俳句随想

髙尾秀四郎

第 81 回  戦争を詠む句

春雷や「ひまわり」の泣くウクライナ 桂華

冒頭の句は2月下旬にロシア軍がプーチン大統領の命令でウクライナに侵攻した報道に接した「あした」会員の河野桂華さんが、Facebookのマイページに掲載された一句です。ひまわりは夏の季語ですが、括弧で括られているので、ひまわりに関する映画や物語、または季語ではない植物名と解すべきであり、この句に限定して言うならば、「ウクライナの国花である”ひまわり“」と解して良いように思います。ロシア軍が侵攻を開始したのが2月24日でしたので、季語は上五の「春雷」になります。漢字表記のひまわりは「向日葵」、英語ではsunflower。イタリア語でgirasoleです。このイタリア語のひまわりの名を冠した映画がありました。もう50年以上も前の1970年に上映された映画です。その映画のロケ地はウクライナの首都キーウ(キエフ)から500キロ南下した黒海に近いヘルソン州であったとのこと。主演のソフィア・ローレンが戦争で行方知れずとなった夫を探して一面のひまわり畑をさまようシーンは甘く切ないヘンリー・マンシーニのテーマ曲と共に忘れ難い思い出として胸の奥に仕舞われています。ひまわりはまたウクライナと共にロシアの国花でもあるとか。花言葉は「憧れ」「情熱」。そんな花言葉と今の軍事進攻の状況とは全く結びつきません。この映画は第二次世界大戦で引き裂かれた男女の戦後の生きざまと戦争の不条理を描いています。ここ数年の新型コロナ同様、突然の災厄によって非日常の状況の中、思いもよらない展開に翻弄される人間の姿は時代が変わっても繰り返されるようです。ここでこの映画を見ておられない方々のために簡単にストーリーを紹介させていただきます。

 『第二次世界大戦下のイタリアで、兵役に服したアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)と結婚したナポリ生まれのジョバンナ(ソフィア・ローレン)は、愛する夫を戦争に行かせないために狂言まがいの行動までとりますが、それがむしろ仇となってアントニオは地獄のソ連戦線に送られてしまいます。終戦後も消息の分からない夫を探すために、ジョバンナはソ連に向かい夫の足跡を辿ります。しかし広大なひまわり畑の果てに巡り会えたのは、美しいロシア娘と結婚し子供にも恵まれていたアントニオでした。彼は数千キロに及ぶ雪原で彷徨っていた自分を助けてくれた今の妻に自らの過去を消すため、記憶喪失と偽って生きてきていました。工場から戻る汽車から降りたアントニオが妻に寄り添う姿を目にしたジョバンナはアントニオに歩み寄ることもせず、彼が乗ってきた汽車に飛び乗り車中で号泣します。その後、アントニオは母の急病を理由にイタリアのミラノに戻り、ジョバンナを探します。そして雨の夜、再会を果たし一緒に逃げようと誘いますが、二人にはそれぞれ子供もいて、再び結ばれるには余りにも大きな境遇の変化があったことを思い知ります。そして最後は終着駅であり始発駅でもあるミラノ駅から列車に乗るアントニオをジョバンナが見送るシーンで終わります。エンドロールには再び一面のひまわり畑が映し出され、ジョバンナの涙を拭うかのようにテーマ曲がゆっくりと流れます。』

日本において戦争は昭和20年(1945年)の8月15日をもって終わり、憲法第9条に不戦を掲げて、その後今日までの77年間、平和を享受しています。しかしその間、世界では戦後直ぐに中国の国民党と共産党の国共戦争、朝鮮半島での朝鮮戦争、その後もベトナム戦争、湾岸戦争、数次に亘る中東戦争、ロシアによるクリミア半島併合等が発生しています。そして今回のロシアによるウクライナ侵攻です。言い換えればこの20世紀及び21世紀に入っても、世界の何処かで常に戦争が起き、当事国の国民は戦禍に巻き込まれています。戦争にはそれぞれ言い分があり、それぞれの大義に基づいて戦いますが、要するに国土や資源、利権の奪い合いに過ぎません。そしてそうしたい為政者が国民に戦わせていると言っても過言ではありません。戦わされた国民は例えその戦で勝ったとしても、命の危険に晒され、心身ともに甚大な被害を受けます。映画「ひまわり」の二人もそんな戦争の犠牲者であったと言えます。

このような、起こって欲しくない、参加も参加させたくもない戦争の勃発に対して、民衆の詩である俳句は、その思いを様々に詠んでいます。日本においては先の太平洋戦争が直近の戦争になりますが、この戦争に際して詠まれた俳句があります。そこには謂れのない災禍に翻弄されながらも懸命に生きる人々の姿や思いが詠まれています。そんな句の中から幾つかを抽いてみます。戦争俳句には風雅の域を超えた事象を詠むことからか、季節を消し去った無季俳句が多いという特徴もあります。

戦争が廊下の奥に立つてゐた   渡邊白泉
征く人の母は埋れぬ日の丸に  井上白文地
墓標立ち戦場つかのまに移る  石橋辰之助
十二月八日の霜の屋根幾万    加藤楸邨
路地ふかく英霊還り冬の霧    大野林火
戦争と畳の上の団扇かな     三橋敏雄
戦友を焼く鉄板かつぐ夏の浜  中曽根康弘
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ  金子兜太
柊の花や空襲警報下     久保田万太郎
てんと虫一兵われの死なざりし   安住敦

俳句随想の第6回「代表句について」でご紹介した山口誓子の「海へ出て凩帰るところなし」もまた戦争の理不尽さを詠んだ俳句と言えます。沖縄で2020年に開催された終戦75年平和祈念「琉球の言ノ葉」の最優秀句は次の一句でした。

鎮魂と平和奏でる蝉時雨   松本ひろみ

ひまわりは仲夏の季語ですが、ウクライナではいつ頃咲くのでしょうか。破壊しつくされた都市を遠く見るウクライナのひまわりは何を思うのでしょうか。冒頭の句のように太陽に顔を向けながらも泣いているように見えるかも知れません。

映画「ひまわり」が上映されてからすでに半世紀以上が経過しました。その間人類は一歩も前進していないのではないかと思わずにはいられません。

大ひまわり戦禍の都市の果ての野に 秀四郎