ミニエッセイ -思ううがまま-
夏だいだい |
竹本いくこ |
屋根に届きそうな程に育った夏みかんがある。もう五十年以上は経つ。昔は酸っぱくて食べられたものではなかったが、味さえも老成するのか。近頃は嫁いだ娘達が練乳をかけると美味しいなどと言ってはもっていく。 今、夏みかんは白く清楚な花を咲かせ、それは香しく、蜜蜂の羽音も軽やかだ。前の年の実がそのまま実っているのに、今年の実をつける為の花が大層咲き誇っている。こうやって、代々の実りを見せてくれるので夏だいだいとも呼んで、縁起が良いのだと娘に説明をしてやりながら、娘や孫に実生を採ることこそが、文字どおりの代々の喜びなのかもと思い、初夏の香りをもう一度深く吸った。 |
「碑」のあれこれ |
次山和子 |
わが家の近くの散歩コースには、いくつもの碑が建っています。家を出て数分の朝日ヶ丘児童公園には、「象小屋跡」の説明板があり、将軍吉宗に献上のため、ベトナムから連れて来た象を、中野村の源助がここで飼育していたとあります。名刹宝仙寺には、「石臼塚」があり、青梅街道を運ばれて来た小麦の製粉が、この地で盛んだったことが伺えます。 成願寺には「中野長者」の墓があり、碑に「中野村の祖」と刻まれています。下って、神田川を東に進むと、南こうせつの「神田川」の碑も建っていて、絶え間ない水の流れが時を運んでいます。高層ビル群のこの街も、それ等の歴史の上にあることを思います。 |
阿佐ヶ谷パールセンター街 DOUTORにて |
寺田 順 |
カウンターで注文する人、注文する前に席を確保しに行く人、客の注文を受ける店員、料金を払いお釣りを受け取る客、コーヒーカップをすする人、本に目を通す人、じっと目を閉じる人、お仲間と楽しそうに話す人、ホットドックを頬張る人、店内にカントリー風の音楽が流れ、カウンターの中からカップや皿を洗う音、注文した品をテーブルに残しトイレに立つ人、飲み物をよそにスマホに熱心なおばあちゃん、ふっと気が付いて店内を見回すと店員以外は老人ばかりじゃん。店の外には学校帰りの高校生も通るのに、そういう私ももちろん八十路まっしぐら、現代の年寄りは元気元気…トホホ! |
角が立たぬよう |
樋田初子 |
私は昭和十年に北信濃の町に生まれ、いわゆるおばあちゃん子で育ちました。 祖母は何かにつけて角が立つとか角がたたないようにと云う人で、人とのおつきあいも穏やかでしたので人様も好意的に見て下さっておりました。p 私はそんな祖母が大好きで尊敬しており、お手本にして参りました。そして角がたたないようにが私の生活信条となりました。数えで九十才となった今も同じ気持ちで過ごしております。そんな私を祖母は黄泉の国から暖かく見守って下さっていると思います。 何事も角立たぬよう菊の花 初子 |
シニアハウス 今日のこの頃 |
戸田 徳子 |
若葉のみどりから早や梅雨の気配、湘南のシニアハウス生活も七ヶ月。諸々の契約、猛暑の中の引越し当館になじむ事等、健康ではあるが九十二歳の夫と多々障害ありの私には試練の歳月だった。子供達の助けもあり、とにもかくにも決行した。「終の住処」という雰囲気は殆んど無く、様々な事情を抱えていても皆前向きで明るい。朝夕の富士、ベランダからの海と広い空。高階の景や生活を句にし、「あした」で評価されると嬉しくて気力が湧く。 郷里小倉に住む義妹と従妹が近々当館を訪れる。「お江戸日本橋を目指す三年越しのウォーキング」の途中だ。「東京へ帰りたい」と言った亡母の思いを胸に秘めた義妹は私より母の娘です。 |
孝経 |
高尾秀四郎 |
先日、日経新聞の「漢字そぞろ歩き」というコラムで、母の日を前に親孝行について古代中国ではどのように考えていたかという説明があり、孔子の高弟である曾参( そうしん)が孔子の言動を記した「孝経」の冒頭の「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。」の一文が紹介されていました。この一文は幼少期に母からしばしば聞かされていたため、とても懐かしく思いました。母はこの言葉を引いて、親から授かった体に傷を付けたり、入れ墨を入れることなどは親不孝の始めになるのですよ、と言っていました。もうカーネーションを送ることも出来ませんが、改めてあの親がいたから今の自分があるのだと思った次第です。 |