俳句随想
髙尾秀四郎
第 36 回 江戸・東京を詠む句
鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春 其角
冒頭の句は芭蕉の門人でもあった宝井其角の句です。其角は寛文元年(一六六一年)日本橋堀江町の医者竹下東順の長男として生まれ、恵まれた家庭に育ち、少年の頃から、医学、経済、書道を学ぶ才気煥発な人物であったようです。そしてわずか十四歳にして芭蕉に認められ、たちまち高弟のひとりと数えられるようになります。酒豪で蕩児でもあった彼は芭蕉とは正反対で、他の門人からは問題視をされていたようですが、芭蕉は彼を随分と買っていて擁護をしていたようです。其角の作風は軽妙洒脱、庶民的な滑稽さも兼ね備えていたために人気は抜群であったとか。冒頭の句は江戸の賑わいを、地方であれば何年、何十年に一つも売れないような鐘が売れない日など一日もない、と詠んでいます。そもそも鐘は燃えても残ります。従って新たなお寺が出来ない限り買い手は付きません。それが毎日売れるというのですから、江戸の繁栄の程が知れます。確かに江戸の人口は18世紀の初頭に100万人を超えたと推定され、当時のロンドンが86万人、パリが54万人と聞けば、その規模からも需要の大きさが測られると思います。
私事に亘りますが、もう東京に住み始めて50年を悠に超えました。私にとって東京は間違いなく第二の故郷です。当時の東京には路面電車が走っていて新宿の駅ビルが工事中でした。青山は草深く、六本木も俳優座の付近等暗く寂しい町でした。それを劇的に変えたのは東京五輪でした。急ぎすぎた開発が産んだ矛盾や無理が露呈し、やがてその見直しもなされました。このところ東京駅が空襲で破損する前の姿に復元され、歴史的な建造物も、それぞれの古い部分を残しながら新たな建替えが進められるようになって、落ち着きのある街に変わりつつあります。そして今また2020年に再び東京五輪が開催されることとなりました。また一皮剥けるような発展があるのでしょうか。今回はその、かつては江戸と呼ばれて、今は東京と呼ばれるこの地を詠んだ句について述べたいと思います。
山下一海氏と槍田(うつぎだ)良枝氏が書かれた「俳句で歩く江戸東京」という本の中には、句に含まれる地名から、さもありなんと思える句がある一方で、著名な句が意外な場所で詠まれていたことも分かります。以下、その句が詠まれた地名と句及び作者を記してみます。
(中央区)佃島渡しの跡や鳥曇 石川桂郎
(中央区)勝鬨橋梁撥ね上りたり炎暑 永井東門居
(台東区)牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな 正岡子規
(中央区)銀座すずしゆき交ふをみな花にも似 上村占魚
(千代田区)書を求む神田はすでに喜雨の中 角川源義
(港区)青山の墓地の空なる花火かな 京橋杞陽
(台東区)吉原のある日露けきとんぼかな 久保田万太郎
(台東区)二科を見る石段は斜めにのぼる 加倉井秋を
(新宿区)新宿ははるかなる墓碑鳥渡る 福永耕二
(大田区)本門寺野分に太鼓打ちやめず 川端茅舎
(千代田区)ニコライの鐘の愉しき落葉かな 石田波郷
(世田谷区)ぼろ市の寡黙日あたる臼の腹 中島斌雄
そして意外と思えた場所と句は次の三句です。
(江東区)古池や蛙飛び込む水の音 松尾芭蕉
(足立区)痩せ蛙まけるな一茶これに有り 小林一茶
(港区)降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
「古池」の句の池は芭蕉庵のそばであったようです。また一茶の「痩せ蛙」の句は門人と連れ立って今の足立区竹の塚まで蛙合戦を見に行って詠んだ時のものとか。そして「降る雪」の句は東京帝国大学の学生であった草田男が昔通った青南小学校(港区)を訪れた雪の日に詠まれたもののようです。日常的に通過するこのような地で名句が詠まれていたことに驚きと親しみを覚えます。
冬男師の句で東京を詠んだ句は記者時代のものに多く見受けられます。
寒燈守る東京の灯に遠ざかり
移り来て都の夜霧かくも濃き
一句目は昭和30年、2句目は昭和36年のものであり、埼玉の支局に記者として勤務し、文学と東京が遠ざかる多忙な日々を歎いておられた時期の作のようです。
歌謡曲の世界でも都市をテーマにしたものが数多あります。地名で最も多いのはもちろん東京です。二番が長崎であることはさておき、東京を歌った曲には古くには東雲節、東京行進曲、東京ラプソディー等があり、その後では東京ナイトクラブ、ラブユー東京等が続きます。今年亡くなった関西のタレント、やしきたかじん氏の「東京」、マイ・ペースというバンドの「東京」は奇しくも関西や地方の男女が東京で出会った人と恋をし、今は別れて、遠くから恋情を募らせているという曲です。日本の人口の1割に達した東京は、好むと好まざるにかかわらず、関わらざるを得ない土地になっているようです。それだけに今後詠む機会も多いのではないかと思います。
九州に生まれた私にとって東京は年に1、2度とは言え大雪も降る、やはり寒い地であり、まだまだ興味の尽きない地です。そして愛すべきこの地のことももっと詠んでみたいと思っております。
その夕べ消ゆ東京の雪兎 秀四郎