俳句随想

髙尾秀四郎

第21回 海外で詠む句

 巴里祭森の匂ひを持つ少女   朗人
 ソーダ水巴里に老いたる女かな   〃

 冒頭の二句は、元文部科学大臣で俳句結社「天為」の主宰でもある有馬朗人氏の句集『鵬翼』に掲載された、パリで詠まれた句です。この二句は同句集の中では並べて掲載されています。森の匂いを持つ少女もあっという間に老女になる、と花の色の移ろいのような無常感のある配列と読み取ることもできます。またこの二句はパリではなくとも詠めると言えますが、華やかなパリであるからこそ相応しいし、パリに来た遥かな旅の漂白の中でこそ詠めた、とも言えるように思います。

 本随想が掲載される六月の末から七、八月はいわゆる夏であり暑い季節です。会社でも海外研修などは概ねこの時期に集中します。政治家の皆さんもこの頃には、夏休みを兼ねて外遊されます。座右の書のひとつはもちろん歳時記ですが、私の書斎の机の上にある日本大歳時記(講談社版)は五分冊で、総ページ数は一九一一に及びます。五冊を並べると、間違いなく、一番厚いのは「夏」で、四九七ページもあります。夏は生きとしいけるもの全てが命を輝かせ、活動し、外にも出ます。人も生物もあまたのものが動くので季語も増えたのでしょう。そんなことから、今回は日本を飛び出し、海外で詠んだ句について述べようと思います。

 緯度の余り異ならない地域への旅行は、譬え飛行時間が長くても、時差が大きくても、比較的順応は早いように思います。しかし緯度が大きく異なっている場合には、心の準備が必要な場合がしばしばあります。特に北半球から南半球に動くと、そのブレは季節の違いにまで及び、順応が困難な場合もあります。「場合もあります。」とは客観的な物言いですが、実は私自身が経験した苦い思い出がありました。行き先は南半球のオーストラリアとニュージーランドでした。春に出発しましたので旅先は秋です。約一週間、NZの南島(寒い方)をレンタカーで移動しながら、遂に気持ちの中で、春と秋の折り合いをつけられないまま帰国の途についてしまいました。従って、かの地で詠んだ句はゼロでした。俳句を始めてから旅先で句が作れなかった初めての旅行になりました。季節まで異なるかの地のみならず、言葉や習慣の異なる海外では、私達はエトランゼや異邦人と呼ばれる立場に立つことになります。かつて「旅の句」の章で述べましたが、心が漂白する度合いが一段高まります。それだけに意識や感覚がさらに研ぎ澄まされ、新たなものが生まれるように思います。冒頭の二句のように、日本人よりも老化が眼に見えて極端な、かの地の女性を見て、森の匂いを持つ妖精のような少女が、やがては短時日に変わるであろう姿を街角のカフェでソーダ水を嗜む女性に重ねた感覚は、やはり海外ならではと言わざるをえません。

 海外にはあしたの会の皆さんと吟行の旅に出かけたことを除けば、概ね出張ででかけたことが多かったように思います。但し、出張で出かけた海外でも、俳句を始める前の四十才以前の出張では俳句を詠む習慣そのものがなかったので、対象外になります。四十代以降に詠んだ海外吟の句をいくつかを拾ってみます。目にし、耳にするもの全てが好奇心をそそるだけに句の題材には事欠かなかったはずですが、意外と句は多くありません。それは忙しかったからではありません。体一杯に受け止めるまでで終わってしまったのではなかったかと思っています。

 春柳かつて総督( ガバナー) 住みし家
 夏飛行大ユーラシア海に遭わず
 漢江航く怨と聞こゆる秋の風
 マンハッタン時雨るる先のジャズ酒場
 ブロードウエイ行けど一人の冬の暮
 酷寒のオンタリオ湖や夕日死す
 冬アラスカ氷河眼下に赤ワイン
 大聖堂登りてライン河おぼろ

海外吟においては、引用させていただきました拙句のように、場所を示すために著名な地名や名所の名を入れることが多々あります。それを省略するためには、ト書きを入れるという方法があります。ト書きを入れると、句に場所や地名、国を特定出来るような言葉を入れる必要がなくなり、句に盛り込む言葉の範囲が大幅に広がって楽になります。しかし、個人的にはト書きを入れる方法を好みません。句が引用される時、必ずしもト書きとペアで引用される保証はありませんし、句はやはり五七五で勝負すべきと考えるからです。そのためには推敲が必要で、大変ではありますが、それもまた楽しみと受け止めるべきかと思っています。

 さて、宇咲冬男先生の句を外して海外吟を語ることは出来ません。そこで今回は海から見た海外という極めてユニークな海外吟を含む「地球の風」の中から、私がこれぞ海外吟と思う数句を抽きます。

 虹立つや船どよめかすインド洋
 赤道や銀河は海へなだれ込み
 サファリーの大蟻塚の古墳めく
 左舷緑や右舷砂漠の運河航(ゆ)く
 病葉も紅やラテンの国に来て
 日本思うパナマに雲の峰の立ち
 氷河崩落氷海うめき声を挙ぐ
 六月や港に止む羈旅(きりょ)の篇

 先に引用した拙句のライン河の句は出張で北ドイツに行った時の句ですが、最後に引用する句は宇咲冬男先生のドイツにおける句碑建立の旅の終わりに詠んだ句です。あっという間に過ぎた旅でしたが、かなりの時間が経っていました。

 爪伸びぬ北欧の夏巡り終え   秀四郎