俳句随想

髙尾秀四郎

第 32 回  妻を詠む句

 

妻あらぬ夜は闇粗く椿落つ    冬男

冒頭の句は昭和三十三年「俳句研究」にて松原地蔵尊氏により中村草田男の「妻二タ夜あらぬ二タ夜の天の川」と比較論評を受けたと言われている冬男師の句です。冬男師の句にはこの他にもたくさんの妻を恋う句がありますが、時節柄三春の季語の句を選びました。 

今回は句を詠む対象を妻に絞った「妻を詠む句」について述べようと思います。最も身近でありながら、実は生まれも育ちも異なる「妻」という存在は、縁(えにし)という目に見えない糸で結ばれた人であり、もう運命としか言いようのない間柄の人です。世界には七十二億人近い人が生存していて、その半分が女性として三十六億人。その内、結婚の対象になり得る人が二割とすると七億人超の中の一人です。日本人に対象を絞ったとしても一億二千万人の半分の六千万人が女性で、その二割の一千二百万人の中の一人になります。ジャンボ宝くじでさえ、一枚あたりの一等の当選確率が一千万分の一ですから、それ以上の確率になります。そのような希少な縁であれば大切にしない訳にはいきません。 

ところが、格言に見る結婚や妻に関しての記述は惨憺たるもので、全面否定に近い状態です。「君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、悪い妻を持てば哲学者になれる。」ソクラテス「結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。」バーナード・ショウ「結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。」アーサー・ゴッドフリー

ここで俳人達の妻の句を少し紐解いてみたいと思います。冒頭の冬男師の句と比較された中村草田男の句には、他にも愛妻の句があります。

空は太初の青さ妻より林檎うく   中村草田男

昭和二十一年の終戦直後に詠まれたこの句は、当時住む家さえなく、勤務先の学校の寮の一室を借りて住んでいた時のもので、窓から見える真っ青な空を背に、妻から受け取った林檎から、禁断の木の実を受け取ったアダムとイブを連想し、開放感に浸っている様が伺えます。

終い湯の妻のハミング挽歌のごと 楠本憲吉

これはいささか穏やかではない句です。妻が歌う鼻歌が死者を葬送する歌である挽歌に聞こえたというのですから。憲吉の死後のことを嬉しげに歌っているように感じて、さぞや複雑な思いに駆られたことでしょう。但しこれは憲吉一流のシニカルな表現であり、「夫婦も愛だけではないさ」とでも言いたげな句ではあります。

次は妻から詠んだ句です。

足袋つぐやノラともならず教師妻   杉田久女

久女がその才能を開花させ、俳誌ホトトギスで名を上げる頃、かつての美術への情熱を失い、田舎教師に甘んじている夫との冷めた夫婦関係を続ける中で詠まれた句です。イプセンの戯曲 「人形の家」 の女主人公ノラを引き合いに出して、ノラの自立する姿とは裏腹に、教師妻と自立したい自我との狭間にあって、ノラともならず、冷え切った家庭の中で教師の夫と暮らしている、という句です。中七の「ノラともならず」が辛うじて、自らにその意味を言い聞かせながら、自らの意思でそうしていることを窺わせています。
そして愛妻俳句の筆頭としてはやはり森澄雄の白鳥の句を上げなければなりません。

除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり   森澄雄

森澄雄にとっては、この句をもって自宅が白鳥亭に変わり、門弟たちはその白鳥亭に集い、森澄雄の奥方の手料理の御相伴にあずかったと記されています。時代は終戦直後です。住いも決してモダンなものではなかったはずです。食料もまた推して知るべしでしょう。それでも門弟たちはその茅舎を白鳥亭と呼び、師と共に俳句を語り、人生を語り、飲食を共にすることで、心豊かな時間を過ごしたに違いありません。加えて当時、妻への愛を詠むこと自体があり得ない時代でもあったかと思います。それだからこそ、白鳥の句と白鳥亭という別称は、門弟達には誇りであったと思います。そんなほのぼのとした、貧しいながらも高い矜持を持ちえた時代と場所のシンボルとして、この句は輝いて見えます。

さて、本題の「妻を詠む句」について思うところを述べます。俳句の母である連句において、真っ先に心がけるべきマナーが挨拶であるならば、最も身近な妻を詠む俳句も、まずは挨拶から入るべきかと思います。西欧のようにその挨拶が「Iloveyou」である必要はありませんが、すくなくとも愛情のこもった挨拶であるべきかと思います。

私事に及びますが、還暦を迎えた頃、家内から書道の展覧会用の作品にするので短い文章を書いて欲しいと頼まれ、忙しさにかまけて何もしてあげられなかった罪滅ぼしの思いもあって書いた「恋文」と題した詩がありました。謂わば六十才のラブレターです。少し気恥ずかしいのですが掲載させていただきます。

 「恋文」
あなたの夢を見ました
あなたがとても優しい顔をして
消えてしまう夢でした
大きな声で名前を呼ぼうとしても
声が出ません
追いかけようとしても
体が動きません
遠ざかるあなたを追う頬に
涙がこぼれてくるのが分かりました
大切な大切な人が
余りにも近くにいたことを…
愛しています心から

次の句はこの詩を下敷きにしたものです。やはり俳句は十三行に及ぶ詩ではできない要約と余情を表現できる、かけがえのない詩形であると、改めて思います。

遠ざかる君への涙夏の夢    秀四郎