俳句随想
髙尾秀四郎
第 85 回 政治を詠む句
メーデーの日はふかぶかと田に降れる 冬男
冒頭の句は昭和51年(1976年)に冬男師が詠まれた句です。この句の中の「日」は日差しを指しています。5月1日、都会において労働者の祭典が開かれる一方、農村では農事に励む農夫の上に都会と同じ日差しが降り注いでいる、と句評に書かれていました。そしてこの句は冬男師が詠まれた数少ない政治に触れた句とも言えます。
文化や芸術とは対極にあると思われる政治ではありますが、俳句の中には政治を詠んだ句もあります。一方正岡子規が始めたホトトギスを引き継ぎ、全国区の俳句結社として結実させた高浜虚子は、政治と俳句を対比して、「朝顔や政治のことはわからざる」と詠み、俳句を天下無用の閑事業と言いなしています。今回はそんな政治と俳句について書いてみようと思います。
国が存在すれば、その国を司る政府があり憲法を持つ立憲民主主義国であれば三権分立で司法、行政、立法の府において「政治」が行われます。政治を職業とする人を「政治家」と呼び、その政治家は民主的な選挙によって選ばれる「選ばれた人たち」であり別称で「選良」とも呼ばれて、特別な権利を持ってもいます。
ある会社の株主でもある大学教授と、その会社の株主総会の後で、この俗称「政治家」や「政治」について議論を交わしたことがありました。日本の政治のレベルが低いという点で意見が一致したのですが、その上でその教授から次のような発言がありました。「政治家のレベルは国民の政治意識のレベルによりますから、日本の政治のレベルの低さは国民の政治意識の低さの表れですね」と。日本人の識字率は世界的にも高く、知的レベルも決して低くありませんが、政治への関与や政治意識に関しては確かに目に見えない一線が引かれているという意味で、この言葉は堪えました。思えば日本の政治は天皇による大和朝廷から始まり、摂政政治や武家政治を経て、明治維新に至って、立憲民主主義も選挙も代議員制度も、海外から輸入して新たな政治体制をスタートさせています。様々な階級・階層の争いや市民生活のニーズから歴史的必然として生まれた西欧の政治制度とは、制度に対する思い入れや身近さが異なるのは当然であろうと思います。さらに戦後の民主主義はお仕着せで憲法は頂きもの、となれば、政治というものの彼我の差は大きいと言わざるを得ません。また日本には「お上」の意識が強くディベートをするよりも一方的な「上意下達」が身に染みついてもいます。
そんな背景もあって2014年に発生した「九条俳句不掲載損害賠償等請求事件」は、その後地裁、高裁そして最高裁にまで持ち込まれ、俳句と政治を考える上で象徴的な事件であったと言えます。
この事件の概要は次のようなものでした。埼玉のある公民館をベースに活動している俳句グループが毎回秀句に選ばれた句を公民館に報告し、公民館側ではその句を「公民館だより」に掲載していました。しかし2014年に78歳の女性が詠み、秀句に選ばれた「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という句に対して公民館側は「公民館だより」への掲載を拒否しました。この扱いに対して新聞が取り上げ、市民団体はシンポジュームを開くなどしましたが、公民館側は態度を変えなったことから、作者は精神的な損害を蒙ったとして損害賠償訴訟を起こしました。この訴えはその後、地裁、高裁を経て最高裁まで上告され、最終的に公民館側の「公民館だより」への不掲載を違法とした判断が下されました。この事件に関して金子兜太氏は次のようなコメントを出しています。
「『九条守れ』の女性デモという一つの日常を詠んだもので、特別な意味を込めて作ったわけではないでしょう。そもそも、この句のように社会で生きている人間を題材として詠むのは、現代俳句ではごくごく当たり前のこと。この状態に向かって政治的な尺度を持ち込むのは、野暮で文化的に貧しい話だ。」
国(地方自治体)の運営する施設である公民館が文芸作品について巧拙、良否、適否の判断を下し、取り扱いを変えること自体が越権行為であること。多分、このような一見反戦とも受け止められそうな句を「公民館だより」に掲載することで、上司や県の責任者、さらには中央官庁から不適切という誹りを受けるのではないかと慮った(いわゆる「忖度をした」)ことが容易に推測されます。そもそもそんなことを行うべきではないし、埒外と思われます。国は特に文化・文芸に関してもっと懐深く見守る立場にあるのではないかと思います。政治は企業の事業活動と同じ社会における人間の行為や活動の一つであり、俳句を詠む対象の一つに過ぎません。その活動を詠むこと自体は個人の自由であり制約はないと私も思います。
さて、政治を詠んだ句があります。そのどれもが多少のアイロニーを込めてはいますが、極めて客観的に捉え、個人的な思いを述べているように思われます。
デモの年汗に腐りし腕時計 沢木欣一
娘を杖に老政客や木堂忌 相島たけ雄
丞相の言葉卑しく年暮るゝ 飴山 實
はるけくも来つるものかな萩の原 中曽根康弘
蝶多しベルリンの壁無きゆゑか 阿波野青畝
一句目は安保闘争の頃に詠まれています。二句目は時の首相、犬飼毅が暗殺された5・15事件の後の老政治家を詠んだ句です。三句目はいつの時代にもある首相の失言で批判を受けたことを詠んだものです。四句目は政治とは関係の無さそうな叙景句ですが、元首相の中曽根氏が首相に選ばれた際の感慨を詠んでいます。そして最後の句は東西ドイツが統一された際に詠まれています。
政治も人間の営みの一つであり、社会的事象の一つにすぎません。そんな政治に季節は特定できないため政治に関する季語はほぼありません。但し、戦前まで宮中であった行事として政始(まつりごとはじめ)があり、季語としても残ってはいます。そもそも選挙も国会における論戦も季語とは縁遠いものです。しかしある季節に目にし耳にした政治的出来事が、胸を揺さぶりざわつかせることはあります。但し俳句は詠み手の感情や感慨と季節と組み合わせた表現媒体であり、政党の政治活動の具であってはならないし、政治的信条を訴えるアジテーションになったとしたならば、すでに文芸とは言えないと思うのですが、いかがでしょうか?