俳句随想

髙尾秀四郎

第20回 雨の句

五月雨や大河を前に家二軒  蕪村

  冒頭の句は与謝蕪村の句です。当初は松尾芭蕉を高く評価していた正岡子規は、やがて蕪村に着目し、蕪村に最大限の賛辞を送るようになりました。蕪村は画家であり、その句にはそのまま絵になるような写生句が多く見受けられます。この蕪村の五月雨の句と常に比較される句に芭蕉の「五月雨を集めて早し最上川」があります。子規はこの句の「集めて」が技巧的であると批判しています。いやいやこれも立派な写生句であると言う反論もありそうです。

 大学に入って、「五月危機」という言葉があることを知りました。五月は入学した学生をして自殺に駆り立てる何かがあるという意味であったようです。GWの只中にある立夏の頃は突き抜けるように爽やかですが、五月も半ばを過ぎると、明るさ故の憂鬱が、森の緑の濃さも手伝って青年の心にやりきれない無力感を生むようです。そういえばドイツに「森の憂鬱」という表現があったように記憶しています。そんな五月が過ぎると六月の雨の季節となります。かつては嫌いであった雨の季節を好ましく思うようになったのは何時頃からでしょうか。春の明るさよりも秋の寂しさを、桜の華やかさよりも梅の謙虚さを愛でるようになったことと違いはないようです。

 雨の季節は立夏の後ですから夏です。夏の雨には大きく分けて、「五月雨」「梅雨」と「夕立」があります。冒頭の句のように五月雨が雨そのものであるのに対して、梅雨は梅雨という季節、その期間中の時候や人事、植物等、幅広いジャンルに跨ります。今回はそんな夏の雨の句を取り上げようと思います。先述した芭蕉の五月雨の句には次の句もあります。「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」この句を見て思わず連想したシーンがあります。雨の季節の思い出です。かつてあした誌に「紫陽花の日々」というタイトルの小文を書きました。舞台は先の「雪の句」の項で少し触れた国家試験を目指す学生寮です。その寮は元遊郭を大学教授が借り上げて、学生寮にしたものです。三畳や四畳半等小さな部屋が沢山ありました。ふざけ合って破った襖の裏張りには、遊郭に投宿した客の年齢や風体、相手をした娼妓の名が書かれていました。いわゆる「四畳半襖の裏張り」です。その寮の中庭に紫陽花は咲いていました。江戸時代から昭和の赤線廃止まで、その館で繰り広げられたドラマを見てきたであろう紫陽花が雨に濡れた姿を、勉強の合間にぼんやりと眺めていました。そして鉛色の空の向こうにある太陽を見ようとしても叶わず、じっと耐えて雨に濡れている紫陽花は、自分自身でもあると思いました。その小文は、遠縁の娘が長崎から上京し、雨の季節の前に、一緒に散歩する場面から始まります。道筋に見えた、まだ葉も出ていない紫陽花を見て、彼女が「これ紫陽花よね」と言い、こんなものが紫陽花になるはずがないと、植物などに全く興味をもっていなかった当時の私が「ちがう」と言います。数年後、国家試験に合格し、その寮を出るところで、その小文は終わりにしましたが、並行して紫陽花論議に敗北した私の小さな切ない恋の物語がありました。今、「雨の句」の随想を書きながら、ふと当時のことが思い出され、小文に秘めたもう一つの物語のことも言及したくなり、こうして書いています。雨に咲く紫陽花にはそんな切ない思い出が似合います。「人の気持ちも歴史も決してスキップしない」という言葉があります。大慌てで迂回しても、その迂回したところに必ず戻ってやり直すという意味のようです。この「スキップしない」ということと関連しますが、昔見た、「ジョンとメリー」という題名の映画がありました。ありふれた男女の名前を題名にした映画でした。日本で言うならば「太郎と花子」です。やり切れない出来事のあった夜、ジョンは酒場で女性と知り合います。二人とも前後不覚に酔った朝、女性が彼の部屋で目を覚ますシーンから始まります。耳を澄ますと、軽快なマーチが流れています。それから香ばしい匂いがして、男性はコーヒーを淹れているようです。目にするもの、耳にするもの等から、昨夜から一緒にいる男性のことを推測します。そして彼女は一緒にいるその男性が悪い人間ではないのではないかと思い始めます。かみ合わないながらも会話を続ける内に、男性も彼女が意外と良い人ではないかと思います。そしてその映画の最後のシーンで男性が聞くのです。「僕はジョン、あなたの名前は?」「私はメリー」と彼女が答えてジ・エンドとなります。この映画は、通常は初めに名前を名乗り合ってスタートする恋が、順番を変えても、やはり踏まなければならないステップを省くことはできない、人間とはそんな生き物であるということを教えているように思いました。中途半端で終わっていた、かつて書いた文章のことが、二十年近く経った今、また戻るべきところに戻ったという意味で、やはりスキップはしないのだと思っています。

 連想に次ぐ連想で大幅に遠回りをしてしまいました。歳時記等から夏の「雨の句」を拾ってみます。

梅雨めくや甲斐駒淡き牧草地  水原秋桜子
夜の腕にかげろふ触れし梅雨入かな  石田波郷
身近かなる男の匂ひ雨季きたる  桂 信子
梅雨めくや人に真青き旅路あり  相馬遷子
鏡中に西日射し入る夕立あと  山口誓子
驟雨下の合掌部落三時打つ  加藤楸邨

続いて宇咲冬男先生の夏の「雨の句」です。

喜雨来るや行脚の輪袈裟ずり落ちて
大雷雨机一つを城となす
青時雨まだ旅人になりきれず
梅雨の寺来世のごとく海展く
梅雨の傘開き合いいてみな独り

 今回師の夏の雨の句を拾ってみましたが、夏の雨の句が極端に少ないこと、そもそも雨の句自体も少ないことに気がつきました。そこで川柳を一つ「冬男師は句集の中も晴れ男」 年によってはままならないこともありますが、梅雨の季節には鎌倉に行き、寺を巡って紫陽花を見ることを続けています。今年は今まで行かなかったお寺でも巡りたいと思います。そして今年こそ納得の行く雨の句を、とも…。