ミニエッセイ  -思ううがまま-

庚申塚

山司 英子

或る日、農園の一隅に鎮座まします小さな石佛と出逢いました。一見、お不動さま風のお姿で一面六臂、年号は享保壬七申年と刻んであります。其処の人の話で庚申さまと知りました。傍には大きな桜の木が二本、夏にはさぞ良い日影になるでしょう。辞書に拠れば江戸時代に大いに流行した民間信仰で、庚申待の夜は一晩中起きている事、身を慎む事、若し眠ったりしたら其の隙に体の中の三匹の虫が其の人の罪を天帝さまに告げ口するそうな。現代の人間にはとても信じ難く、そして何やらちょっぴり可笑しく…。因みに歌舞伎などで上演された「心中宵庚申」の事件は享保七年四月のことだったそうです

貝の道

山田他美子

夏の初め神奈川近代美術館のチケットを頂いた。私の大好きな美術館の一つで葉山の御用邸のそばにある。館内のレストランから眺める相模湾は空と海だけの青の絵画。今回は「貝の道」という国立民族学博物館のコレクション展。展示されているのは守護神や女神像、仮面、王の衣装や椅子、女性の装身具でどれにも美しい貝がちりばめられている。

また貝は装飾や儀式のほか各地で貨幣としても広く使われていた。その証が貝偏の漢字に残っている。買う・購うは言うに及ばず、貯・賃・資などは下に金を付けるとそのまま現代につながる熟語となっている。貝の来た道は未だ途絶えていない。

松江と不昧公

吉田 光子

松江は天守と豊かで穏やかな堀川の流れと宍道湖のほとりに佇む全国有数の「茶の湯」として知られています。

松江に茶の文化を広めた松平不昧公は、十七才で七代藩主になると財政改革を始め若い頃から茶の湯と禅に強く興味を抱いていました。

茶の亭主と客のように礼節を重んじ茶道精神を軸とし禅の精神と重なる「茶禅一味」の思想を目指し、千利休の侘びの精神を原点とした不昧の茶の姿勢を重んじていたのです。

現在も松江には普段の暮しの中で気軽に茶の湯をたしなむ文化が根付いています。

不昧公の志が色褪せる事なく息づき進化している事がしみじみ感じられました。

平成から新元号へ

渡部 春水

来年四月三十日の天皇退位で平成が終わる。明治維新後、明治・大正・昭和の時代に戦争が続いたが、平成は元号通り平和な日本。激動する国際情勢の一方、温暖化により、世界各地で大きな自然災害が絶えない。その中で平成天皇が被災地を歴訪されるお姿には国民の全てが頭を垂れているのではないでしょうか。西暦六四五年の「大化」が元号の始まりでこれまで二四七の元号があったが、天皇は百二十五代目で明治以降は「一世一元号」。新元号の予想順位は①安永②感永③喜永④安治⑤快天とのことだ。どんな漢字が選ばれることになるのか興味津々。新元号の下で国の平和と繁栄が永く続くことを祈りたい。

うちわ祭のひと日

青木つね子

熊谷のうちわ祭にはボランティアで毎年施設の御年寄の祭見物のお手伝いをしている。その年は私の故郷の方々も見え、私はその中に嘗て顔見知りのおばあさんを見つけ思わず「小母さん私が判ります?」と声をかけたのでした。少し間があり「あージロちゃんの?」と「そうです娘です」ジロちゃんとは私の父次郎のことです。家は米屋を営んでいたので父は街の人達にジロちゃんの愛称で親しまれていたのでした。父が逝って四十年余り思わぬ処で思わぬ人から父の名を聞くなんて、嬉しく懐かしさの余りおばあさんを抱き締めてしまったのでした。うちわ祭のお囃子の余韻と共に父の面影を偲んだひと日でした。

縄文について

石井 季康

歴史民俗博物館々長であった故佐原眞さんの講演会、勉強会、見学会等で謦咳に接し薫陶を受けました。“人間が始めた戦争は人間が終わらせることができる”との信念を持たれておられました。北海道から沖縄まで“平和で戦争のない豊かな縄文人の共生社会”を教えられました。縄文の遺跡には戦争による死者は皆無との事です。過日東京国立博物館で開催の“一万年の美の鼓動縄文展”を見て来ました。縄文の国宝“火焔土器”一点、“ 土偶”五点が展示されておりました。縄文人の創造性に感動しました。佐原眞の“戦争のない豊かな共生社会”に“現代に繋がる創造性を持つ縄文人”を加えたいと思います。