ミニエッセイ  -思ううがまま-

句会の帰りにて

安西 信之

老人大国と言われて久しい。句会も例外ではなくなったと思いながら帰りの電車に乗った。その電車内での出来事である。平日ながら帰宅時間と重なり車内は混んでいた。私も立つ羽目になった。次の駅で杖を突いた老人が乗ってきた。誰も席を譲ろうとしない。老人はしかたなく吊革にしがみついた。じつにもどかしい、その時だった。「どうぞ」女子高校生が立ち上がった。老人には遠いし辺りを見渡したが誰も座ろうとしない。言葉を失った。自分に声がかかったのだ。世の中まだまだ捨てたものではないとほっとしながらも「ありがとう」一言礼を言って素直に座った。

深夜特急

江森 京香

ラジオ深夜特急は月曜から金曜までTBS夜の十一時半より、作者の沢木耕太郎さんが香港からインドを旅し、乗り合いバスでユーラシア大陸を横断するというバックパッカーの旅を斉藤工さんの朗読で聴かせてくれます。作者が二十六才の時日本での暮らしでは感じることが出来ない異国の旅に憧れと共感を求めて脱出し、インドやネパールの人々の暮らしや、貧しい中で逞しく生きる様子が目に浮かび、釈迦が悟りを得たブッタガヤの朗読が心に残っています。

夫を看取った今、人間の不条理や自然との共存をもう一度考えながら生きてみようと、チャイの香りに慎む夜をおくっております。

ナメクジの本

越智みよ子

ナメクジの本、これは昨年購入した本。
庭のどこにでもいて、大切に育てた花の蕾をごちそう様と食べてしまう”ナメクジ“二度程退治したが結局無理。この本に退治する方法が書いてある筈もなく。メルカリで売ればとの助言もあり出品した。そして忘れた頃に売れたのだ。購入されたのは中学生の娘さんを持つお母さん。娘さんが何度も図書館で借りては読みこんでいる。そんなに何度も借りるのであれば、手元にと購入しましたとのお母さんの丁寧なメッセージが添えてあり、もし私に中学生の子がいたら、その研究に嫌味を言いそうな自分が居て、このお母さんの優しさが私の心まで温かくしてくれました。

必携の書

角田 双柿

私が寄宿していた頃の草茎社には、草茎の俳句道場と家族の住居があった。玄関先には蓑と笠を立て掛けた小屋があり、玄関の内壁には川合玉堂先生が草茎の表紙の為に揮毫した色紙が展示されていた。零雨先生の書斎は俳句道場の奥にあった。そこで私は草茎の編集と芭蕉語彙の分類カードの清記を手伝っていた。その時の経験が俳誌「あした」の編集技術を培い「あした季寄せ」〈連句必携〉の企画立案に貢献した。「あした季寄せ」の例句は「角川俳句歳時記」に採用された作品ごとに出典として記入され動かぬものとなった。これからも「あした季寄せ」は俳句散歩の必携の書として役立てて行きたいと思う。

国民文化祭の記憶

川上 綾子

種々と整理をしていたら「あした」の会の集合写真スナップ写真が出て来ました。主に国民文化祭連句大会のものです。初めて私が参加したのは大分大会、まだ連句は自信がないので観光参加でした。あれから時が流れて私も毎年の文化祭に参加するようになりました。このツアーのお世話をして頂いたのが川崎さん、大変お世話になりました。会の夜の食事、宴会がユニーク、自己紹介する度にグラスを持って乾杯と言って飲み次に回すという趣向。最後まで飲み干していたら大変ですね。主催地の特色を出した催しは、今も懐かしく写真を前に記憶のフィルムにタイムスリップして居ます。

鳴門古事記研究会

河野 桂華

鳴門古事記研究会の会長をさせて頂いています。一般的に日本最古の書物とされている古事記。徳島県から日本文化は広がったと言う解釈を共有し、月一回講座をしています。

「みんな先生みんな生徒」とキャッチコピーを掲げ、一方的に講師が教えるのではなく、「他人は自分の写し鏡」と言うコンセプトの上で、参加者自身が先生になったり生徒になったり。意見が白熱する事も多々。しかし会を重ねるごとに、皆さんの思いやりが増し、言葉も柔らかに。

人間だれでも誰かに認めてもらいたいと思うもの。目指す所は、古事記の勉強会を通しての自己の確立です。共に学び、笑いの絶えない会であり続けたいです。