俳句随想

髙尾秀四郎

第23回 故郷を詠む句

金沢のしぐれをおもふ火桶かな   魚眠洞

 冒頭の句は魚眠洞の俳号で詠んだ室生犀星の句です。犀星は一八八九年、加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とハルという女性の間に私生児として生まれました。この生い立ちが彼の小説や詩歌に大きな影響を与えています。犀星と言えば「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」で始まる抒情小曲集の小景異情に収められた詩が有名です。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

 犀星は故郷を遠くにありて思い、帰るべきところではないと断じています。そしてこの詩の中の「遠きみやこ」は金沢を指しているようです。「かえらばや」(帰りたい)と詠みながらも、犀星は余り故郷に帰っていません。やはり遠くにありて思っていたのでしょう。いずれにしても故郷の代表的詩歌であるこの詩の中には故郷や故郷を思う心の本質がえがかれているように思います。特に「遠きにありて思ふもの」と最後の「遠きみやこにかえらばや」のフレーズには故郷の本質が凝縮されているように思えます。

 今回は望郷の句を取り上げようと思います。今、東京には一千三百万人、日本の人口が一億二千八百万人ですから、一割以上の人が、狭い東京に住んでいます。しかしその人たちの多くが地方出身者であり、人種の坩堝と呼ばれるニューヨークになぞらえれば、東京は地方出身者の坩堝と言えそうです。もう東京には半世紀以上住んでいますが、親しくなった人にそのルーツを尋ねると「東京生まれの東京育ち」が意外にも少ないことに驚かされます。東京の人はその殆どが望郷の念をもって暮らしていると言っても過言ではなさそうです。それだけに様々な人がいて様々な故郷があります。山紫水明の、兎を追い小鮒を釣った故郷ばかりではありません。私の知り合いには新宿の歌舞伎町が故郷という人もいれば、中国の旧満州国が故郷の人もいます。それぞれが思い描く故郷は様々であるということです。しかし遠く離れて思う故郷が様々であっても、感慨はおしなべて懐かしく帰りたい場所、帰れないが帰ってみたい場所になります。それだけに、故郷の句を詠む場合、「懐かしき」「帰りたき」は連句で言えば「ベタ付き」であり、望郷の余りにもありきたりな感慨にすぎないことから、間違いなく禁句となります。二〇〇九年版の現代俳句年鑑には岡本久一という人の次の句が掲載されています。

望郷を煮つめてみれば赤とんぼ

乱暴な断定ではありますが、真理を突いてもいます。また、都会にあって望郷に寄り添う場所は多分「駅」ではないかと思います。故郷に直結している場所、そこから列車に乗れば故郷に到着する起点となる場所であり、そこに立てば、故郷に帰らなくても、帰れる場所に立つというただそれだけで、故郷に近づいたような思いを抱かせる場所です。石川啄木が「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と歌い「ああ上野駅」という集団就職組の若者が主人公となった歌の中で、配達帰りに立ち寄って、丸い時計に故郷の母の笑顔を思い浮かべた場所でもあります。

ふるさとの秋草高き駅に佇つ

これは都会ではなく故郷の駅の句ですが、桂信子が詠んだ句です。

 故郷は山紫水明だけではなく、また遠近だけでもありません。記憶の底の場所であると共に必ず「人」がいます。それも父母、兄弟、友、愛する人等、自分を認知してくれる人がいるところであると思います。浦島太郎伝説もつまりはそこに彼が知っている人がいなかったからこそ、故郷でありながらも、故郷ではなかったのだと思うのです。阿久悠作詞の「ジョニーへの伝言」という歌があります。一緒に暮らしたジョニーに別れを告げるために馴染みの店に来たけれど、二時間待ってもジョニーは来なかったので、友だちに「うまく伝えてね」と伝言をして町を出るバスに乗り込みます。そして街の灯を見つめながらそっとこう呟くのです「気がつけば、淋しげな街ね、この街は」街が淋しいのではないことは分かっています。愛する人がいない街が淋しいのです。愛する人を失くした自分が淋しいのです。故郷はそこに自分を認知する人、愛する人がいるから、またはいたから懐かしいのだと思うのです。故郷は即ち「人」だと思うのです。望郷は故郷そのものではなく、そこに住んでいる人、住んでいた人への思慕ではないかと思えてなりません。

 さて、宇咲冬男先生の故郷の句を幾つか拾ってみました。今回もかなり苦労をしました。故郷そのものを詠まれた句が多くはなかったからです。そして多分、これらの句は故郷を離れておられた時期に詠まれたものと推測します。

母病めば捨てし家郷の雲凍てぬ
散るさくらふるさと海を持たざりき
海恋ひの詩かや秩父冬祭
明易し望郷のごと島眺め
焚火囲む背中同士が負う家郷

 そこを離れて早や半世紀が流れた我が故郷長崎に、今も姉や親類縁者はいますが、もしも彼らがいなくなったらと想像すると、故郷はかなり色あせて見えるように思います。彼らが故郷にいて、帰れば迎えてくれるうちに故郷の句を精一杯詠んでおこうかとも…。

望郷の詩ロザリオの冷たさに  秀四郎