俳句随想

髙尾秀四郎

第 86 回  手紙を詠む句

ドイツより信書届きしふづきかな  冬男

冒頭の句は宇咲冬男師の第八句集「虹の座」に収められている句で、ドイツの薔薇の町、バート・ナウハイム市で開催された日独連句会の立句として師が詠んだ「薔薇は実に人活き活きと薔薇の町」が日独親善のシンボルとして評価され、同市によって句碑が建立されることを伝える手紙が冬男師の手許に届いたことを詠んだ句です。今回はこの句のように手紙に触れた句について書いてみようと思います。

今どき「メール」と言えば電子メールであり、手書きの手紙を意味しません。しかしかつては離れた場所に住む人に対して自分の思いや用件を伝える手段として手紙が日常的に使われていました。むろん電話と言う手段も大いに役立ってはいましたが、それはあくまでも緊急な場合の手段でした。理由は料金が高かったからです。かつて遠距離のラブコールの際には10円玉が大変なスピードで落ちてゆくので、片手に10円玉や100円玉をもって冷や冷やしながら電話を掛けていたことを覚えています。3人の娘が学校に通っていた頃の電話代は信じがたい金額に上っていて、個人別に上限額を決め、それを下回った場合にはその差額を現金で還元するという秘策まで編み出して電話料金を一定金額以内に収めることもありました。昔は電話料金が距離に比例して高くなっていましたが、今は携帯から掛ける通話は全国一律ですので距離を意識する必要がなくなりました。そのため、離れた場所にいる人とのコミュニケーションはほぼメール、ラインまたは携帯電話で済ませるようになり、手紙を書くことが極端に減ったように思います。しかしかつては日常的に手紙を書いていましたし、手紙を書くという行動にはゆったりとした時間が流れていたように思います。まず出す手紙の文案を練る。それを文章に起こして便せんに書き、間違ったら書き直します。そして宛先と発信元を書いて切手を貼り投函します。それから早ければ1週間少々、遅い場合には1か月ほども待って返信を受け取って読みます。そしてまた返信を書きます。このサイクルを2週間や1か月毎に繰り返していました。その間の多くの時間は「待つ」時間でした。その待つ時間はただ漫然と待つというよりも様々な想像や自分勝手な展開を巡らしていました。見えない相手と心の中で会話をしてもいました。それだけに短い手紙にもその行間には凝縮された感情や思いが詰まっていたように思います。即時即対応の今にはない濃密で悩ましい時間がそこにはありました。無駄と言えば無駄でしょうが、人を思うという感情を高ぶらせ奮い立たせ、ある時は意気消沈する時間は決して無駄な時間ではなかったように思えます。今回はそんな私信として書く手紙について書くこととします。

手紙は一人称の「私」が書いて二人称の「あなた」に送るものであり、冒頭の句のように公的な信書として形式に則って書かれるものもありますが、一般には私信でありお互いに面識があって共通の経験や知識を持ち合わせているために、前提となる事情や背景などが省略できるため、すぐに核心に触れた中身の濃い内容を書いて出すことが出来ます。それだけにその手紙を第三者が目にする時、手紙の内容から二人の関係性を容易に窺い知ることもできます。そのような手紙の力を応用し、手紙だけで構成された小説もあります。本来小説はストーリーテラー(作者)が第三者の言動について述べるというスタイルで文章が綴られます。しかし手紙だけで構成される小説は、例えば三島由紀夫の「レター教室」という小説などは、題名から手紙を書くためのハウツー物のように見えますが、20歳から45歳までの登場人物5人のプロフィールを紹介した後に、その5人がそれぞれの相手に書いた手紙だけで全体のストーリーが展開されます。また井上ひさしの「十二人の手紙」はオムニバス形式の12人の手紙で綴られていて、中には出生届から始まって洗礼証明書、婚姻届、罹火災証明書、家出人捜索願、死亡検案書など24の公的書面を並べて主人公の生きざまを推測させた後、自らを育ててくれた孤児院の院長宛ての本人の手紙で締めくくられた一篇もあり、作家というよりも劇作家や放送作家の面目躍如と言える掌編小説に仕上がっています。

一方、手紙を詠む俳句は手紙を書くあらゆる段階について詠まれています。即ち、文案を考える、下書きをする、清書して封入する、投函する(又は投函しないままで放置する)、返事を待つ、返事を受ける、更に返事を書く。宛先の人が生存している場合も、生存していない場合もあり、架空の人宛てのものなどもあります。手紙の内容に触れたものよりもむしろ客観写生の句の方が大多数を占めているように思われました。読者の想像に任せた方がより膨らみや深みが出るという思慮からでしょうか。手紙に触れた句は思いのほか多く、選ぶのに大変苦労しました。候補句を絞ったのですがかなりの数になりました。そして手紙を詠む俳句が多いのは手紙が俳句に詠み込みたい思い入れを多く含むものであることに起因するのかと思いました。

鞦韆に腰掛けて読む手紙かな   星野立子

蜥蜴出て長き手紙となりにけり   中村明子

詫手紙かいてさうして風呂へゆく   山頭火

落葉中傷つきかへりくる手紙   赤松けい子

来し人に手紙たのむや冬の雨   五十嵐播水

優曇華や父死なば手紙もう書けず   森 澄雄

夜霧濃きことを手紙の冒頭に   成瀬正とし

夜焚火に束ねし手紙焚き加ふ   大木さつき

姪の手紙急におとなび花芙蓉   鍵和田柚子

芙蓉落つ出さぬ手紙に塵すこし   谷口桂子

飯粒で封じる手紙雁帰る   有馬朗人

梅雨冷えのあざみを挿してかく手紙   三橋鷹女

天上の妻への手紙朴の花   大嶽青児

虫の声余白に埋めて書く手紙   安田美樟

雪ぼたる手紙読まれてゐる頃か   内田美紗

春の朝ドアの下から来る手紙   二村典子

春しぐれ遺品の中のわが手紙   内田美紗

死者になほ届く手紙や鳥曇   岡本まち子

笹鳴や母がかたみの仮名手紙   石田あき子

獄中の出さざる手紙秋のこゑ   角川春樹

黒わくの手紙受け取る冬籠   正岡子規

火曜日は手紙のつく日冬籠   高野素十

夏の手紙青いにじみは海の色   大高 翔

春を待つ絵手紙に黄を重ねつつ   板橋美智代

沢山の手紙に触れた句を読みながら、ふと数年後の自分宛てに一句を添えて手紙を書いてみようかと思い始めています。

幸せの意味悟りしや薫風裡   秀四郎