ミニエッセイ  -思ううがまま-

までいの村 飯舘村を訪ねて

小泉富美子

秋晴れの一日、福島県飯舘(いいたて)村のイベントに参加してきた。東日本震災原発事故で全村避難となった地。その歴史と被災した村民の声を聞き書きした書『飯舘村を歩く』の著書である、わが師のあつい思いに突き動かされての今回の訪問だ。

青空のもと、美しい日本のふるさとを感じる、すばらしい風景だった。この地を離れなければならなかった無念を少しだけだが理解できた。あれから七年が経ち、帰村が始まった。今回接した村の方々は前向きだった。までい(ゆっくり、丁寧にという意味)館という木の香りに包まれた道の駅にも、逞しい飯舘村を感じ、己の生き方を問う一日となった。

プレイバックした一時

小岩 秀子

この秋のある日、ひとりの女性から電話がありました。それは幼な日の友Yちゃんでした。七十数年ぶりの声なのです。そして畳みかけるようにもうひとりMちゃんの声もありました。びっくり仰天です。二人の顔がはっきり頭に浮かび、何を話してよいものやら、瞬時に育った頃の町並や人々のくらしの顔が走馬灯のように回り、まずは三人元気である事が確認出来た。今思えばあの頃の子供達は遊びに事欠くこともなく、貧しいながらも昼飯・夕飯を三人の誰かの家でご馳走になり、風呂もいただき幸福な時を過したものでした。七十数年前にプレイバックした一時でした。お会いする日のお顔は‼

本庄俳句クラブ日記Ⅱ

古閑 純子

「旅立つやわが乗る冬の雲さがす」縫子

私が俳句や書の道に入るきっかけになった方の辞世の句です。高齢になられても公民館の教室に通っていらしたそのお姿は私の心の励みでした。その書道も展覧会を開けるまでになり俳句クラブの四人も揃って出品致しました。俳句も先生のお計らいで出品させていただき色紙各二枚短冊各五本と所狭しと並びました。会場は作品の力強さに鳥肌の立つ思いでした。俳句の作品たちも久し振りの色紙や短冊に乗せられて嬉しかったことと思います。台風に悩まされたりの三日間でしたがとても楽しい良い秋の日となりました。本庄俳句クラブの二十九年のしめくくりとなりました。

燈籠仏に寄せて

設楽千恵子

三十余年住み慣れた家のすぐ近くに由緒ある燈籠仏が安置されていた事に驚いた。

公民館の帰り、いつも静かな成就院に人集りがあったので、友人と立寄った。十月十日は毎年御開帳で檀家の人達が集いお焚上げをし、御尊像様をお詣りしているとの事。

燈籠仏は高さ五センチ程の本当に小さい仏像で更に右に観世音菩薩、左に勢至菩薩を従え黄金の燈籠の中に安置されている。この仏像は四百三十年前に甲州の善光寺に奉献された像の内の一体で、熊谷宿肥塚に安住し、衆生を救い大願成就された。この様に由緒ある秘佛に偶然出会え、又成就院が我家と同じ真言宗である事の御縁に参詣の念を深めた。

思いもよらぬ出来ごと

清水うた子

この度思いもよらぬ入院生活を一ヶ月程送り、我が身の老いをつくづく感じました。反省と多少の失望感と、複雑な気持で過ごし、何くれと世話に成る身は困ったものと思っています。帯状疱疹とのこと、入院前の一週間程はつらい痛さに夜も昼もなく耐え入院となり、その後は日ごとに快方に向かい幸い退院の運びとなりました。

皆様方の文章を拝見致しますと、明るく活力がございます。私も老いばかり気にせずと思い乍らも、つい年令を気にかけ体のこと等 が頭をよぎりす。せめて明るく老後をと考 える様に致したく思います。

本年もよろしくお願いいたします。

4万年後の日本人は

清水 將世

38億年前にこの地球に生命が誕生し、幾多の進化の末に約20万年前、我々の先祖ホモ・サピエンスがアフリカ東部に生まれたという。ホモ・サピエンスは一部が乾燥による飢饉などにより5万年前移動する。移動したのは1万人以下の人口の中で2~3千人とも150人前後ともいわれている。アフリカ大陸からユーラシア大陸へ、また海路、全地球に拡散した。日本列島には約4万年前に到達したといわれる。出アフリカ後1万年を要したのである。さて、今の日本人は列島で4万年の歴史を持って今に至るが、4万年後の子孫たちはどのように進化しているだろうか。ホモ・サピエンスとは「知恵ある人」の意味があるという。