俳句随想
髙尾秀四郎
第16回 時事の句
津波の町の揃ふ命日
冒頭の句は俳句ではなく、連句の短句であり、時代も江戸期のものです。未曾有の大震災となった今回の東日本大震災は、地震の後の津波によって、多くの人命が奪われ、そこを故郷としていた方々の故郷の風景を一変させてしまいました。また、その後に明らかとなった福島原発の放射能漏れにより、地球規模での汚染につながる事態となり、未だに収束しておりません。亡くなられた多くの方々にお悔やみを申し上げますと共に、今なお避難所生活を余儀なくされておられる方々に対して、心よりお見舞いを申し上げます。
今回の災害の中で、原発の放射能漏れは現代の出来事ですが、地震や津波は日本の有史以前から存在したようで、冒頭の句は、江戸時代の、与謝蕪村が活躍した頃に、慶紀逸という俳人が、連句の短句のみをもって編纂した「俳諧付句集」である『俳諧武玉川』の中に収められている作品です。五、七、五の十七音よりもさらに三音少ない十四音によって、津波で被災した土地の風景を鋭く切り取っています。今回の東日本大震災にそのまま当てはまるような表現でもあると思います。
今回は時事の句について書かせていただきますが、時事の句に似て非なるものの一つに「時事川柳」があります。
その「時事川柳」には「3S」というものがあるそうです。即ち、S p e e d・S e n s e ・S t y l e の3つの「S」であり、Speedは「瞬発力・即応性」。Senseは「発想・視角・趣向」。Styleは「形象化・完成度」を指すようです。つまり、いつもアンテナを張っておき、新たな事象を即座に捉えて作品とする力、「掴み」とも言い換えられる、事象の把握力や視点の鋭さ、大きさ、斬新さであり、さらにはそれらを形として表現する具象化の力、出来上がった作品の完成度の高さを指すようです。これらは、多分、時事の句のみならず、俳句全般についても当てはまりそうです。これを俳句に置き換えれば、3つの「S」の中でもとりわけ、SenseとStyleに、俳句は拘るように思います。
一方、時事の対象を社会に向けてみますと、かつて「社会派俳句」というものがありました。戦後の社会制度の180度の転換により、表面的には大きなパラダイムチェンジがあり、石が流れて木の葉が沈む世の中になったのですが、その頃、「社会派」を標榜した俳句が詠まれ、当然のように、旧来の俳句とは異なった俳句が生まれました。次の句はそれぞれその時代に生まれた社会派俳句と呼ばれる句です。
この集団が動くのだ真赤な旗が続くのだ
夢道
今日は何もかもメーデーの渦に巻き込んでしまえ
林二
彼らはその当時の俳壇に愛想を付かし、既成の規則や題材を変え、一切の既成概念を乗り越えた新たな俳句としてアピールしていました。しかし、その俳句は社会に根付きませんでした。俳句に求められる視点の高さや深さ、形象化において、俳句には成りえなかったようです。トルストイの「戦争と平和」の中で為政者と国民の関係を「キャベツに巣食う虫」の例えで語るくだりがあります。キャベツに巣食う虫が、キャベツを食い尽くす行為は、実は虫自らの寿命を縮める行為であるという警句でした。社会派の俳人が社会派と呼ばれる句を作っている様は、まさにこのキャベツに巣食う虫の行為であったように思われてなりません。
連句に目を向ければ、連句の中には時事を詠む箇所があります。この場合の詠み方の要諦は「後世の人が読んでも時代が分かる」ということであり、その句をもって明らかに、時事の時代が分かるような表現をすることです。
次に俳句で時事を詠むことについて少し述べます。そもそも事実を饒舌に詠める短歌と異なり、季語と17音という制約から、生の時事を詠むこと自体に無理があるという俳句の特質を前提にした上で、事件や天災などをそのまま、ありのままで書き留めるとするならば、それは新聞記事でありニュースに過ぎません。それを俳句とするためには、作者の感じたこと、感慨または、象徴的な表現を用いたり、新たなイメージを生み出すような別の事象・事物と取り合わせる等、何か新たなものを生み出す工夫や捻りが必要になります。
ここで、この観点から、宇咲冬男先生が、詠まれた東日本大震災の句を幾つか拾ってみます。
西日負う余震に揺れているベッド
夏終る大震災は警世よ
厄日来る原発事故を鎮め得ず
ここに掲げた句は、どれも単なる事実の報告や描写にとどまっていません。一句目は季語を含む「西日負う」の主語が作者であり、自省の気持ちも込められています。二句目と三句目は、地震や人災であった原発事故に対する自らのコメントが述べられており、単なる事実の描写ではありません。一つの詩としての高さを持っていると思います。
日本において今、時事の句の対象の筆頭は、やはり東日本大震災になるでしょう。また今後、さらに大きな震災が別の地域で発生しないとも限らない事情であればなおさらです。このような状況の中、地震保険に入る人、比較的安全と言われている場所に転居する人、居直って、ありのままの生き方を選択する人等、人さまざまな対応があると思います。その一方で、この大震災を機に、結婚件数が増え、人々が改めて絆の大切さ、人と人の縁や結びつきを問い直す行動が目立ってきているようです。人間のための地球ではなく、地球に人間が住まわせていただいているということ、大自然を前に人間がいかに卑小なものであるかを、今回の震災は改めて気づかせてくれました。そしてそれ故に人は手を携えて生きなければならないことを、この震災は教えてくれたのだと思います。
通年で節電を余儀なくされる今年は、図らずも、もう二昔前となってしまった懐かしの昭和がよみがえる年になるかも知れません。
節電に昭和の記憶暮るる秋 秀四郎