俳句随想
髙尾秀四郎
第 45 回 俳句と短歌について
悲しきほど美(は)しき珊瑚の島々の
信じ難きはかつて戦場 秀四郎
冒頭の一首はかつて夏の沖縄に行き、本島からさらに離島へ向かった飛行機の中で詠んだものです。当初、俳句にしようと思っていたのですが、詠みきれず短歌になってしまいました。短歌は季語が要らず、加えて下の句(七、七)が付けられるのですから相当なことが表現できます。言いたいことが多い場合には短歌は実に便利です。
俳句と短歌の違いは形式的には①17音と31音の違い、② 季語の要否、③ 切れ字の要否の3点になります。しかしこの形式の違い以上に大きい違いが題材の取り扱い方にあるようです。
俳句と短歌の比較について、詩人や学者の論評を読み比べてみた結論として言えることは、俳句と短歌には「親和性はある」ものの「共通性はない」ということかと思います。短歌は上の句と下の句を持つ故に具体的な事象に加えて感情までも述べることが出来るので自己肯定的で自己完結性があります。しかし俳句は下の句がなく、感情までも述べることができないため、季語に一人二役を負わせ、「切れ」によって言外のことを読者に想像させ推測させるという方法で感情を述べているということです。これは第28回の「俳句と人生」でご紹介した中村草田男の「俳句の二重性」にも通底します。
両者に「親和性がある」という意味において、詩人たちは様々な試みをしており、俳句から短歌に短歌から俳句にとその作り変えをしています。まず、すでに他の稿でもご紹介した寺山修司の俳句と短歌を見てみます。
父と呼びたき番人が棲む林檎園
わが通る果樹園の小屋いつも暗く
父と呼びたき番人が棲む
ラグビーの頬傷ほてる海見ては
ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし
自由をすでに怖じぬわれらに
次に塚本邦雄の俳句と短歌を見てみます。
凍雪に雪ふりつもる夜の娶り
館いま華燭のうたげ凍雪に雪やはらかくふりつもりつつ
火口湖の底なる貝の死の螺旋
アルカリの湖底に生(あ)れて貝類は
きりきりと死の螺旋に巻かれ
寺山修司は初めに俳句を作り、それを土台として短歌に変えているようです。塚本邦雄は短歌をまず詠み、そこから俳句が詠まれているようです。
私は、かつて作句の際の工夫として、次のような方法を試していました。① 文章としてしたためた後、その文章を句とすべく煮詰める。② 取り敢えず短歌にしておいて、それから7・7をそぎ落として5・7・5とする。
もう一つ、短歌で詠んだことを俳句で詠むための工夫として次の方法も考えられます。それは「ト書き」と「連作」の活用です。例えば、冒頭の短歌に対して次のように短歌の内容を表現できるかと思います。
夏の沖縄三句
戦ありし珊瑚の島を巡る夏
悲しみの白砂の島や南風の吹く
晩夏光記憶の底の反戦歌
しかし、この「ト書き」と「連作」作戦をもってしても、季語が要らず一首で31音を一気に使える短歌には、自己完結するという意味で、太刀打ちできなかったというのが正直な感想でした。つまり、俳句と短歌を異なる表現のツールと考えれば、用いる場面が異なるということになります。
日本における俳句と短歌は、明治期に至って、正岡子規が、当時俗化し堕落していると見られていた和歌( 短歌)の中の短歌及び連句の発句である俳句を切り出し、その改革を断行して芸術の域まで高めたことで生まれ変わりました。正岡子規は、俳句では芭蕉を批判し、蕪村を評価しました。和歌では万葉集を評価し、新古今やその撰者の藤原定家や、紀貫之さえも批判しています。
目を隣国の韓国に転じると、そこにもまた日本の短歌や俳句に相当する詩歌があります。かつて、冬男師とご一緒した韓国への旅において、ソウルのスウェーデン大使公邸で開催された日韓の文人交流会において、韓国の高名な詩人、高コ・ウン銀に伺ったところによると、韓国にも昔から短詩形があり、46文字からなる「時調」と18文字からなる「民調」があること、しかし近代に至って、韓国には正岡子規のような詩歌の改革者がいなかったため、今では過去の遺物としてしか残っていないとのことでした。そう考えると、正岡子規の改革は相当に価値あるものであったと言わなければなりません。
しかし正岡子規は当時欧米で新たな潮流となっていた自リ アリズム然主義や客観写生を前面に出し、客観写生こそが詩歌を芸術に高めるあり方として喧伝しました。
しかし日々の作句でお気づきの通り、世には客観写生だけでは詠みきれないものが多々あるのもまた事実です。詩歌を自己表現のツールととらえるならば、俳句も短歌も用い、時には写生句を、またある場面では心象句を自由に詠み分けるという姿勢が必要と思います。その意味で、私は次のように思います。
「俳句や短歌という門や囲いをつくるのではなく、必要に応じて自由に往来して良い。詩、韻文の目的は個人の精神や思考の発露としての「表現」にあり、より表現しやすいツールを用いて表現すべき。それ故、俳句、短歌にとどまらず場合によっては川柳や狂歌、自由詩とすることをも躊躇うべきではない。」と。再度冒頭の短歌を俳句にしてみました。やはり相当に無理がありそうです。
戦ありし白砂の島を巡る夏 秀四郎