俳句随想
髙尾秀四郎
第19回 別れの句
行き行きてたふれ伏すとも萩の花 曾良
元禄二年(一六八九)旧暦秋、芭蕉、曾良の二人は石川県山中温泉にたどりつきます。江戸深川を出発以来、百二十余日、旅を共にした二人はここで別れることになります。旅も終わりに近づき、健康を害した曾良が師の足手まといになることを懼れたためです。この別れの句を受けた芭蕉は、『行く者の悲しみ、残る者の憾み、隻鳧の別れて雲に迷ふがごとし』と『おくのほそ道』に綴っています。
「別れの三月、出会いの四月」というフレーズがありますが、大きく異なる師走と正月に似て、三月と四月は全く異質な月が隣り合わせになっている季節と言えます。今回は「別れの三月」に着目し、「別れの句」を取り上げようと思います。
思えば人は数え切れない出会いと別れを繰り返しています。但し人口が七十億人に達した地球上で、その対象になるのはほんの一握りにすぎません。それ故、出会いにしても別れにしても有り得ない偶然以上の縁であり、大切にしたいという思いがあります。出会った人とは大いに共感や共鳴をし、できうるならば良い影響を与えたいと思います。そして別れる人には熱い思いを捧げて、幸せを祈りたいと思います。
別れの詩としてすぐに思い浮かぶものとしては、王維の送元二使安西(元二の安西に使するを送る)の詩があります。漢詩と現代語訳を掲載します。
渭城朝雨潤輕塵
客舎青青柳色新
勧君更盡一杯酒
西出陽關無故人
渭城の朝の雨が軽い砂埃を潤している
旅館の前の柳の葉色も雨に洗われて
瑞々しい昨夜は大いに飲み明かしたが
君にすすめるもう一杯の酒を
西域地方との境である陽関を出れば
もう友人は一人もいないのだから
私が二十年勤務したIT企業で会長職にあって、私をとても可愛がってくださった方は、書を趣味とし、転勤や退職する幹部社員に対して、自書の漢詩を送られていました。書きあがるとよく私に見せに来られました。その中でも特に良いと思ったのが、この王維の別れの詩でした。広大な中国大陸の中で離れ離れになる哀しさと、もう決して会えないという寂寥感が伺えます。今しばしの情が溢れており、その情景を思い浮かべるだけで、惜別の切なさがこみ上げてきます。
もう一つ別れの漢詩をご紹介します。
この詩、特に口語訳の詩には俳句のヒントがあると思うからです。漢詩とそれを訳した井伏鱒二の口語訳をご紹介します。
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ
最後のフレーズである「さよならだけが人生だ」はとても有名で様々な場面で引用されていますが、「人生足別離」を訳したものです。「人生に別れは十分にある」または「人生に別れはつきものだ」というほどの意味ですが、これを鱒二は「さよならだけが人生だ」と意訳しています。かなり大胆な断定です。しかし、この断定が詩としての価値を生んでいるように思います。俳句では切れ字とともに、このような断定をすることで、短詩でありながら奥深い広がりを作り出すことになります。新たな視点、思いがけない切り口からの断定で、なるほどと思われる断定であるならば成功と言えるでしょう。そのためにはとことん考え抜き、思い込みでも良いので、確信をもった断定にする必要があるように思います。
俳句に目を転じ、別れの句を拾ってみます。
山越ゆる人に別れて枯野かな 蕪村
男の別れ 貝殻山の 冷ゆる夏 西東三鬼
春冷ゆるむなしく別れ来し夜は 上村占魚
かなしさはきみ黄昏のごとく去る 冨澤赤黄男
別るるや夢一筋の天の川 夏目漱石
木の実落つわかれの言葉短くも 橋本多佳子
春眠の覚めて夫居ぬ世に戻り 佐藤孝子
物言はぬ別離となりぬ春の雲 猪野ミツエ
一方、宇咲冬男先生の別れの句は意外と少なく、ほぼ友、母、兄そして師との永久の別れが詠まれているようです。
散る花をみな散らしめて君逝きぬ
友死ぬも裏切りのうち葉鶏頭
寒憎し母の天寿を断ち切られ
別れにはお酒が欲しい秋まして
夜のつまる重く書き継ぐ追悼記
年度末と言われる三月末には様々な別れがあります。不安定で気まぐれな春三月。皆さんの身の回りで繰り広げられる様々な別れのシーンに、どんな句を詠まれるのでしょうか。
最後に掲げる拙句は母との別れの句です。長崎の斎場で、眩しいほどの春の日を浴びて降りしきる桜を見た後、帰京して自宅の書斎から春めく雑木林を眺めながら詠んだ句です。
山笑う母を亡くした男にも 秀四郎