俳句随想

髙尾秀四郎

第 92 回  俳句を詠む視点について

師の言葉師の教えなお花時雨  秀四郎

冒頭の句は2013年1月末に亡くなられた冬男先生の七七忌法要のために訪れた熊谷の常光院で詠んだ句です。句は何処で、誰を思って、どんな状況の中で詠むかによって詠み方が大きく変わります。今回はそのことを「視点」という切り口から述べてみようと思います。

まずは話を幼稚園の運動会に転じます。もう随分昔のことになりますが、娘が幼稚園児であった頃、私はビデオカメラを手に娘の走り回る姿を懸命にカメラに納めていました。同様に他の園児の親御さん達もまた我が子をカメラで追っていました。それぞれのビデオカメラに納められた映像の主人公は間違いなくそれぞれのお子さんであったはずです。言い換えれば、同じ時間に開催された幼稚園の運動会では、園児の数だけの、主役が別々の動画が出来ていたことになります。

2024年の米国のアカデミー賞の候補作にノミネートされた「Perfect Days」という映画は、公共トイレの清掃人を主人公として描かれています。社会的に余り注目されることのない清掃人を主役にすると、その視点から物語は始まり、映画の中で主人公として、その人中心に物語が展開されます。幼稚園の運動会のビデオの中の我が子のように…。

このことを俳句の世界に持ち込めば、俳句は詠み手の視点で詠む限り、そのすべての句の主人公は詠み手になります。つまり人間の数だけ、主人公の異なる句が生まれることになります。そう考えれば、他の人と余り変わらない平凡な句を詠むよりも、自分しか詠めない句を詠む方が、価値がありますし楽しいように思います。そして自らのオリジナリティーを発揮すればするほど、その句は自分のものとなり、他の追随を許さないものになるはずです。またそうするためには、自分というものを理解し自分を出すこと、自分を打ち出す表現力を磨いて自らの主張を分かりやすく表現するという工夫も必要になるのではないかと思います。

あしたの会で開催された吟行会で、冬男師が吟行句を詠むコツとしてしばしが次のようなことを言われていました。「吟行で見る対象物の裏側や、人が見ないところ、見落とすような所をみること、即ち視点を変えることである。」と。そこで吟行の一団から少し離れて歩いたり、目的とする対象物の下の方や脇の方、周りの環境などに注目したりすると、現地で渡される観光の対象物に関するパンフレットには書かれていないことが見えたり気づくことがしばしばありました。このようなアプローチも俳句の視点を変えるひとつの方法になるのではないかと思います。

「ゼロからわかる俳句超入門」という評論の中に「俳句で人と違う視点を持つコツ」として次の3点が挙げられていました。

① 別の意見で対象を見る
例えば桜の花について、大多数の人が「桜は美しい」と思います。そして「花美しく」と詠んだとしても「ああ、そうですか」俳句にしかなりません。しかし花が悲しみの象徴であると捉えると全く異なった詠み方になると思われます。

② 対象物の「変化」を見つける
一見全く変化のないものでも時間の経過とともにその対象物を取り巻く環境や時間と共に、当たる光や温度、湿度も変わってきます。そんな時系列の変化も含めて、対象物の「変化」を見つけることのようです。

③ 普通から外れたものを探す
どのような対象物でも、性質や状態などに傾向があるものです。例えば雁という鳥は冬に日本に飛来して春には「帰雁」となって北方に帰ります。しかしそうしない雁もいます。そこには新たなドラマがあり、帰ることができない事情等から詩情が生まれます。

もう1点、「視点」という切り口で付け加えるならば、米国マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の言葉が有用かと思います。彼は人生で大切な3つのこととして、第1は「仕事を持つこと」、第2が「遊び心を持つこと」、第3が「忍耐」を挙げています。ビル・ゲイツ氏は人生で大変後悔していることとして、若い頃の過ごし方があったようです。「仕事一筋で来たことへの反省」は、どんなに成功しようが、ただ目指す目標を一目散に追いかけ達成するだけでは、人生が満足のいくものにならないということを伝えています。この第2の「遊び心を持つこと」は実は俳句、連句を含む俳諧が求めているものであり、また目指しているものでもあります。このことから俳句において「遊び心を持った視点」は欠かせないのではないかと思います

最後に、句がどのような視点で詠まれているかについては、他人の俳句をいかに深読みしても当の本人のようには理解できないことから、今回は私自身が詠んだ句を用いて例示しようと思います。1991年10月~2014年12月に発表した夏の季語で詠んだ句から拾って分類してみました。

① 季語を用いて自らを見つめる視点
 美しき嘘言われたき夜の水中花
 うつし世をソーダ水の泡消ゆる間と
 現世はすべてまぼろし蜥蜴消ゆ
 陽炎や転進の意思揺れていし

② 非日常の場所における視点
 真砂女館出て恋色の夕の凪
 霧じりの浜魔法にかかりたき夕べ

③ 親としての視点
 蟻出たと娘は怪物を見たように
 メロン切る娘はそれぞれに自我を持ち

④ 亡くなった人に向きあう視点
 母に手を引かれいし日や花蜜柑
 もひとつは還らぬひとへ鬼灯市

⑤ 季語を擬人化した視点
 雨しとど紫陽花なみだ拭きもせで
 花石榴個性なき世をあざ笑う

今回、自分が詠んだ句を「視点」という切り口から分類して気づいたことがありました。それは季語を用いて自分の思いやあり方などを詠んだ句が圧倒的に多かったということでした。季語は季節の言葉でありながら、心情を吐露したり、自分の心の諸相を映し出す素晴らしい言葉の塊であることを改めて思い知りました。そんな季語と付き合いながら、これからも一味違った視点からの作句を心掛けたいと思っております。