俳句随想
髙尾秀四郎
第 33 回 日本の夏を詠む句
直立の八月またも来たりけり 小島 健
冒頭の句は新潟生まれで、岸田稚魚に師事し、稚魚没後は角川春樹に師事して様々な賞を獲得した、比較的若い俳人である小島健の句であり、現代俳句文庫『小島健句集』(2011年)に収められている一句です。日本の夏は五月の爽やかな初夏に始まり、六月の梅雨という特別な雨季を経て七月の晩夏までを指します。しかし実際には、八月の立秋の頃が最も暑い時期であり、学校の夏休みも八月がメインの部分を構成しています。但し、俳句においては、暦の区切りを重視するため、立秋後は、句会でも吟行会でも秋の季語を用いて句を作ります。そしてまた句を作る立場で見ると、八月の立秋以降は確かに猛暑でありながら、朝夕は秋めいてきますし、秋を感じることが日を追って増えてきます。また、第二次大戦以後、現在の人口の78%が戦後生まれとなった今、八月十五日の終戦記念日の前に広島・長崎の原爆忌があり、その後には東北はもちろんのこと、全国で夏祭が催されます。東北の祭りには今回の東日本大震災の慰霊のために生まれた六魂祭というオール東北の祭りも加わりました。このように日本の八月は暑くかつ厳粛な鎮魂の季節でもあります。冒頭の句は戦後の日本がその八月に背負うことになったものを、象徴的に詠んでいるという意味で選びました。日本の夏はまた高温多湿です。冷房機器がなかった昔の夏は想像を絶する暑さであったと思います。徒然草の第五十五段の「家の作りやうは、夏をむねとすべし」に書かれているように、日本の家は夏を過ごせるものをまず基本にすべしとしています。夏はまた最も季語の多い季節でもあります。それだけ人やさまざまなものの活動が活発であるからだと思います。その分忘れられた、もう使われない季語が最も多い季節でもあります。
ところで、鎮魂という観点から、人が死ぬのは、自らが生まれた月かその真反対の月という説があります。しかし実際にはその通りにならないことが多く、身近な人でそうではなかった方々を多く見てきました。しかし、何故か自分としては、生まれた二月またはその真反対の八月、特に八月に黄泉の国に旅立つような気がしています。縁起でもない話で恐縮ですが、何故か自分としては八月こそが終焉の月と思い込んでいる節があります。それは一種の夢想であり、夏の終わりが自らの死にふさわしいと漠然と思っているに過ぎません。西行の「願わくば花の下にて…」に近い思いと言えなくもありません。そして、もう一つ、自分が生まれた月の前後または反対の月に生まれた人に親友と呼ばれる人や気の合う人が多いのもまた不思議です。人が満ち潮の時に生まれ、引き潮の時に死ぬこと、即ち天体の運行と人の運命には何らかの関連があるということにつながるのかも知れません。 そんな、自分としては終焉の月になるかも知れないと、勝手に思っている日本の夏を詠む句を幾つか拾ってみようと思います。 何人かの俳人に登場していただきます。それも時代を超えた人選をしてみました。何故ならば、日本の夏を通して俳句の変わりようも見たいと思ったからです。この人選も選句も自分の好き嫌いで選びましたので確たる基準はありません。
まずは松尾芭蕉です。江戸の元禄期に活躍 し、俳諧を芸術の域まで高めた人物です。
あらたふと青葉若葉の日の光
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
此のあたり目に見ゆるものは皆涼し
次に良寛和尚です。庶民派の僧侶で辞世の句に「散る桜残る桜も散る桜」があります。
かきつばた我れこの亭に酔ひにけり
鳰の巣のところがへする五月雨
鉄鉢(てっぱつ) に明日の米あり夕涼
近代に進んで山口誓子です。京大三高俳句会、東大俳句会と学生の頃から句作に没頭し、戦前戦後を通じ新興俳句運動の中心的存在であった人物です。
ピストルがプールの硬き面にひびき
炎天の遠き帆やわがこころの帆
夕焼けて西の十万億土透く
さらに鈴木真砂女です。道ならぬ恋に生き た銀座の小料理屋の女将です。
浴衣のまま行方知れずとなるもよし
とほのくは愛のみならず夕蛍
死にし人別れし人や遠花火
そして宇咲冬男。新聞記者から俳句を業と して生きた俳人であり、我が俳諧の師です
病葉落ちてこころの傷に重なりぬ
蛍とぶ鳴けぬさびしさ闇に曳き
父も浴びざり西方の大西日
夏が絶え難く暑く、また開放的な季節であり、つい本音の出る季節とするならば、江戸期の俳句と近現代の俳句との間には大きな違いがあると思います。一つは俳諧味の有無です。もう一つは近現代の句がSophisticatedとでも言いますか、よく言えば凝った、悪く言えば技巧的であるように思います。
時代が進むと、感情を表現する抒情や心象を表現する句が増えてきています。それだけ生きることが難しくなってきているのでしょうか。万葉集と古今・新古今との対比を引き合いに出せば、素朴で人間哀歌をのびのびと歌った万葉集に対して、古今、新古今と進むにつれて技巧や虚構の歌が増え、やがて万葉に帰ろうという機運が高まりました。これからまた再び江戸の俳諧に戻ろうという機運が高まることがあるのかも知れません。しかしもしそのような機運が高まったとしても、それはあたかも螺旋状の円のように元の円と全く同じものではないと思います。時代の色や風は、完全な復古を求めるほど単純ではないからです。そして、このように時代を超えて数名の俳人の句を並べて思うことは、如何に俳句がその人の背負っている人生や生き様を映すかということです。まさに「句は人」であると思います。それが夏の句であるだけになおさら、そう思います。
終わりまた何かの初め晩夏光 秀四郎