俳句随想

髙尾秀四郎

第17回 病態の句

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒   酔郎

 冒頭の句は、今から十四年ほど前に出版された江國滋氏(俳号・酔郎)の「おい癌め」(江國滋闘病日記)に収められている一句です。これを出版して間もなく、氏は不帰の人となりました。この江國氏の闘病日記を読んで私が真っ先に思ったことは、ご本人のご病状の壮絶さ以上に、私には想像もできないような「季語遣い」のうまさでした。ひょっとして平句ではないかと思わせる句も、しっかりとさり気なく季語が織り込まれていました。そのさり気なさに心憎さを感じ、感服もしました。

 今回は病態の句を取り上げようと思います。病態の句といえば、まず芭蕉の辞世の句とも言われている次の句があります。

  旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

 時は元禄七年九月八日。伊賀上野を発ち、大坂に出かけ、その到着後すぐに病に倒れ、一時回復するも九月二十九日にはまた体調を崩してしまいます。この句は十月八日、死の四日前に詠まれたものです。時代を下り、近代から現代に至る病態の名句を幾つか拾ってみます。

  行く年を母すこやかに吾病めり 子規

  水仙の花鼻かぜの枕元 漱石

  水枕がばりと寒い海がある 西東三鬼

  手術待つ白布づくめも秋深し 岡本 眸

  常臥しのわれのたとへか臥龍梅 森 澄雄

 一方、宇咲冬男先生の病態の句は現在よりもむしろ初期作品に多く見られます。

  病めば独り身を囀りにとりまかれ

  瀬の鮎が憎し病む身がなほにくし

  長病みの末の身一人静かな

  病みし日の空白重き古日記

 俳句で病気の季語と言えば、冬の寒さと夏の暑さによる季節的な病や傷害があります。冬は「風邪」があり、それに類するものとして、「咳」「くしゃみ」「水洟」などがあります。また極寒の寒さの中の「罅」「皸」「凍傷」「凍死」など。夏には熱病の「マラリア」。水が腐っておきる「水中り」。裸に近い姿で寝て体調を崩す「寝冷え」、夏に多くなる「水虫」「麻疹」「赤痢」「疫痢」「暑気中り」「日射病」「コレラ」などがあります。また、「風邪」だけは「夏風邪」「秋風邪」「春の風邪」など季語との組み合わせで詠まれることがあります。いずれにしても冬と夏以外にみるべき病気の季語はないように思います。そこで、病態の句を詠む場合には、季節的な病の場合を除いて、季語を中心に担ぐのではなく、「季語で季節を暗示しつつ病気を詠む」という詠み方になるように思います。つまり、病む↓ 季節を思う↓その季節で病気の自分の境遇や状況に最も相応しい季語を選ぶ、という順番になろうかと思います。この意味で江國氏の句は絶品でした。ここで「おい癌め」から数句を抽きます。

  残寒やこの俺がこの俺が癌

  春遅く一挙手一投足不如意

  パジャマ脱ぎ捨て手術衣に更衣

  夏立ちぬ腹立ちぬまた日が立ちぬ

  すくむ身に蚊の鳴くような電気メス

  生きて出るためにもの食うさむき夏

  外泊やかういふ喜雨もありぬべし

  洗面もままならぬ身に夏の朝

  七夕やたつたひとつの願ひごと

 人は誰も「生老病死」の各局面を歩むことになります。「生」は前向きで将来が望め、肯定的です。しかしそれは、人生のほんの一時期であり、長い停滞や袋小路、または明らかな逆境があります。そして病に倒れもします。そして、病に倒れると、健康な状態の、いわゆる健常者とは異なった状況の体験をします。ある時は、思考が停止するほどの高熱にうなされ、我慢ならない痛みや悪寒に晒されます。原因不明の奇病というケースもあるでしょう。または公害に認定されるような、環境汚染が原因で罹病するケースもあります。そのどの場合にも、健常であった時と比べて、急に心細くなり、世の中の不幸を全て背負い込んだような気分になるのは、私だけでしょうか。「ああ元気であれば…」とか「この傷さえなければ…」とか思い、健常であったときを懐かしみ、そうではない今の状況を嘆いたりします。そのような状況で句を詠むものですから、勢い悲観的、自虐的な句になってしまいます。しかし、名句にはそのようなところが見られません。「おい癌め」に至っては、わが身に巣食った癌を客観的に擬人化し、一緒に酒を酌みかわしてさえいます。この発想の転換や視点の展開こそが、世界最短の詩型には求められるのだと思わずにはいられません。

 俳句を詠むという、もう一つの楽しみを持つ旅が一段と深みのあるものとなるように、病床でも俳句を詠めることが、入院や療養の時間を豊かにするように思います。江國氏がもし俳句を詠む術を知らなかったならば、もっと早くに、もっと不本意に、何も表現出来ぬまま、帰らぬ人となっていたのではないかと思います。江國氏の享年が今の私と同じであることを、この本で知りました。無念であったであろうその度合いが、わがことのように感じられますが、彼が俳人であったことがささやかな救いであったとも思っています。

  さて「星の王子様」という大人の童話を著したフランスの、作家にして飛行家であったサン・テクジュペリは第二次大戦中、愛用の飛行機で事故死を遂げる前に「人類が最後に罹るのは、希望という病気である」という言葉を残しています。現代は彼が期待した程進化せず、希望という病気にさえ罹らずに死ぬ時代にとどまっているようですが、いずれにしましても、実際の病気は「万病のもと」とも言われている風邪から始まることが多いので、風邪を軽んじてはいけません。その風邪を引くと、鼻水が出て、声が変わり、鼻の奥がツンとして、泣いた時のような状態になります。そのためか風邪を引くと、瞬時にしてかつて泣いた日のことなどを思い出します。やはり風邪を含む病を得ると、非日常の状態になり非日常の視点や感覚を持つようです。

  風邪を引き叱られ小僧でありし日を   秀四郎