一句一筆 第九十七号より

青木つね子

春永に癒され明日の夢紡ぐ  小泉富美子

季語春永には微妙な春の感がありゆったりとした陽光に心身共に癒される感覚です。富美子さんはそのあとへ「明日の夢紡ぐ」と詠いました。ようやく抜けてきた寒さから春永を楽しみ癒され明日の夢を紡ぐと詠った優しさの中に前向きな意志を感じ、しなやかに春永に浸っている富美子さんを偲んでいます。

雪深々森羅の汚点消えゆくよ   小岩 秀子

秀子さんはわが熊谷にお住まいで共に宇咲先生の教室でした。故郷仙台に戻られてもずっと「あした誌」に句を寄せられています。厳しい仙台の冬は「雪深々」に忍ばれます降り積もるごと雪に覆われて景色が変わりゆく様を「森羅の汚点消えゆくよ」と詠ったのは胸中の思いをも顕しているのかと推察し仙台での秀子さんを偲び頂きました。

初日浴び身ぬちに沸きし力かな  設楽千恵子

千恵子さんは毎朝近くのラジオ体操に参加して励んでいます。「初日浴び」新年にふさわしい健康的な句です「継続は力なり」正に何事にも真摯にとりくむ姿は俳句にも伺い知ることができ「身ぬちに沸きし力かな」上五に続く言葉にはいつも真面目で控えめな千恵子さんの持つ信念の表われと思います。

人の世の毀誉褒貶や波の花  清水 将世

 季語「波の花」は日本海の冬の象徴です。岩に砕ける波は白い花のようで見事な景観らしいですが能登半島に於いてはその波は悪魔の飛礫のように人の世を襲いました。将世さんは災害を被った能登半島の人のことを思い世情を考えた時良きこと悪しきこと表も裏もある人生を「人の世の毀誉褒貶や」と表現したのかと思いました。今は能登に真っ白な波の花が咲くことを念ずるばかりす。

春近し窯変を生む海の色  白根 順子 

春が近くなると暗い海にも光りが増して変る波の色を「窯変を生む海の色」と表現しました。順子さんの窯変という火焔と日に光る海を対照させた感覚は連句の素養でしょうか。どの句を拝読しても私には思い付かない詞に遇い戸惑うことも。「毛糸編む人魚が風になる頃か」発想の凄さに自分の知識の乏しさを痛感しました。順子さんはあしたの師表です。

木々の影深く沈めて冬の河  須賀 経子

冬の河の浅瀬に映った状景を詠ったものと思います。底に映った木々を「深く沈めて」といった細やかな視点と発想は経子さんの性格を顕していると感じました。いつも繊細な心配りの人。「あした」でも先輩で長い句歴を持ちナースを退職した現在でも身に付いたやさしい人当たりは誰にでも好かれる人柄の方です。

泣きたい時泣いていいのよ冬蒲公英  菅谷ユキエ

語りかけの詩に優しさがあふれ胸にじーんと応えてくる句ですこんな風に慰められたらなお泣きたくなってしまいます。菅谷さんも「あした」の大先輩で数々の経験をしてこられた事と思います。この句はご自分に向けてのことかとも推察しています。風に吹かれながらも日に向いて咲いている冬の蒲公英にぴったりです。私自身慰められました。

豆を撒く二人きりゆえ声高く  高尾秀四郎

曾ての節分の夜はどの家からも競うように豆撒きの声が聞えたものでした今は核家族のせいかそんな状景は見られません。秀四郎さんの「豆を撒く二人きりゆえ」に籠められた確かな思いを感じ下五の「声高く」には更に力強く漢としての決意と推察しました。恵方道を明るく照らして幸せな人生となること疑いなしです。あした代表の力強く撒かれた豆は連衆の句の嵩となることでしょう。

月冴ゆる辻になじみの道祖神  高橋たかえ

道祖神は信濃では変った微笑ましい姿を見かけるようです。昔は旅人の道しるべだったそうですが車社会のいまはカーナビ頼り。由来など知る人も無く道祖神は畑の道辻に見るくらいです。いつもの辻に冷たく月の光を浴びているであろう道祖神を思い遣る気持ちは田舎育ちしか持っていない郷愁でしょう。上五「月冴ゆる」で冬の夜の厳しさと道祖神に寄せた素朴な思いを感賞し、頂きました。

初茜空もろともに御神木  田口 晶子

晶子さんはいつもスケールの大きな句を詠います「初茜空もろともに」と詠い、下五に「御神木」を据えて境内がほのぼのと明けてゆく様子、御神木の白い注連縄が徐々に茜色に染まってゆく神神しい光景を目の当りにしているようで心身共に清々しくなりました。「空もろともに」で一層句が大きくなり晶子さんの大らかさが伺われる佳吟です。

饒舌に語る指先碇星  竹本いくこ

饒舌に語る指先とは手話のことと思います。テレビでも指の動きの表情を言葉に表わす解説があり、又お互いに手話をしている様子は饒舌に語る指先の仕種です。いくこさんは下五に「碇星」を据えました。北極星を間にして北斗七星と向う碇星、山と海の届かぬ星たちの煌めきを見て手話を連想したのではないでしょうか。乏しい私なりの解釈です。いくこさんの博学に学び碇星のことを知りました。

紫の小さな品格冬菫  次山 和子

紫は高貴な色で濃紫は菫色とも云われています。何もかも未だ冬景色の中に淡い陽を拾って控えめに咲いている菫を和子さんは「紫の小さな品格」と表現されています。冬の風に吹かれ枯れ草に覆われてしまう小さな冬菫ですが健気に咲いている姿を見て掲句が生まれたのしょう。「小さな品格」とは素晴らしい着想。和子さんの豊かな感覚そして細やかな愛情を感じました。和子さんはいつもあした誌上に深みを添えてくれる方です。