ミニエッセイ  -思ううがまま-

右手首骨折

橋本 里子

前号に於いて高尾秀四郎様に、急遽連続でご執筆頂いてしまい大変ご迷惑をおかけいたしました。ありがとうございました。

五月十日、亡夫の叔母十三回忌の為駅へ。雨が降り始め、靴のせいもあり、エスカレーター前金属板で滑り転倒。手首から先がずれ骨折。救急車で病院へ。骨を嵌め込んで頂きギブスへ。不自由だが工夫次第でできる事も増え、その発見を楽しんだ。肘、顎、手、横腹、最終手段は両足、鋏も胸に向ければ切れる、等々。字、箸、爪切り等も次第に上達。結局手術となったが、それでも徐々に回復する。身体、脳の劣化も、自覚、自重で凌ぎたい。兎も角健康でいられる事の有難さよ!!

北浦和公園にて

浜田天瑠子

時間がありますと、電車で北浦和駅で下り北浦和公園へ向かいます。公園中央に、埼玉県立近代美術館( 設計:黒川紀章)と音楽噴水があります。時には良き風に当たりながらベンチに座り噴水を眺めます。それからおもむろに立ち上がり、埼玉県立近代美術館へ参ります。企画展も良いのですが、私は常設展を見るのが好きです。入場券を求めて、会場へ、私の好きな絵は、埼玉県で購入しましたポール・シニャックの「アニエールの河岸」です。その他もろもろの絵を楽しみ、最後は屋外展示場へ、外の良い空気を吸い、今度はショップを見て、好きな品を買い、何とも優雅な気分で北浦和公園を抜け帰路につきます。

句碑を詠む

藤本 嘉門

四国八十八箇所の五番札所の地蔵寺は、上の山門から降りると、左側に大きな石碑が坐っている。俳句が刻まれていた。

「大河の闇豊( ゆたか)なり二番藍」

と刻まれてあった。これは、舟越先生の句である。敬意を表して読ませていただいた。下五の藍を目でなぞると、藍は日本では、徳島県で栽培されている。曾( かっ)て私は譲成中の藍の工房を訪ねたことがあった。藍竈( あいがま)を覗くと発酵する藍に神秘的な息づかいを感じた。平安の昔から伝統的な匠の技で今日までふつふつと息づき側( そば)で作業をする職人たちの熱の籠った汗とその意気に感動した。この藍が日本の布を彩り深く染め上げるのである。

宇陀松山城

宮本 艶子

先頃NHKBSの「英雄たちの選択」で「豊臣秀長」があった。そこで宇陀松山城の復元を観る。隆と本丸を支える石垣、峙つ多聞櫓に思わず息を呑む。半世紀前のふる里にワープ。この城は南北朝時代、秋山氏が築いたと云われる。同級生に秋山君がいて、彼はその末裔とか噂されていた。

城下は「松山千軒」といわれ多くの商家、旅籠、問屋が軒を連ねていた。今もその面影を残している。この地は東国と西国を結ぶ要衝。天正13年には豊臣家大名の居城に。来年の大河ドラマには「豊臣兄弟」。秀長の居城大和郡山城、高取城と共に脚光を浴びそう。秀吉を支えた秀長、ドラマの展開が楽しみである。

五個荘

森川 敬三

毎年その時期が来ると、各地のひな人形を見てまわっています。今年は、東近江市五個荘へ行きました。富を築いた近江商人の旧邸数軒に歴史あるひな人形が飾られています。十二年ぶりに訪れると、前回よりも観光客が多く、地域が一丸となって「ひな人形めぐり」に取り組んできたことが分かりました。

今回の発見は、この地域の教育です。江戸時代初期から寺子屋があり、その数も他の地域より多かったようです。商家では女将さんが中心となって奉公人に所謂「読み・書き・算盤」を教え、考える力を養いました。これが近江商人の活躍を支え、近代では朝鮮半島や大陸へと青年を誘う土台となったのです。

健康長命

柳瀬 富子

通所リハビリテーションに週三日通い、もう六年目になります。二時間コースで運動とマッサージを受けております。私は変形性膝関節症で年齢のため手術はできず時々痛みを繰り返しておりました。

今年の三月半ば急に痛みがおそい両膝特に右が大きく腫れて、鍼をしても整形医で水を抜いても痛みが止まらず、左はやや楽になりましたが。鎮痛剤も大きいのに替え、湿布薬を頼りにしても歩行困難が続いておりました。

漸く三週間程してリハビリに通えるようになりました。歩けることの何とありがたいことかと健康長命をしみじみ感じたのでした。