俳句随想
髙尾秀四郎
第 52 回 俳句とミステリー
今回は通底するものがあるように思われる俳句とミステリーについて述べたいと思います。
冒頭の3句は共に芭蕉の句ですが、この3句の通りに殺人が行われるという推理小説がありました。横溝正史の「獄門島」という作品です。探偵の金田一耕助が戦友であった鬼頭千万太(きとうちまた)の戦死の知らせを持って彼の故郷である瀬戸内海の獄門島に行き、そこで千万太が懸念していた通りの殺人事件が発生して、その犯人を炙り出すというお話です。
島の寺の了然和尚が、千万太の腹違いの三姉妹の一人である花子が殺された現場で「きちがいじゃが仕方がない」と呟き、金田一耕助はその言葉を「気違い」と解釈するのですが、実はこれが「季違い」であったことに気付き、一気に事件の謎が解き明かされるという筋書きになっています。三姉妹は何者かに次々と殺されますが、冒頭の句は2句が秋で、一句だけ春です。従ってほぼ同時期( 秋)に起こった殺人でありながら、鶯の句になぞらえての宙吊りの殺害だけが「季違い」になってしまったという組み立てになっています。
ミステリードラマにはしばしば予告殺人が取り上げられます。その予告殺人のメッセージとして、上記の「獄門島」のように俳句が用いられる場合があります。確かに俳句は世界最短の詩型であるだけに、可能な限りの省略や象徴化、喩え、擬人化などがなされていて、いかようにも解釈することができます。その意味で俳句自体がミステリーと言えるかと思います。
ミステリーが俳句と絡んだ作品ばかりを集めた「俳句殺人事件」という本があります。当代の物書きの名手達12人によるアンソロジーです。その編集をした評論家で俳人でもある斎藤慎爾氏は序文にこう書いています。「俳句にはミステリーが似合う。いやミステリーに俳句が似合うのかも知れない。俳句:それ自体がダイイングメッセージのようなものである。」として芭蕉の言葉を引用し、『芭蕉は「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、わが生涯いひすてし句は一句として辞世ならざるはなし」と言い切ったが、俳句はすべてダイイングメッセージだという私の説にぴったりの発言である。』と書かれています。この本の中の俳句との接点は、俳誌をめぐる読者つながりで出来た人間関係を利用した殺人や、吟行会が殺人の場となる話、死者が床に血で書いたカタカナでの蕪村の一句に殺人の謎が隠されている話、冒頭に俳諧武玉川の一句を掲げ、その句の暗示するストーリーを展開させるもの、小林一茶を探偵役にした時代物、俳句の宗匠を探偵役にしたものなどがあります。芭蕉を登場させ、芭蕉と与力と岡っ引きが地方の藩のお家騒動に絡む殺人事件を解明するお話は、そのクライマックスの場面が森下町(我々が句会を開いている江東区森下)の長慶寺という今も実在するお寺の境内でした。このように物語のいずれかに俳句を絡ませたミステリーとして綴られています。その中でも、作者がミステリーとも俳句とも最も遠いと思っていただけに、その意外性と、内容としても俳句との関係が最も濃厚であった作品は、五木寛之の「さかしまに」でした。
この作品のストーリーを概説してみます。
ロシア語の翻訳家である主人公の友人で、かつて付き合いのあった女優から、女優の母親と離婚して知らぬ地において亡くなった父親のことを調べて欲しいと頼まれます。そのきっかけとなったのはスリの老人が、記者の振りをしてテレビ局のロビーで女優に「父親の思い出を聞く」という嘘のインタビューでした。主人公が友人の出版社の伝手を使って調べてみると、女優の父親が、戦前かなり有力な俳人であったこと、しかしある時期から忽然と俳壇から抹殺されたような扱いを受けたこと、しかも偶然にその父親とスリの老人とに接点があったこと等から物語が動き出します。女優の父親は、京大俳句事件に絡んで、官憲から俳人の情報や俳句の反社会性を無理やり引き出すことで反社会的分子として検挙する手伝いをしたという疑いを持たれたため、戦後、俳壇から排除されることになったというのが表向きの経緯でした。しかし、そこには裏があり、黒幕の俳人と官吏が女優の父親を利用し、片や俳壇での自分と異なる派閥の掃討に、片方は中央官庁での出世のために仕組まれていたことが暴かれてゆきます。物語の展開の過程では、何故京大俳句事件が起きたのかについて、かなり詳細に、かつ俳句に造詣がなければ分からないような機微に触れながら、その経緯が述べられていて、五木寛之がこの作品のために相当な時間と情熱を注いだことが分かる作品でした。
この作品は、実際の事件をベースにした物語であるだけにリアリスティックでしたし、内容としても俳句を嗜む者にとって大変興味深いものでした。この事件が発生した時期は日本が太平洋戦争に突入する直前であり、そこに至る歴史上の出来事を振り返っても、次の年表のように、日本が戦争へとなだれ込んだ感のある時期と重なってもいました。
一九三三年 京大事件(滝川事件)
一九三五年 天皇機関説で美濃部達吉が
貴族院議員の地位を追われる
一九三六年 二・二六事件
一九三七年 日華事変
一九三八年 国家総動員法
一九三九年 ノモンハン事件
一九四〇年二〜八月 京大俳句事件
一九四一年十二月八日 太平洋戦争開戦
この一篇と年表を見ながら、文芸もまた時代の流れには抗し得ないものであることを思わずにはいられませんでした。
さて、冬男師の事件記者時代の句に次のものがあります。「襟寒し死者の写真を抱き戻り」 事件の真相を追っておられた若き日の先生のお姿が偲ばれる句です。
秋の夜や師の句の裏にミステリー 秀四郎