俳句随想

髙尾秀四郎

第 75 回  俳句とスポーツ

ああ五輪鳩と号砲秋天へ   秀四郎

その日、高校1年生であった私は登校後、今日は東京五輪の開会式があるからという理由で授業は午前の早い時間に終わって下校しました。帰宅後、自宅のTVで開会式を見ました。青空の下、被爆二世のランニング姿のランナーが聖火台の上で高々と聖火を掲げて点火します。ファンファーレと共に一斉に白い鳩が空に放たれ、青空には自衛隊の特殊部隊が操縦する航空機が五輪の輪を描きました。世界が、これからの日本が、大きく変わるような予感がしたものでした。

1964年10月10日の記憶です。マラソンのアベベと2位となった円谷、柔道では無差別級でオランダのヘーシンクに惜しくも破れた神永。女子バレーボールの「東洋の魔女」と呼ばれた日紡貝塚の選手たちや体操の小野選手、重量挙げの三宅選手の活躍等、名前のみならずその躍動する姿までをまざまざと思い起こすことが出来ます。冒頭の句はあの日を思い起こして今の私が詠んだ一句です。

この冊子が皆様のお手許に届いた後に開催が予定されている今回の東京五輪にもまた感動的な場面が用意されていると思います。当時の私と同じ年頃の若者の胸に鮮烈なイメージを植え付けることでしょう。その姿は写真や動画で捉えられますが、一方で俳句や短歌またはエッセイとしても語られるものと思います。その中で俳句が果たすべき役割は、やはり「文字による瞬間のスナップショット」であると思います。

今回は様々なスポーツ種目のトップアスリートが集うスポーツの祭典である2021年7月に東京で開催される東京五輪に思いを馳せながら、俳句とスポーツというテーマで思うところを書かせていただくことといたします。

古くは米国の国技でもあるベースボールを自身の幼名「升(のぼる)」になぞらえて付けた「野球」(やきゅう、「野ボール」とも読める)と命名した正岡子規が詠んだ句「草茂みベースボールの道白し」がありますが、スポーツの俳句の多くは戦後詠まれた句になりそうです。

まず、俳句の中で重要なエレメントである季語という観点からスポーツを見た場合、どのようなスポーツが季語になっているかを見てみると意外と限定されています。
【春】ボートレース
【夏】ヨット、スカール(カヌー)、登山、
  泳ぎ(水泳)、海水浴(サーフィン)、
  ダイビング、水球、ダービー、ナイター
【秋】国民体育大会、運動会
【冬・新年】寒稽古、相撲寒取、寒中水泳、
  スキー(スノーボード)、スケート、
  アイスホッケー、ラグビー

プロリーグのある野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール等は含まれておりませんし、ゴルフも見当たりません。やはり季節感溢れるスポーツのみが季語となっているようです。

一瞬が大切なスポーツに対して、その一瞬を切り取ることのできる俳句はスポーツとの相性が良く、スポーツを題材とした佳句も多く見られます。戦後のスポーツを詠んだ句を幾つか拾ってみます。

ピストルがプールの硬き面もにひびき  山口誓子

はたはたや体操のクラス遠くあり  石田波郷

ラガー等のそのかちうたのみじかけれ  横山白虹

タクルして転がり合へば雁渡る  渡邊白泉

ラグビーの頬傷痛む海みては  寺山修司

雪嶺やマラソン選手一人走る  西東三鬼

スケートの濡れ刃携へ人妻よ  鷹羽狩行

六月の砲丸かまへ手首病みぬ  山本紫黄

二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり  金子兜太

宇咲冬男先生のスポーツの句としては登山の句がありました。

攀じり来てひとり雪渓の点(しみ)になる

登山靴はく雲水のこころにて

話変わって、小学一年の年末に長崎の自宅の裏手にあった崖に成っていた夏みかんを取ろうとして転落し、3日間昏睡状態に陥る怪我をしたことがありました。母は医者から、命の危険があり、回復したとしても障害が残るかも知れません、と言われたようです。昨年亡くなった姉は、仕事を持っていた母に代わり、そんな状態の私を寝ずに看病してくれました。その入院中にねだって買って貰ったおもちゃのダンプカーを、退院後近くの神社の境内に持って行き、土を荷台に入れて、運転席に近い荷台を操作して上げ、土を落とそうとしましたが落ちません。イメージとしては土がサラサラと落ちるはずでした。しかし夏の土と違って冬の土は湿っていて落ちないのです。思い描いていたシーンは夏のものであり、季節が違っていたのでした。57年前の東京五輪と今年の東京五輪は時代という名の季節が異なるかも知れません。私を含む当時を知る人達が思い描くものと異なっている可能性が高いかも知れません。

今夏の東京五輪は、この章を書いている時点でも本当に開催されるかどうか定かではありません。しかし個人的には、考えられる限りのコロナ禍の予防対策をしてでも是非開催して欲しいと思っています。本随想の第27回「祭りを詠む句」でも書きましたように、人は一面で祭りのために生きていると思うと共に、このスポーツの祭典が、私が57年前の高校生の時に受け、半世紀を超えてもなお胸の奥に熾火のように燃え続ける感動を、今の若者にも持って貰いたいと思うからです。時代という季節が移り、最早あの頃と同じ五輪にならないかも知れませんが、やはり開催してほしいと願っております。

本稿の最後に1 年延期され、この2021年の夏に開催される東京五輪を思って一句を詠ませていただきます。

聖火点す最終走者の美しき汗  秀四郎