ミニエッセイ  -思ううがまま-

曾 孫

柳瀬 富子

十月九日今朝無事に男の子が生まれた事、三千八〇〇グラムあり帝王切開だった事等、初孫誕生の喜びを語る私の三男の弾んだ電話がありました。予定日より大分遅れていたので気掛りだった私も先ず安堵しました。これで私の曾孫は八人になり、女六人男二人で、一番大きい子はもう中学生です。私の三人の子がそれぞれ家庭を持ち、大きな輪が広がって行く事に心から感謝の念を抱きます。私も九十歳の坂を無事に歩める様願っております。

先日幼稚園の曾孫に「ひいおばあちゃんわたしの成人式みてね」と突然言われ「そうねえ一緒に写真とれるかなあ」と返事はしたものの果たして実現はとてもとてもむずかしい。

血圧値の大切さ

山﨑 宗喜

私は血圧が一〇〇以下で、若い頃は若さで生活してきましたが、七十才過ぎてからは、頭重感や体の怠さ等で、午前中は、家でフラフラしている事が多くなりました。そんな或日、友人がアロエジュースを持って来てくれました。不味くて飲みにくいジュースでしたが、私は我慢して飲み続けました。一年位たつと、血圧は一一〇から一二〇の値になり、頭重感や体の怠さもなくなって、午前中から動けるようになりました。認知症予防の為に麻雀を始めましたが、楽しく、仲間と食事会をしたり、旅行に行ったりしています。

私は十一月で八十才になりましたが、元気になり、血圧値の大切さを痛感しています。

手 紙

山司 英子

「もの言わぬは腹ふくるるわざ… 」昔から人はそう言いました。亦、悩みは他人に聞いて貰うだけで凡そ半減するのだとか。

最近、少々胸に引っ掛かる事があり、友人と電話でお喋りしたかったのですが、耳が悪い為それもならず手紙を書きました。世の中はパソコン、スマホ、そしてメール等々。でも私には一切無縁の事なので手紙なのです。翌朝、投函の前に読み直しましたら何と胸のモヤモヤは半分以上消えていました。書くってこんな効用があったのですね。ワープロであれ、手書きであれ。寂聴さんが新聞で書いてましたが、作家の方々でも両方いらっしゃるとか。結局、手紙は出しませんでした。

七福神巡り

山田他美子

お正月の七福神は知っていましたが七福神詣は平成になる頃までは知りませんでした。歳時記には「その年の開運を願い、元旦から七日までに七福神を祀る寺社を巡ること」とあります。始まりは室町時代頃で江戸時代中頃から盛んになったようです。

私の七福神巡りの始まりは平成七年。当時勤めていた横浜で郷土史を学ぶ市民の会が立ち上がってからでした。年の始めに仲間と寺社を巡り、郷土史を学びなおすことは楽しく人気のイベントになりました。やがて都心にも足を伸ばしました。市民の会は十五年で終了しましたが、その後は我が家のお正月の恒例行事となって続いています。

下北半島

吉田 光子

本州の最北端、下北半島の海は青く澄んで吹き渡る風は爽快です。

かつて訪れた東の端、海に突き出た尻屋崎は真白い灯台と打ち寄せる波、一面の草原に何頭もの馬の姿が見えるこの地方は、一年中放牧が行われています。「寒立馬」としてのびのびと草を食む姿は何とも牧歌的です。

私は当時苦き経験があります。飼育係の説明は「温和しい馬ですが絶対に後足の方には近づかない様に」との事、素敵な風景と馬と一緒の写真を撮りたく友人にシャッターを頼んだ所大変手間取り、私の後の馬が歩き出したのに気づかず、馬の後足で一瞬空中に蹴り飛ばされた古き記憶が思い出されます。

三年七組の会

渡部 春水

昭和二十八年三月に卒業した会津若松市立中学校の同級会である。卒業時は男女合わせて五十五名。昭和三十二年より在京者十数名で忘年会を開き、会津で暮らす仲間との合同会を含めて出席者全員が「その時の思い」をアルバムに記すことにした。時が過ぎ、平成九年の還暦時にそれまでの記録を皆で編集し『三年七組交遊の軌跡』(B五判六十頁)という小冊子を作成。お二人の恩師の祝辞を巻頭に内容の濃い交遊の珠玉となった。還暦祝賀会で全員に配り感激。八十二歳の今、四割近い仲間が鬼籍に入ったが七十年にも及ぶ交遊が続き、同級会は八十回を超えた。十キロもある記録の原本は会津の級友が保管している。