ミニエッセイ  -思ううがまま-

立ち活けに魅せられて

江森 京香

二十二才の時、父が亡くなり、母と檀那寺へ挨拶に行きました。その時お寺の床の間に孔雀檜葉の立ち活けが活けてあり、その美しさに魅せられてしまいました。力強くしなやかに伸びた枝、凛として水際を一本に見せる技巧はまるで人の生き方を無言で教えられているような気がしました。桂古流の門弟となり、盛花、現代花、投げ入れなどで基礎を学び、何年も経って木物の立ち活けを修得することが出来ました。今では県北の研究会や、熊谷駅に活けたりして楽しんでおります。

俳句と生け花はとても共通点が多く、究めることは難しいですが、今後も感性を磨き、あるがまま精進していけたらと思っています。

猫その二、ゆう

越智みよ子

今日も来ないね、毎日必ず顔を見せていた猫ゆうがここ四五日姿を見せない。年だから体調悪いのかなと話していると、ひょっこり現れた。ゆうとの出合は十六年前の十月末、散歩の時、中学生の体育着にくるまって鳴いていた。白くて小さな猫、友人がひょいと抱き上げて連れ帰った。そしていつの間にか吾が家で飼うこととなり手術も受けさせた。

しかし数か月後吾が家で又野良猫達を保護した時、ゆうは自分の居るところではないと思ったのか、徐々に外泊を繰り返しとうとう夜は帰ってこなくなってしまった。しかし昼は必ず一回は来ておやつを食べ帰って行く、そんなことが十数年続いているのである。

探梅行

角田 双柿

日課としてのラジオ体操が九十周年を迎えたと聞くに及び同じ年代に誕生したものとして愛着を深めています。健康志向が高まる中健康長寿をめざして、更に生活の要に散策を据え、それに趣味の俳句と山野草を道づれに加え米寿過ぎの日々を送っております。散歩の目標は、一日六千歩とし、記録を取り付けながら、無理をしないでほどほどにをモットーに実施しております。四季折々、花から花へと渡り歩く花散歩は別として、通常の散歩は、一日の内で一番変化が激しく感動に富んだ「日の出」と「日暮れ」の刻を中心に苦吟を重ねています。

散策は長寿の要探梅行

八十の手習い

川上 綾子

八十という節目を迎えて、さてこの先どうするか、先ず脳を活性させるための方法として思い切って自分が一番苦手なものを始めてみたらどうかという思いに致りました。聴くと観るは大好きで弦の音色は沢山鑑賞して来ましたが手にする事は夢にも思っておりませんでした。たまたま区報の案内に「三味ラボ」という記事を見つけまして、苦手な弦に挑戦してみようと参加しました。昔の稽古は畳に坐って対面式という事ですが、私達は譜面台を前に、椅子に掛けての稽古です。聴くと観るとは大違い、音色を出すのは左手の位置に委ねるのです。脳と左手の格闘・脳の混乱です。かくして自虐的な企みは成功です。

高齢に思う

川岸 冨貴

永年眼鏡でなくコンタクトを使い三週毎に診察とレンズの交換をしていたが、医師の勧めもあり先々を考えて眼内レンズ強膜内固定手術を受けることにした。引き受けてくれる医師にも恵まれ、次の診察日で眼鏡の準備をする段階までこぎつけた。この間半年の紆余曲折。既往症と高齢故のトラブル、高齢の為ですからと投げ出されはしないかと、よくここまで対応して下さったと先生に感謝している。思うに高齢とは魔物と共存しているようなもの。この先何が起こるのか認知症も然ることながら身体的機能も全く未知の領分で判っているが現実に体験すると身にこたえる。高齢という魔物は誠に厳しく手強い。

一人カラオケ

河野 桂華

一人カラオケ歴25年。

お酒は飲めない私。ウーロン茶でOKと言うのが常。いますよね、お酒も飲まずにテンションの高い人。

なぜ一人⁉

自分に酔えるからかなあ…。きちんと歌いたいからかなあ…。そんな自分に嫌悪感を感じることもあるが、芭蕉も言っている「句調はずんば舌頭に千転せよ」『去来抄』の言葉通り、カラオケも俳句も歌という意味において同義なのかもしれない。

いつも音と戯れている人生。「おんがく」と言う音を楽しむことと切り離せない道を歩んで行くんだろうなと思う。