俳句随想

髙尾秀四郎

第 43 回  お金にかかわる季語について


家計簿の数字ぱらぱら納税期  冬男

 冒頭の句は「あした季寄せ」の「納税期」の季語の箇所に収められた冬男師の句です。同じ箇所に白根順子さんの次の句も収められています。「生きべたの女が納む春の税」

 あした季寄せには概ね五千二百程の季語が収録されていますが、お金や経理、財政に関する季語は皆無に等しいと思っています。あるとすれば人事に分類される季語になるはずで、そもそも人事の分類自体が「行事、衣、食、住、農耕・狩猟、情緒、忌日」ですので、お金の季語が入り込む余地がありません。しかし人事の季語のどれもが、その背後にはお金の裏づけがあります。 しかし直接的にお金のことを季語とし句にしないのは、日本人がお金を前面に出すことをはしたないと思うことと、俳句の世界では言わずもがなという暗黙の了解があるからではないかと思っています。そんな季語の中でお金に絡む仲春の季語として「納税期」があります。そして敢えてお金に絡む季語を探すならば「夏期手当」、「年末賞与」、即ちサラリーマンの賞与があります。そして流石に年末を含む仲冬の人事の季語には先の「年末賞与」に加えて「年貢」(これは現代では使えないので、回顧や史実としてしか使えません。)と新年の「お年玉」があります。今回、季寄せを一通り見直しましたが、それ以外にお金に絡む季語はほぼ見当たりませんでした。

 今回は、俳句や季語という点ではその反対の極に位置付けられていると思われるお金について述べたいと思います。納税期はあっても決算期は季語にありません。それは決算期が国や地方自治体こそ三月末と決まっているものの、その他の組織においてはかなりバラつきがあり、三月末とは特定できないからです。私は一応会計や経理の専門家になるべく、かつてその道で学んだことがあり、その折りに、教授からいただいた言葉の中に「生きとし生けるものの活動があるところには必ず会計がある」というものがありました。個人の家計に始まり、企業会計、病院や学校の会計、公共団体の公会計、国の国家財政と、ありとあらゆる活動に会計があります。それはそれぞれが目指す、例えば家計であれば「家族の幸せ」や企業であれば「利益の獲得と社会への貢献」、国家であれば「国民の幸福と安全及び文化の向上」等が上げられます。それらの目的のためにお金がどう入ってきて出て行くのかを把握し、分析し、次の行動に結び付けるものが会計であり、基本的に金額で表現されます。

 磯田道史氏がまとめられた「武士の家計簿」という本は金沢藩(加賀藩)の経理を担当していた猪山家の古文書から、幕末から明治にかけて生きた武士の36年間に亘る激動の時代をどう生き抜いたかという観点から紐解いた書です。収入は俸禄として石高で示され、支出には消費した米の石高、家族へ渡した生活費や交際費、医薬品代、家作の修繕の支出などが並んでいます。また家計に不足する場合の借入れやその後の返済も財務的収支として記載されています。その家計は時代の変遷によって、いわゆるリストラに遭って減給され、子供の結婚や離縁によって影響を受け、やがて明治維新の後は、利回りを勘案し、農地を買うよりも市内に家作を買って貸家にする方が得策と考えて貸家経営に踏み切る意思決定をしてもいます。そのような行動が克明な数値によって示されています。客観的な数値は雄弁にその時点での苦悩や期待をも物語っていて、、文章にはない圧倒的な説得力を持っています。

お金にまつわるお話をもう一つ。偽札のお話です。ある日親友が偽札を作り発覚しそうだからという理由で、偽札を持っていて欲しいと頼まれます。大きなリスクを背負い込むことになりますが、その男は偽札を受け取り、自宅に隠しておくこととします。しかしやがて親友には司直の手が及ぶこととなり、男は親友の逮捕の報に接します。すでに親友が逮捕されたことから、自宅に隠し持っていた偽札を、事情を話して警察に届けることとします。数日後男は警察から、鑑定の結果、届けた偽札が本物の紙幣であったことを知らされます。そのことによって、男は貨幣偽造幇助という罪からは逃れられましたが、一方で信頼や友情という無形の財産を失うこととなります。本物は偽物よりも価値があり社会で正当に評価される一方、個人の人間関係の中ではむしろ偽物の方が価値を持つことがあること、即ち価値とは人の関係性の中で意味をもつこと、を示唆しているというお話です。

 俳句に対して存在する川柳と同様に、和歌や短歌に対して存在する狂歌の中には普遍的な(?)下の句があります。「~それにつけても金の欲しさよ」です。実に何にでも付きます。「大吟醸飲んでみたいと思いおりそれにつけても金の欲しさよ」「愛妻にダイヤモンドのプレゼントそれにつけても金の欲しさよ」「休みには温泉宿で水入らずそれにつけても金の欲しさよ」…お金は有難いものであると共に、恨みつらみの対象ともなり得るようです。

 「お金が全てではない。」という言葉は誰も否定しない、間違いのない真実です。しかし一方でかなりの悩みや問題はお金で解決できるということもまた明らかな真実です。お金を表す数値は単なる数の集合体に過ぎませんが、似通った人々や組織の間での比較を可能にすると共に、共通の物差しとして行動を捕らえ、次の行動のヒントを与える捨てがたい手段ではあります。

 ともあれ、三月は事業主、会社経営者、税金還付を受けられる方々にとって、税の申告をする季節になります。過ぎた一年を数字にまとめて見直すと、また違った自分が見えるのかも知れません。本稿の最後は、冒頭の冬男師の句と共に「あした季寄せ」の「納税期」に収録されております拙句をもって締めとさせていただきます。

納税期数字が語る我が生活(たつき)  秀四郎