俳句随想
髙尾秀四郎
第 44 回 佐々木彩女さんを偲んで
伸びんとすただひたすらに麦青む 彩女
冒頭の句はあした俳句道場の平成27年4月の句会で私が選者となり、兼題「麦青む」で特選に選ばせていただいた句です。選句は作者の名前を伏せた上で選ぶため、思わぬ人を選ぶ場合があったり、ある程度句柄や句の特徴から、もしかしたらあの方の句かも知れないと推測して選ぶ場合があります。この句に関しては作者が誰であるか全く予測しておりませんでした。この句の作者は本年2月7日に逝去された佐々木彩女(本名・佐々木芳子)さんです。句は体を表すと言うと、反論もありましょうが、確かに句柄や格調の高さが俳句にはあり、それは隠しようのないものであると思います。
彩女さんの、仏式で言う「通夜」に当たるキリスト教式の「前夜式」が2月12日にあり、列席した際にいただいた小冊子の略歴欄には大要、次のような記述がありました。
「1931年(昭和6年)9月8日東京目黒区で出生、早稲田大学教育学部を卒業後、日本電報通信社(現、電通)に入社、民法番組やCM及び各社のイベントやショーをはじめとして大阪万博の企業パビリオンや各種団体のプロモーションを手がけ、電通を定年で退職後も大学や研究所で講座を持ち、セミナーの講師を歴任。俳句、水墨画、オペラ、歌舞伎など趣味も多彩で、初の句集「彩」の出版を予定していた。」
彩女さんが遺されたエッセイ集「女主人(おんなあるじ)のいる店」(昭和61年刊、文化出版局発行)の中の後書きには、まだまだ社会も会社も男尊女卑の時代で、キャリアの女性社員のいない時代にあって、彩女さんが男性顔負けの活躍をされていた様子を、作家の夏樹静子さんが次のように書かれています。「キャリアウーマンという呼び方も当時にはまだなかったが、私にとって彼女はまさしくそのイメージと、同時に、広告代理店・電通という会社のとびきり現代的なバイタリティのようなものを、鮮烈に印象づけてくれた最初の女性であった。‥」そして、民放テレビ放送の初期の料理番組すべてに彩女さんの手がかかっていると言われるほどのグルメぶりを評して「‥彼女といっしょにいるとおいしいものにありつける、というのが仲間内の定評だった。」と書かれています。このエッセイ集の中には、取り上げられたお店の女将さん達の写真も掲載されています。そのどれもが愛らしく、暖かく、心を開いた表情をしているように思われます。きっと彩女さんからのインタビューの中で、すっかり彩女さんの人間性に惹かれ、今まで誰にも話さないことまで話してしまい、他人とは思えなくなった表情としての笑顔なのだと思います。
その中の一章は銀座の小料理店「卯波」の女将で俳人の鈴木真佐女さんに充てられています。私がかつて俳句随想の「蛍の句」の中で鈴木真佐女さんを取り上げた時、彩女さんから、この本の紹介を受け、お貸しいただいたことがありました。その中で鈴木真佐女さんの飾らない普段着の表情が活写されていて、とても敵わないと思ったものでした。
彩女さんが入院されていた本年1月16日(亡くなる20日前)の土曜日にあしたの会の数名とお見舞いに伺いました。真っ先に病室に入った私の目に映ったのは、パジャマ姿で椅子に座り、両足を別の椅子に乗せ、ヘッドフォンをして森繁久弥の社長シリーズのDVDをご観になっているお姿でした。丸でテレビ局のディレクターのようなそのお姿が微笑ましく、ちょっと笑ってしまったほどでした。その日、一時間をゆうに超える時を、彩女さんが女性だけで旅した文化大革命下の中国の話や飲酒運転の話等テープにでも残しておきたいような楽しいお話に大いに笑い、こちらがお見舞いをされているような錯覚さえ覚えるほどでした。さすがにお疲れになるだろうと考え辞させていただくことにしましたが、その病室を出る時、「ありがとうございました。」という凛としたお声が、彩女さんからいただいた最後の言葉となりました。その声が今も耳底に響いています。その響きに心の中で『「こちらこそ」ですよ、彩女さん。』とお応えしても、もう返事はいただけません。ただただご縁をいただき、お会いできたこと、俳句という文芸に浸り、意見を交わすことができたことを感謝するばかりです。
彩女さんが手にすることの出来なかった句集「彩」の最終原稿の中からご主張と句を少し拾わせていただきます。
「好きな言葉」禍福は糾える縄の如し
「将来の目標」淡々と消えたい。イメー
ジだけは華やかさを残し…
「俳句とは」日本語の限りなき奥深さ
あらがいし母の背丸き夜寒かな
高齢なれば薄うす氷らいほどの恋をして
日の丸よもっと胸張れ建国日
花の頃肌恋しきも業なるか
桐の花会津の誇り掲げ咲き
梅雨の星結びそこねし赤い糸
紫陽花のここにも咲くや大女将
吾が名など知れずともよし秋の草
黍嵐見つけてほしいかくれんぼ
時雨忌に誘はれしまま北帰行
あしたへと夢託し落つ寒椿
近頃、あしたの会の方々が集うと自ずと彩女さんのことが話題に上ります。人には目に見えない人を惹きつける「気」のようなものがあり、彩女さんは飛び切りの「気」を持っておられたように思えてなりません。繰り返す波のように時にはうねりとなりながら、彩女さんは私達の胸の中に繰り返し現れることでしょう。
前夜式の中でご紹介をいただいた弔電の中の追悼句をもって本稿を締めくくりたいと思います。
凍返る彩(さい)ある女ひとを目裏に 秀四郎