ミニエッセイ  -思ううがまま-

足跡姫

寺田 順

野田秀樹の新作は、遺友・中村勘三郎へのオ マージュと言われ、歌舞伎仕立てになっていま す。劇中通奏低音の如く流れていたマスカー ニのオペラ「カバレリア・ルスティカーナ」間 奏曲が荘厳に鳴り響く中、満開の桜の下で弟・ 妻夫木聡の腕に抱かれて宮沢りえの阿国・足 跡姫がこと切れます。いつに変わらず彼の芝居の豊饒なイメージと品の良さを象徴するラ ストシーン。三十年も前この様な彼の芝居に 多くの若者( 中でも女性)が共感するのを見 て、日本の将来は悪くないと思ったものでし た。その時の彼等は今五十代、この公演に観 客として参加できる彼等には、現在の日本は 確実にいい時代と言えるでしょう。

三、四十年前の

橋本 里子

本を読む楽しさを奪われたら、人生は味気なくなろう。言葉、思考の力や深さ、魔術に心が動き考える。何かが心に静かに落ちて行く。ミステリーには別の楽しみが。展開に身を任せ時を忘れてその世界に沈み込む。快速で読み進む快感。巻措く能わず。至福の時。

今 四十年以上前のディック・フランシス競馬シリーズを再読している。菊地光の名訳。最初の一行で心奪われ、主人公の精神の強靭さに心打たれる。大切なことを教えられる。又、今 CSTVで同時期の、倉本聰、山田太一の懐しいドラマを放送中。早川暁も見たい。昔は良かったと言う訳ではないが、若き日の様々な思い出も蘇り、浸っている。

静御前とへんろ

藤本 嘉門

その日(H28年11月5日)長尾寺に着いた。先ず本堂、大師堂へ経を唱えた。境内を一巡した。この寺は静御前が得度した寺である。義経が殺されたあと、傷心の思いで京に帰り、そして母の故郷のこの地に戻った。そのときの住職宥意阿闍梨から得度を受けて尼となり、法号を宥心尼といった。その剃髪塚が南庭にある。そして静はこの地で二十五歳の若さで世を去った。文治二年、四月のお釈迦様の日、鶴岡八幡宮の舞殿で頼朝と政子の前に舞を披露した。静御前は舞を終ると「しずやしず賤の苧おだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」と歌った。それから三ヶ月後、静御前の生まれたばかりの赤子を頼朝は無惨にも殺してしまった。

人生の最終章は?

松澤 晴美

年末の27日。血液検査と最後の診察を受けた。正月早々、CT検査を受けさせられた。8日は恒例の初釜。好天に恵まれお茶事形式の懐石料理も美味しく、和気藹々で一日を楽しんだ。10日、膵がんを宣告され昭和大学江東豊洲病院を紹介された。担当医師より、映像写真を呈示しながらステージⅣbで手術は不可能。化学療法も高齢者には難しく、緩和ケアで在宅介護の覚悟をと心の準備を求められ、七階の窓側のベッドに入院した。東京湾を望む病室からの展望は素晴らしく、夜になると彩を変える観覧車、今話題の豊洲市場も目前に。何より嬉しいのは大きく私達を包み込んで幸せにしてくれる日本一の霊峰富士。夜には東京タワーもライトアップをして私を癒してくれる。ひとりで鑑賞するのはもったいないとしみじみ思っている。

バーベナの花

三澤 律乃

一年前の今頃私はバーベナの花を探し花屋さんを何軒か見つけていました。ある日店頭に鉢が沢山並んでいるお店の隅に半分枯れたような鉢が目に止り花の名札にバーベナとありました。早速五十円お引きしておきますとビニール袋に入れて下さり持ち帰りました。これが花との出合いでした。夏は水をたっぷりやり青い芽を吹き次々とピンクの花が咲き初め、吉祥草、白丁花、千両と思い出の詰った花が地植にして咲いています。バーベナは日毎に花が殖え切子の花瓶に差し佛壇に供えました。バーベナの花と会えたのも佛様のお引き合せかしらと感謝しています。如雨露で水やりながら今年も沢山咲くよう楽しみにしています。

宮本 艶子

私の育ったところは奈良県宇陀郡の谷間の集落。初夏、青田の頃になると蛍がふぶくほどに飛び交った。草箒を一振りするとおもしろいほど蛍がとれた。とっぷりと日が暮れるまで野良仕事をして帰ってくる母に蛍がついていたこともあった。数匹を蚊帳に放って家族でその光を楽しんだ。今、思えば幻のような光景だ。

昭和の経済成長期、農薬が使われるようになり、河川の改修が進み、生活が一変すると蛍は次第に姿を消した。それでも私の中に生き続けるふる里の原風景は、俳句を作る大きな力となっている。

母帰る野良着に螢二つ三つ  艶子