俳句随想
髙尾秀四郎
第 89 回 俳句の破調について
読み終へて痣の醒めゆくごと朝焼 冨美男
今年に入ってから仕事で出社する回数を減らしていることもあって、木曜日の午後7時という時間帯に家に居ることが増えました。その時間にTV放送されている「プレバト」という番組では夏井いつき先生が芸能人の詠んだ俳句を評したり、添削するコーナーがあります。作品の良否によって詠んだ人を格付けし、その格が上がったり下がったりすることによる悲喜こもごもも含め、面白くまたためになる内容も多いので楽しみな番組の一つになっています。但し、一つだけ気になっている点があります。それは夏井先生の選や添削において破調の句を高く評価したり、添削された結果として破調になることが多いという点です。また私だけの感想なのかも知れませんが、正調の俳句は初心者のもので、破調の句を詠めることが上級者の条件のようなコンセンサスが番組内に出来上がっているようにも感じています。冒頭の句は、この番組で永世名人の称号を得られた俳優の梅沢冨美男さんが詠まれた句であり、お手本になる句としてご自身の句集にも収めることを認められた一句です。確かに良い句ですがこの句もまた破調の句になっています。即ち、句またがり、字余りです。破調の句自体は詠んでいけないものではないものの、俳句の詠み方の基本から外れていることは間違いありません。
今回はこの句のように正調と呼ばれる有季定型ではない破調と呼ばれる句について述べたいと思います。なお、破調は狭い意味では「字足らず」「字余り」の句を言うようですが、ここでは「切れが2か所以上」や「句またがり」も含めた句を破調ととらえた上でその是非について述べたいと思います。
正調の俳句は5、7、5音で構成され、季語が含まれていて切れが1か所以下の句を言います。こうすることで、リズムが良く、季節を感じさせると共に言外の余情も醸すことができます。そもそも何故5、7、5音かと言えばリズムが良く耳から聞いても目で見ても、声を出して読んでもピタリと腹落ちするからです。一方、「破調」の句は字余り、字足らず、二段切れ、三段切れ、句またがり、季語が2つ以上等の句を言います。これらすべてが俳句として成り立たないかと言えば、そうでもありません。有名俳人の句の中にはそのような破調の句が散見されますし、中には名句と称される句もあります。例えば次のような句があげられます。
(上五字余り)
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな 子規
(中七が字余り)
しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 蕪村
水脈の果炎天の墓碑を置きて去る 兜太
(中七、下五の字余り)
雀の子そこのけそこのけお馬が通る 一茶
(下五の字余り)
我のみの菊日和とはゆめ思はじ 虚子
(上五、下五が字余り)
父がつけしわが名立子や月を仰ぐ 立子
(二段切れ)
降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男
(季語三つ)
目には青葉山ほととぎす初鰹 素堂
一方、季語生成の過程では5、7、5の俳句のリズムを守るために、次のように言葉を詰めて発音したり、古語の読みを持ち出したりと、涙ぐましい程の工夫をして音数を減らし、俳句特有の読み方を編み出しています。
秋夕焼(あきゆうやけ→あきゆやけ)
生活(せいかつ→たつき)
涅槃西風(ねはんにしかぜ→ねはんにし)
南風(みなみかぜ→みなみ、はえ)
海霧(うみぎり→じり)
青北風(あおきたかぜ→あおきた)
これらはより多くの言葉を盛り込むため、または字余りを避けるための工夫であり、1音でも削って5、7、5の音律を守ろうとしています。そうすることが読みとしては多少窮屈であっても一句として読み下した場合、腹落ちするからだと思います。こうした季語側での努力を踏まえて、句全体としてなおも「字余り」にする、または「句またがり」にするのにはそれなりの理由があると思われます。そして忘れてならないことは、上記のような過去から現代にいたる著名な俳人は、確かに破調の句を詠んではいますが、この破調の句と比較にならないほどの多くの正調の句も詠んでいるという事実があることです。彼らは基本的に正調の句を詠みながら、時として破調の句も詠んでいると理解すべきです。
ここで、有季定型俳句の本家とも言える高浜虚子と自由律俳句の本家と称された河東碧梧桐の関係性について、虚子による興味深い記述がありましたのでご紹介します。虚子が戦中の昭和17年(1942年)に著した「俳句の五十年」という回想録の中に「乱調の俳句と碧梧桐」と題したエッセイがあります。それは大要次のような主旨のものです。『ある時期において私(虚子)が作る句には、十七字や五七五調を破ったものが多くあり、そんな句を「ホトトギス」にも発表していました。これに対して碧梧桐は、このような五七五調ではない俳句を「新調俳句」と呼び、高く評価して興味を持つようになりました。しかし私自身はその後、「新調俳句」は俳句を進歩発展させるものではなく、却って破壊するものと思い直して、正しい十七字の五七五調に戻るようにしましたが、碧梧桐はその後も立ち止まることなく、自由律、内在律という俳句の魁さきがけになりました。』
破調を試し始めた虚子に触発された碧梧桐はそのまま破調を担ぎ、言い出しっぺの虚子は元に戻ったという興味深い経緯が分かります。そして自由律俳句の道を突き進んでいた碧梧桐は還暦に至って俳壇からの引退を宣言し、これをもって自由律俳句が衰退していったという歴史を見て思うことは、破調の俳句はやはり例外や時折差し挟むことで一連の俳句作品に変化や彩を添えることはあっても主流にはなり得なかったのであろうということです。
V界が移ろい易い流行の先端にあって、ある程度の新規性や奇抜さを打ち出さなければならないという宿命を背負っていることを考慮してもなお、正調が初心者用の詠み方で破調が上級者用の詠み方であるという扱いはやはり「問題あり」と思う次第です。