俳句随想
髙尾秀四郎
第14回 青春の句
ラグビーの頬傷ほてる海見ては 寺山修二
冒頭の句は四十七歳の若さで世を去った寺山修司の句です。寺山修司は、かつてあしたの会にお招きし、ご講演をいただいた産経新聞の論説委員でコラムニストの石井英夫氏をして、『私も応募した早稲田の文化祭で短歌の首席に選ばれた彼の「マッチ擦るつかの間海の霧深し身捨つるほどの祖国はありや」という一首をもって、私は短歌への道を断念しました。』と言わしめる程の才能にあふれた歌人、俳人、演出家とマルチな活躍をした人でした。
今回は青春の句を取り上げようと思います。「青春」という言葉からまず思い浮かべるのはサミュエル・ウルマンの「青春」という詩です。「青春は人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。」から始まり、「霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歎の氷にとざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして己む。」で終わる詩です。の詩を初めて読んだ時には、年寄りの強がり、若さへの嫉妬に過ぎない、と思っていました。しかし今、中高年と呼ばれる年代になって、やはりその通りと思うようになりました。もちろん肉体は衰え容貌も変化しますが、一方でウルマンが言う、若くても老いた人や年齢は高くても若やいだ人が身の周りに多いことに驚くばかりです。
私があしたの会に入って十年程経過した頃、定年退職後にあしたの会に入られた方が、私が五十代であることをお話しすると「良いですね、五十代は」と言われました。言われた本人は「もう五十代」と思っていましたので、五十代がそんなに魅力のある年代とは思ってもおらず、拾いものをしたような気持ちになったものでした。しかし視点を変えて、そのような言葉をいただく立場に立てば、七十代の人からは羨ましがられる六十代にいるとも言えますし、同様に七十代も八十代もその上の年代から見れば、いずれも羨ましい年代に生きていることになります。要するに、誰もが、今生きていること自体、人も羨む年代に生きているということではないかと思うのです。そして今この時を良い年代であると思うことができれば、随分と心豊かな気分となり、それなりに楽しい日々を過ごすことができるのではないかと思います。
一方、青春という言葉には必ずしもプラスの要素ばかりが含まれているわけではあ りません。かつて「青春時代」という流行歌がありました。「…青春時代が夢なんて後からしみじみ思うもの 青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」(作詞・阿久悠) という歌詞を覚えておられるでしょうか? 今、もし二十歳の頃に戻りたいですか? という質問を受けたならば、私は迷わず「い いえ」と答えると思います。所謂青春と呼 ばれた時期については、後からしみじみ思 えば懐かしくノスタルジックにもなりますが、その当時はさまざまな壁にぶつかり、 矛盾だらけの生き方をしていたように思いますし、そこに戻って同じことをしたいとは決して思いません。前回の「花の句」の稿で、「春は弾む」と書きましたが、人生 の春もまた弾むのです。胸が弾むというよりも喜怒哀楽の落差が大きいという意味です。行動にも無駄や無理が多く、感情も揺れ動きます。それが年齢を重ねると次第に無駄も無理も減り、いわゆる丸くなります。 では年を取ると無駄や無理がなくなるかというと、そうでもありません。思いのほか 無駄や無理が多いと、還暦を過ぎた今、思います。だからこそ人生は楽しいとも言えるのですが…。
この「青春」を句に詠む場合、その真っ只中で詠む人、真っ只中にいる人について詠む人、過去として、または今を青春と思って詠む人と、人それぞれのスタンスで詠むことになります。言いかえれば「青春」は 誰もが詠める句の対象であり、決して若い人だけに詠む権利が与えられたジャンルではありません。「青春俳句をよむ」という復本一郎氏が書かれた本には、このそれぞ れのスタンスで詠まれた青春俳句が収められています。いくつか拾ってみましょう。
行く我に残れる汝に秋二つ 正岡子規
告げざる愛雪嶺はまた雪かさね 上田五千石
先生を好きだった頃春休み 櫂未知子
春愁は机の傷の深さほど 大高 翔
卒業や壁に無数の画鋲痕 片山由美子
図書館の薄暮マスクの顔険し 加藤楸邨
生活とがり梅の白さにそむかるる 宇咲冬男
避けず行くとき春泥の光りけり 〃
最初の子規の句は、夏目漱石が四国・松 山の中学校教師として赴任し、子規が東京に戻る時の句ですので、「残れる汝」は漱 石になります。また、最後の冬男先生の二 句の一句目は処女句集「心の章」から、二 句目は古希を過ぎて出された第九句集「塵 劫」から抽きました。共に青春性の高い句 と思います。そしてまた青春の句が生物学 的に若い人たちだけのものではないという 証左にもなると思います。
『「もう終わり」と思わない間は青春』と いう定義はいささか安直に過ぎるとしても、「もっと前に」「もっと上に」「もっと何かを」という好奇心がある間は、やはり青春、または青春的な状況にあると言えると思います。本項の最後に掲げる句もまた冒頭の句同様、季戻りになりますが、テーマが「青春」ですのでお許しください。
青春は滅びぬ心春や立つ 秀四郎