俳句随想
髙尾秀四郎
第 62 回 女性の詠む俳句
戒名は真砂女でよろし紫木蓮 真砂女
冒頭の句は「蛍の句」でも取り上げさせていただきました鈴木真砂女さんの句です。今回は彼女を含めた女流俳人について触れたいと思います。
過去の随想の中で「俳句の詠み手について」というタイトルで俳句が時代を超えて生き延びるためには「詠み手の生い立ち、職業、主義、主張を超え、時代の正義をも超越した「不易」を忘れない姿勢が必要」と書きました。その意味で俳句はジェンダー( 性)も超えて評価されるべきということになります。その点については今も考えは変わっておりませんが、詠み手のジェンダーによってどの詩歌形式が適合するかという議論はなお存在します。
一般論として、自由詩や短歌は文字数に制限がなかったり、制限があっても長いため、心情の吐露が容易と言われています。確かに短歌などは話すように、呼吸をするように書くことが出来て、詠みやすさが感じられます。一方短歌が主観的に心情を述べ、口語で語るように詠むことが出来るのに対して、俳句は文字数の制限や季語、切れ字などの制約があるため短歌ほど口語で語るような詠み方ができません。
岩波新書「女性俳句の世界」の著者、上野さち子氏の言葉をお借りすれば、「溢れるような情をのせるには三十一の音数を持つ短歌の方がふさわしく、肉体に添った発声も可能のように感じられるが、その半数に近い十七音のなかに己のこころを盛ろうとすれば、半歩、いや数歩の距離をおき、沈潜の間合いを計らねばならない。そのような文芸形式にふさわしい性はもっぱら男性―己を客観視できる―に限ると考えられて来た。事実日本の文学史上、和歌( 短歌形式)の作者として名のある女性は多いが、俳句の世界では極めて少ない。」と現状の分析をした上で、4T( 中村汀女、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女)と称されるような女流俳人について「なおも封建色の残るなかで、古いモラルに身を縛られながら、より自由な魂の羽ばたきを実現しようとした人々である。」として女流俳人の生い立ちや作品の紹介をされています。また藤田湘子氏は、その著書「男の俳句、女の俳句」の中で4Tと呼ばれる女流俳人を評して「みんな立っている。みんな屹とした眼で永遠を見つめている。だから、読むわれわれは心ゆさぶられるである。別の言い方をするならば、どの句も俳句形式の恩寵を享け、凛々しい姿で自己主張している。」と書かれています。そして一方、サラリーマン化した男性俳人の緊張感のなさを嘆かれています。
この緊張感に関連しますが、企業活動における労働者の安全や衛生を管理する実務の中に「労働生理」という分野があり業務の中で発生するストレスについてその発生原因、心身の反応や対処法などが説かれています。その中でストレスに関して、「人間には適度なストレスが必要不可欠」と書かれています。このことにつながる逸話としてノルウェーの老いた漁師の話があります。ノルウエーの漁師町で、漁船で鰯漁に行き、港に帰ると大体の鰯は弱っているか死んでいるが、ある老いた漁師の鰯だけはいつも元気に活き活きとしていたそうです。従ってその漁師の鰯は市場で高く売れたとのこと。その老いた漁師が亡くなった後、船を調べてみると生け簀になんと淡水魚のナマズが泳いでいたそうです。生け簀にナマズがいることで鰯は危険を感じ適度な緊張感を持ちアドレナリンが分泌して活き活きしていた、という有名な話です。
藤田湘子氏が述べられている「俳句形式の恩寵」である有季定型と切れ字という洗練された箱に、男尊女卑という今なお残る悪弊と戦いながら、堂々と自己主張する女流俳人たちの作品を見てゆくこととします。4TプラスH ( 杉田久女)とM( 鈴木真砂女)を取り上げます。なお鈴木真砂女さんについては、すでに「蛍の句」の章で取り上げているため、彼女が御年92歳にして蛇笏賞を受賞した際のスピーチの抜粋をご紹介することとします。
中村汀女
外にも出よふるるばかりに春の月
やはらかに金魚は網にさからひぬ
花落とし終へし椿の男ぶり
星野立子
父がつけしわが名立子や月仰ぐ
水仙の花のうしろの蕾かな
障子しめて四方の紅葉を感じをり
橋本多佳子
七夕や髪濡れしまま人に逢ふ
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
雪はげし抱かれて息のつまりしこと
三橋鷹女
この樹登らば鬼女になるべし夕紅葉
墜ちてゆく炎える夕日を股挟み
白露や死んでゆく日も帯締めて
鈴木真砂女、
「…百歳まで後七年四カ月、自信はあります。百歳になったら次の第八句集を出すつもりです。その句集の中に恋の句が、さあいくつくらい入るか…」
女流俳人というと、「女性らしい繊細な感性」「女性らしい柔らかな表現」「女性らしい細やかな思い」などと形容された評論に満ち溢れています。それはさしずめ差別用語のようにも思われます。ここに取り上げた女流俳人の句や人生の軌跡をたどれば、もはやジェンダーの違いを超越しているようにも思えます。社会や家庭や生活の中のストレスと戦いながらも、すっくと立って自らを主張する女流俳人の句や言動にふれるほど、このままではいけないと思わずにはいられません。
ジェンダーは記号のひとつ風光る 秀四郎