ミニエッセイ  -思ううがまま-

師匠孝行

高橋 福八

 「志寿太夫が今NHKに出ている」と姉から電話。すぐスイッチを入れると師匠のなつかしい顔がアップされ、美声が聞こえてきた。

 私は人間国宝清元志寿太夫師の最後の直弟子として百才でなくなられる迄、プロに教えるのとまったく同じ手法で厳しく仕込まれた。

 この放送を見ていた友人からも電話。「志寿太夫の唄は高橋さんの声によく似ていたね」。このほめ言葉は近年最高にうれしかった。「私の唄声が志寿太夫に似ている」とほめられたことはあるが、その逆は思いもよらず、初めてだったからである。師匠があきれて大笑いしながらあの世で喜んでくれていることだろう。お陰で師匠にいい孝行が出来ました。

歌劇に挑戦

田口 晶子

思い返せば夢のような話である。仲間達と定演を企画するようになって、第十回の定演に際し歌劇「魔笛」を取り上げた。それ以後「コシ・ファン・トウッテ」「フィガロの結婚」( モーツアルト作曲)「ジャンニ・スキッキ」( プッチーニ作曲)等々。

歌劇を上演するからには、最低三十回のレッスンは必要と云われ、約一年をかけて猛特訓を受けるのだった。歌うだけでも大変なのに芝居が加わるのでもう気違い沙汰である。

ひとりの力では絶対不可能な貴重な経験を感謝の気持を胸に、今春第五十五回の定演を迎えた。歌劇「フィガロの結婚」より伯爵夫人のアリアを歌った。

想 い

竹本いくこ

国立新美術館に「示現会展」が有る由、姉から連絡が有った。最近頓にお互逢うのが待ち遠しい。作品は姪がモデルの百号の油絵だ。今年最後と決め渾身の作だと言った。

折しも千鳥ヶ淵の桜が満開で、靖国神社はお祭で櫓が組まれ賑わっていた。

国を家族を案じたであろう父は二十代で戦死した。人は時代のうねりの中で生きる。姉と共に齢を重ねお参り出来た事を感謝した。

写真の中でしか知らない父に、自分の中に脈打つ暖かないのちの連鎖を感じた。

令和の御世が戦争の無い平和な時代で有ることを心より祈念してやまない。

 靖国の万朶の櫻散りゆけり  いくこ

けやき橋商店街

次山 和子

けやき橋商店街は、山手通りと十二社通りを結ぶ神田川沿いのけやき橋通りにありました。わが家から十分程のところです。日々のくらしを賄うに必要な店が揃い、たれの香ばしいお団子屋も子供達の笑い声の絶えない駄菓子屋もありました。ところが「再開発」の名のもとに立ち退きとなったのです。〈卓袱台に残る傷あり蜆汁〉の昭和は消え、平成も消えました。そして、道路までも付け替えられた跡地には六十階建ての超豪華高層マンションが建ち上がったのです。新住人に町への愛着は育っていくのだろうか。六十階を見上げるたびに過る思いです。時代は令和に移りました。この先の変貌は想像だに出来ません。

OSK観劇

寺田 順

先日大阪松竹座で新橋演舞場から凱旋したばかりの「OSK春のおどり」を観てきました。OSKとは、宝塚歌劇団に少し遅れて松竹の白井松次郎が創設した少女歌劇団のことで、宝塚より指導者を招いて発足しました。戦前戦後千日前の大阪劇場を拠点に公演し人気を博しましたが、松竹の不振で七十年代近鉄に経営が移転。その近鉄も二十世紀末業績が悪化し、一時解散へ。だが、団員の熱意と存続を望む声に応え二〇〇四年、「OSK日本歌劇団」として復活。今回何十年振りかに観て、「清く正しく美しく」の宝塚とはまた違った、華やかなデビュー、テーマソングの「桜咲く国」を堪能してきました

心の花

樋田 初子

その昔、千利休の孫宗旦のもとに、お寺のお住職から妙蓮寺椿の一枝が届けられました。でもこの椿、持参したお小僧さんが途中で落としてしまいました。お小僧さんは宗旦に事の次第を正直に話し「お許し下さい」と謝りました。

宗旦は茶室の掛物をはずして一重切の花入に椿の枝を活け、その下に落ちた椿の花を飾ってお小僧さんを招き入れ、自ら一服のお茶を点てゝ丁寧にもてなしたと云う。

捨てられるものに、美しい真実なるもの善なるものを発見し、親切と正直を生かした見事な心の花である。

高田好胤「話の散歩道」より