俳句随想

髙尾秀四郎

第 59 回  絶滅危惧種季語・冬


童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日とはなれり   夏井いつき

冒頭の句の説明は後に譲り、冬は冬のスポーツやアウトドアの楽しみ方はあるものの、やはりインドアが中心になるのではないかと思います。特に寒さが厳しく、雪という行動を制限するものが大量に降る地方においては、行動の前に除雪や雪下ろしなどという、まともな生活をするための下準備が必要になるため、その後はもう疲れ果てて室内で休むという流れになるのではないでしょうか?それゆえ北国の冬にはたくさんの夜話が語られてきたのだろうと思います。今年の夏、恒例となっている風遊会という東北の方々との交流の会で岩手に行き、盛岡でさんさ踊りを見、遠野では語り部から遠野言葉で民話を聞く機会を持ちました。その遠野にある道の駅で目にした遠野に関連する昔話の本の中に「おらおらでひどりいぐも」( 若竹千佐子著)という本を見つけました。若竹氏は岩手県遠野市生まれの主婦で、受賞当時63歳。55 歳から小説を学びはじめて7年後( 平成29年)にこの作品で芥川賞を受賞されたとのこと。民話の故郷、遠野の言葉を巧みに駆使し、自らの深層に潜む、遠野言葉でしか表現のできない思いや記憶を三人称で語らせながら自らと対峙する手法で時空を超えたよしなしごとを書き綴った作品でした。この作品を読んで方言でしか語ることのできない心情があるのではないかと思いました。作中の人物像が70代の夫を亡くした女性であり年齢が近いという点からも、実にほっこりとする作品でした。

冬はまたおしゃれの季節であると思っています。冬場は重ね着やその他の季節には身に付けないコート、マフラー、手袋等を身に纏うことから、おしゃれの人には嬉しい季節かと思います。「おしゃれ」または「粋」と呼ばれる行動にはコツがあると思っています。その本質は「無理」であり「やせ我慢である」と思っています。例えばコートを例に取れば、おしゃれのコツは、まだ寒くない時期に多少の暑さを我慢してコートを着ます。また春が近づく頃には多少の寒さを我慢して早めにコートを脱ぎます。その心意気が「おしゃれ」であり「粋」に通じるのではないかと思っています。しかし、近頃の自分を振り返るとすっかり「粋」ではなくなりました。寒くなってようやくコートを出し、春の前には寒さに耐えられずずるずるとコートを手放せません。今年の冬は意を決して元に戻し、「粋」に行こうかと思っています。 季節には色があります。高松塚古墳の天井に描かれていたものは方位と動物を組み合わせたもので、それぞれが色を持っています。春は青、夏が赤、秋が白、そして冬は黒です。季語にも青帝、赤帝、白帝、黒帝が春夏秋冬に配されています。どの季節に生まれたかどのような性情の星が付いているかによって変わるとは思いますが、自分自身について言えば、暦の上では2月の節分の後なので、春であり、色は青ですが、好みとしては黒で、黒いものを身に纏うと気持ちが落ち着きますし幸せな気分になれることから、自分としては黒をハッピーカラーと考えています。

さて、冬の希少季語です。今回は多少想像の付く希少季語が含まれています。青写真(あおじゃしん)=日光に当てると絵が浮き出す子供の玩具「日光写真」ともいう。かつて夢中で読んでいた少年雑誌の付録に付いていました。

一丁潜り(いっちょうむぐり)=鳰( かいつぶり、にお)の異名。

液雨(えきう)=時雨の別称

髪置(かみおき)=陰暦十一月十五日に行う行事で、二、三才になった子供が初めて髪をたくわえる儀式。

青女(せいじょ)=霜の別称。霜や雪を降らせるという女神のこと。

童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日(どうていせいまりやむげんざいのおんやどりのしゅくじつ)=聖胎節の傍題。しかしキリスト教徒はむしろこちらの方が正しい表記と考えているとか。26 音の季語を季語としている例句があろうはずもなく、夏井いつき氏が「じゃあ私が。」と無理やり詠まれた句が冒頭の句になります。この難敵の季語をようやくねじ伏せた感のある句ではあります。

流黐(ながしもち)=鳥黐(とりもち)を木の枝や縄に塗ったものを、水面に流し、それにくっついた水鳥をとらえる方法。

負真綿(おいまわた)=下着と上着の間に袋真綿を背負い、ガーゼなどをかぶせて使った防寒衣。

回青橙(かいせいとう)=橙の異名。果実をもがずにおくと、翌夏には緑に戻ることからこの名称が付いたとか。

夜興引(こよびき)=冬の夜、猟のために犬を連れて山に入ること。

そして冬の希少季語の中で遺したい季語として次の2つを挙げておきます。

社会鍋(しゃかいなべ)=キリスト教救世軍が年末に実施している街頭募金。

埋火(うずみび)=火鉢など灰の中に埋めた炭火のこと。

社会鍋は今でも渋谷辺りの駅頭で年末に見かけますし、今さまざまなシーンでその存在感を示しているボランティアの元祖のような存在として、以前から尊崇の念を抱いておりました。埋火の方は様々な思いを託すことのできる季語であるため、希少季語に指定されても残したい冬の季語のNo.1です。ちなみに我が家には長火鉢があり、冬には炭を熾して南部鉄瓶で湯を沸かし、お銚子を入れて熱燗にして呑むのを楽しみにしております。

冬の希少季語の項の最後は冬の自選句で締めくくりたいと思います。
仕事を終えて疲れていることもあって捨てるように脱いだコートの方を振り向くと、へたり込んだ抜け殻のようなコートがぐしゃっと横たわっていて、あたかも今日ひと日の激務をとりとめもなく独りごちているように見えます。そんな自分の抜け殻に対して「大変だったね。お疲れ様。」と声
を掛けている自分がおかしくもあって…。

脱ぎ捨てしコートの愚痴を聞いており  秀四郎