俳句随想
髙尾秀四郎
第 88 回 人工知能と俳句(2)
秋風に鳥達の声別れ哉
「人工知能と俳句」というテーマで前回書かせていただきましたが、前回の一章で書き残したことがありましたので、更に1章を加えることとしました。
前回から2か月経過した時点で、今度は秋の季語の俳句をChatGPTに詠んで貰いました。その結果、またもや季重ね、季違いや字余りの句を出してきたので、その都度問題点を指摘し、ようやく冒頭の句が出てきました。この句も余り良い句とは言えませんが、少なくともその前に出して来た4つの句よりはマシな句と言えます。この2か月の間に、私からの質問も含めてChatGPTには多くの人から俳句を詠んで欲しいという依頼があったと思われますが、余り学習した効果が表れていないようです。今回の秋の句を詠むように依頼する過程で感じたことは次の2点でした。
①どうやらChatGPTは今の時点では俳句作りが得意ではないということ。②しかし一方、何度ダメ出しをして詠み直しを頼んでも、その都度丁寧なお詫びの言葉と共に新たな句を出してきて、人間であれば途中で不貞腐れたり、「もうやめた」と言い出しかねないところですが、ChatGPTはそんなことをしません。実に辛坊強く応えてきます。その意味で誠実であり、要望に対して正面から取り組んでいると思えるということです。
句を所望する以外に、身近な例として故人となられた宇咲冬男先生について質問すると知らないとう意外な回答が返ってきました。俳句結社あしたの先輩で俳誌「八千草」主宰の山元志津香さんについて聞いたところ、生年が1971年(私より相当に若い)と、誤った情報を出してきました。それらから、人工知能はネット上の情報の全てを網羅的に収集しているとは言えないこと、及び誤った情報がネット上にあった場合、その正否の検討もなしに、そのまま素直に受け入れているのではないかと思われることです。それ故、ChatGPTが出した回答は、先にご紹介したように、このシステムの最初の画面に示されているLimitations(前提または限界)にある通り、誤った回答を出すことも、回答間で矛盾した回答を出すこともあるのだと思われます。
この人類が作り出した画期的なシステムと言える人工知能に関して、その開発側に期待したいことは、インプット情報の浄化ないし正否の確認をして欲しいということです。ITの世界には「garbage-in,garbage-out」という言葉があります。即ち「コンピュータにゴミをインプットすればゴミしかアウトプットしない。」という意味です。この事実は人工知能に関して、そのまま当てはまることであり、その有効性、有用性を確保するためにはとても重要なことであろうと思われます。
一方人工知能は体系的に思考する力が相当高いように思われます。それは物事の考え方、発生した事実に対する評価や分析をする力が優れているという意味です。それ故、この人工知能を人間が俳句の世界で活用するとしたならば、それは自らが詠んだ句や句評に関する評価や分析を頼むということ等が考えられますが、その面では大いに役立ちそうです。但し知識の深さという点で、例えば俳諧の世界ではしばしば用いる「小こなからざけ半酒」=二合半の酒を意味する言葉、を人工知能は知りませんでした。しかし「こなから」の「小こ 」と「中なから」という組み合わせによって(一升の)4分の1になるという理屈は理解していました。私がこの質問を行った最後に、人工知能はこの言葉を知らなかったことを反省すると共に「具体的にこの表現を使った文学作品を示してください。」と教えを乞うてきました。この点から人工知能はあたかも旺盛な学習能力を持った伸び盛りの少年のようであるとの印象を受けました。
ここで「人工知能と俳句」という視点から次のような疑問について人工知能の助けも借りて考えてみました。
①人工知能は句作において人間のレベルを超えることができるか?
②人工知能は人間が持つ五感を備えられるか?
③人間が詠んだ句と人工知能が詠んだ句の区別をすることはできるか?
④人工知能は句会の選者になれるか?
①については、そうなる方法はあるものの相当な時間と改善を要するため、事実上は難しいようです。②については人工知能自らが物理的に動くことが出来ないため、動いて体験することは出来ませんが、物理的に動けるロボットと連携を取れば、動くロボットが収集した情報を人工知能が受け取って分析することで人間の五感に近い感覚を予め教えておけば可能にはなるようです。③については、どうやら無理と思われます。④については言い方を替えれば、人工知能が選者となっている句会に参加したいか?又は、人工知能の講評で満足するかか?ということに他ならないと思います。少なくも私個人としての答えは「否」です。
さて、人工知能に関して書かれた論文の中で、人工知能が絶対に出来ないこととして挙げていることがあります。それは人間が持つ感情を持つことであるとのことです。そして人工知能が感情を持つことはむしろその良さを失わせることになり、人工知能に本来期待している機能、即ち人間の代わりに瞬時に冷静に分析し回答するという機能を果たせなくなることにつながりかねないと言っています。やはり感情を持つ人間と感情を持たない人工知能が支え合うのが、人間にとっても人工知能にとってもベストな役割分担であろうというのが現時点での結論になりそうです。
今回の人工知能、具体的にはChatGPTについて俳句という視点から様々な問いを発し、その機能や有用性を探ってみましたが、それはおそらく「群盲象を模す」の譬えのように、物事の一部分を示したものに過ぎないとは思いますし的外れかも知れません。しかし人工知能は人類が不断の努力の末に創り上げたシステムであり、このシステムを活用して新たな俳句の世界を作ることができれば素晴らしいことであると思います。まずは自らが詠んだ句についての批評や感想を聞いたり、ある事象に関して過去の文献でどう述べているかを確認する等においては極めて便利で有用なツールになると思いますし、新たな知見を見出すことになるものと思っています。
秋暑し人工知能とする会話 秀四郎