香る菊一行の詩のありがたく   竹本いくこ

年を重ねるにつけ、俳句と共にある生活を、私も心から良かったと思うこの頃です。「香る菊」に託したいくこさんの思いに思わず拍手‼大病を乗り越える力にもなったのでしょう。ペン一本、紙一枚あれば足りる文芸。自然の懐、人の機微に深く触れられ、支えられる一行詩。〈秋意かな仏の縁の深きこと〉冬男師との出会いも仏縁だったのでしょう。

ビルの窓また一つ消ゆ夜業の灯   次山 和子

「企業戦士」と言われた昭和。企業も官公庁も一晩中ビルは耿々とし、夜業の灯が消えませんでした。現在は働き方改革、リモートワークと変化し、、終業時に一斉に灯が消え帰宅を促す職場も多くなりました。都心にお住いの和子さん。変遷を目の辺りにしてこられました。窓の灯ひとつにも各々のドラマがあります。消える夜業の灯に仕事から解放される安堵を共有します。俳句の真髄を教えてくれる和子さんです。

秋の声佐和山城址森の中   寺田 順

順さんの趣味の深さ、行動力にいつも感服。今回は近江です。佐和山城主だった石田三成。徳川家康追討の兵を挙げた拠点の城。関ヶ原の戦いで敗れた後は井伊直政がこの城に入りますが、直勝の時に彦根城に移ります。歴史に思いを馳せた「秋の声」。今は森の中にひっそりとその址を残すばかり。時代を生きた人たちの息遣いが聴えます。

耳底の玉音放送終戦日   樋田 初子

昭和20年8月15日正午。昭和天皇自ら太平洋戦争終結を国民に伝えた玉音放送。幼少の初子さんはどのように耳にしたのでしょう。映画やドラマでしか知らない私でさえ、そのお声が耳底に—。終戦から79年。地球上は今も戦さが絶えません。塗炭の苦しみ、核戦争の脅威にもさらされている現実。戦さを詠まずにすむ世界を願うばかりです。

あつき群れ災禍近しと告げゆけり   戸田 徳子

里山の牧歌的な「あつき群れ」から中七下五にきて不穏などんでん返し。今夏は徳子さんの句の通り「災禍近し」を実感しましたね。南海トラフ巨大地震注意、熱中症アラート、毎日どこかで起きるゲリラ豪雨—。常日頃からの備えが肝要と思いつつ、自分は大丈夫と考える愚かさ。身を引き締めました。〈そぞろ寒海近き地を栖とす〉転居をされるという風の便り。新しい境地の句を楽しみにしております。

秋の団扇煽ぎやりいし人思い   奈良 恭子

看護師として長年お勤めだった恭子さん。何方にやさしく団扇を使っておられるのでしょう。エアコン、扇風機にはない、心を通わす団扇。残暑の厳しい昨今、いつまでも手放せない秋団扇。煽ぎつつ、話に耳を傾け、その人を思いやる、ゆったりと豊かに流れる時間—。読者の胸の中をも癒してくれる恭子さんの秋の団扇使いです。

風嫋嫋無月の道に身を溶かす   橋本 里子

「風嫋嫋」はそよそよと吹く風。そして「しなやかなさま」という意味も。無月は「曇る名月」とも。雨月とはちがい、ほのかな明るさがあります。里子さんはそのような「無月の道に身を溶かす」と—。自身の生き方を思わせます。心憎い佳句ですね。あしたの俳句道場の作品でも、特選、秀句の多い作家のおひとり。まだ一度もお会い出来てないのが残念です。是非、お出掛け下さい。お待ちしております。

天高し空を仰いでポジティブに   浜田天瑠子

天瑠子さんの作品を拝見しているだけで、明るい気分にしてくれます。この原稿を書いているのは台風10号接近中で、大型台風の行方が定まらず、ネガティブな気分に陥っています。もう秋というのに、まだまだ熱中症アラートの日も多いとか。心地よく澄んだ秋空の下、ピンブローチをつけて、思い切りお洒落をして闊歩したいですね。

浄域に入れば小さな苔の花   藤本 嘉門

徒で遍路を続けられる嘉門さん。霊場巡拝の一コマ。小さな苔の花に目を溜めます。苔は胞子で増える植物。花は咲きません。器托という傘状のものが花のように見えるのだそうです。ふかふかの絨毯のような一面の苔、苔むした石仏に降り積もった歳月を思います。自然の小さな命を慈しむ嘉門さんにいつも頭が下がります。六月には合同句集「四季吟詠句集・38」を上梓されました。益々のご健勝・ご健吟を—。

地下を出て仰ぐ太陽震災忌   森川 敬三

大正12年9月1日の関東大震災が震災忌。地震大国日本はその後も阪神淡路、東日本等、次々と大惨事に見舞われ、今も脅威にさらされています。拮抗する人為と自然。地下はマグマ溜りの闇、太陽は希望でしょうか。3・11の時、妖しの風が吹き、空は土色に覆われる中、小枝に掴まっていた私。敬三さんは富山から「あした」を支えて下さる心強い存在。