俳句随想

髙尾秀四郎

第12回 雪の句

雪の朝二の字二の字の下駄のあと   田捨女

 巻頭の句は、江戸時代の女六歌仙の随一と称された田捨女(一六三三1・€一六九八)が、六歳に詠んだとされる句です。

 私が生まれて初めて接した俳句は多分この句であると思います。小学校に上がったばかりの頃の雪の朝、驚きと興奮を抑えきれず、白い息を吐きながら、「雪、雪…」と言うと、そばにいた母がこの句を口ずさみ、そしてこう言いました。「この句は捨女という俳句を作る人が、今のあなたと同じ6歳の時に詠んだ句ですよ。」

 耳にしてリズム良く、具体性があってかつ可愛らしいこの句を、上手いと思いました。そしてまた、この母の言葉は、私への叱咤激励であるようにも聞こえて、吸い込んだひんやりした空気が鼻孔に当たってツンとなる刺激と共に、泣きたいような切ない思いとなって、雪の庭を見つめる私の胸の中を一杯にしたものでした。

 今回は雪の句を取り上げますが、雪に関しては、生まれ育った場所によって、雪に対する思い入れや感じ方が大いに変わり、作句にも影響を与えるように思います。私が生まれた長崎で雪が降るのは年に数回で、降らない年もあるほどです。従って雪が降ると大騒ぎになって、子供たちは異常な興奮状態に陥り、小学校では当然のように朝から授業を休み、雪合戦をしたものでした。そのような環境で少年期を過ごしたため、雪に対してはとりわけ美しいもの、嬉しいものという思いがあります。それは少年期に刻まれた溝の深い記憶であるだけに、消えることのない思い入れになっています。しかし、その思いを少し見直さなければならない出来事に、その後出会うことになります。

 時代と場所は六歳の長崎から二十歳代の東京に変わります。その頃には公認会計士となって外資系の監査法人に入り、大企業の監査に従事していました。担当した大手電機メーカーの監査のため、ゴールデンウィークの後、東北の販売子会社や工場を回ることとなり、仙台を起点に山形、秋田、青森、岩手を巡る二週間の出張がありました。初めて訪れる東北の五月は、百花が一度に咲く、喜びに満ちた、暖かで明るい季節でした。夜は地元のおいしい産物とお酒をいただく機会にも恵まれ、それまで持ち続けていた東北地方のイメージを一新させるとともに、すっかり東北地方のファンになってしまいました。そしてその八ヶ月後、三月決算である大手電機メーカーの物流センターや工場にある在庫について「実地棚卸立会」という監査手続を実施するために、決算期末である三月末の一か月前の二月に東北を訪れることとなりました。こうして訪れた東北は、五月のそれとは似ても似つかない、全くの別世界でした。列車から見る景色は、空と陸地がほとんど白、点在する家が黒というモノトーンで、全てのものの動きが止まったような風景が広がっていました。

 もともと閉所が苦手な私にとって、その空と大地自体が広大な閉所のようにさえも思えました。その風景の中で、あの五月に見た、東北の春の湧きあがるような、弾むような、喜びに満ち溢れた人と自然の理由が少し分かったような気がしたものでした。この暗さこそがあの明るさにつながるのだと。

 ここで雪の名句と言われる句をいくつかご紹介します。もちろん草田男の「降る雪…」や子規の「幾たびも…」の句も雪の名句ですが、それらはすでに取りあげましたので、今回はそれらを除いた句をご紹介することとします。
限りなく降る雪何をもたらすや   西東三鬼
雪はげし抱かれて息のつまりしこと   橋本多佳子
昔雪夜のランプのようなちいさな恋   三橋鷹女
雪はしずかにゆたかにはやし屍室   石田波郷
吹雪く夜を愛してならぬひと愛す   宇咲冬男

 これらの句は、雪の名句と言われる句集から無作為に選んだものですが、どの句も幻想的で非日常性を持つ雪の降る中で、対峙する景や人間模様を詠んでいます。先にどこで生まれたかによって雪のとらえ方が異なると申し上げましたが、試みに、これらの句の作者がどの土地の出身であるかを調べてみました。結果は以下の通りです。

 西東三鬼(岡山)、橋本多佳子(東京)、三橋鷹女(千葉)、石田波郷(愛媛)、宇咲冬男(埼玉)また、今回取り上げなかった草田男と子規は共に愛媛の松山で育っています。お気づきのように、全員が関東以西の出身ということになります。どうやら雪の名句は、雪を白い魔性、人間の暮らしを脅かすものとは思わない人たちによって詠まれていたようです。

 雪の句を詠む時、雪のとらえ方と共に、どのような季語を用いるかという課題があります。何故ならば雪は月や花同様、日本人の思い入れが一際強い季語であり、多様な傍題があります。その中でどのような季語を用いるかは、句の成否に大いに絡んできます。

 さてここで、大学の寮で一緒であった先輩の話をします。彼もまた関東以西の出身なのですが、国家試験の合格を目指す寮にあって、勉強以外のことに熱心であったその先輩は、初雪が降った日についてこう言っていました。「僕は初雪が降った日には何が何でも仕事を休んで、朝から酒を飲む。これから決して贅沢をしたいとは思わないが、この贅沢だけは譲れない。」と。この冬に初めて雪の降る朝、私はきっとまた彼のことを思い起こすことでしょう。先輩は今もロマンを貫いているだろうかと。雪には人をしてそうさせる何かがあると南国生まれの私は思うのです。

雪しまく夜は身を捨てし恋のこと   秀四郎