ミニエッセイ  -思ううがまま-

故郷の名勝旧跡

岸田 芳雄

芳雄は近江野洲市が故郷。JR東海道本線の琵琶湖線、野洲駅前には「真宗木邊派 本山錦織寺へ一里」なる一メートル角の石柱表示があり、傍らを祇王井川の清流。平清盛に愛された祇王と妓女は、野洲祇王村北の出生。屋敷跡と伝える石碑も存在。この清流も二人に関わりあるのかもしれない。

錦織寺は真宗創始の親鸞聖人が逗留し阿弥陀如来仏を如来堂へ安置、本尊としたと寺伝にある。親鸞滞在中、天女が錦を織り仏前に供えた。時の四條天皇に献上したところ、「天神護法錦織之寺」の勅額を賜り、以来錦織寺を寺号にしたと伝えられている。

此のほか地域の総鎮守、兵主大社、永原天神等、地域の尊崇をあつめている

本歌取り

小泉富貴子

歌を味わうのは難しいと思うことしきりです。一句一筆を担当なさっている方々のご苦労はいかばかりか。

「韓藍の忿怒の色も褪めにけり」というわが句に一句一筆で、本歌取りの句ですねとあり、びっくり仰天。友人に話しましたら、与謝野晶子と発想が同じなんて、すばらしいと慰められました。同じく「羅に着替えて過去をはらり捨て」に「花衣ぬぐや纏る紐いろいろ 久女」の句を連想されたとありました。作者の思いが重層ににじみ出て、さらに深みを引き出していただいたと思います。

職を退き、忿怒から遠ざかり、堅苦しいスーツから解放され、日々是好日。

新 鮮

小岩 秀子

「ただいま! 」と元気に私は玄関を開けました。二泊三日の白内障の手術を終えて帰宅したところです。

すぐ目に飛び込んだのは紅白のシクラメン、こんなに色鮮やかな筈ではなかったのに! 更に、テレビ映像の美しいこと!カレンダーの日付がはっきり見え、見るもの総てがとても新鮮なのです。

次に手鏡の我が顔に、年令相応の老いを見つけてしまうなど、目に入るものが明瞭に見え、私特有のいい加減さを反省しつつ、飾り棚の人形にそっと手を添えたところです。

眼鏡なしで自然の色彩を感じられる健康に、大いに感謝の念を抱いたひと時でした。

鳴り出した歩数計

設楽千恵子

今迄使っていた歩数計を失くしてしまい、娘夫婦に話すと早速タニタの歩数計を買って来て、私の体重、身長等を聴き乍らセットして忙しく帰ってしまった。私はそのまゝ毎日利用していた。ある朝ラジオ体操へ行く準備中に何かの具合で首に下げた歩数計のブザーが突然に鳴り出し音量が上がるばかりであった。マニュアルを探すのももどかしく、取り敢えず電池を取り外す事にした。鳴り止んだ時の静けさには感謝の気持ちでした。

落着いてマニュアルを見ると、防犯ブザー付きの歩数計で紐の部分が引っ張られた為に鳴り出したので、突起を押せば良かったのだ。自分の愚かさを知らされた朝のひと時でした。

思い出す人々

清水うた子

終戦から今年の八月十五日で七十四年が過ぎました。思えば私の青春時代は「欲しがりません勝つまでは」を相言葉に、質素倹約に徹し、それを当然として不平不満を口にすることはありませんでした。それだけに敗戦の玉音放送は、国民の精神状態を奈落の底に突き落とすものでした。

百歳を迎えようとしている現在の私は、戦時下には想像も出来ない社会の恩恵をたくさん頂いています。感謝あるのみですが、ふと当時の人々をいとおしく思い出しています。

今年は四月に元号が変りますが、平成の世に引き続き、戦争のない平和な日々が永遠に続くことを願っています。

ヒスイ製勾玉(まがたま)

清水 將世

函館市縄文文化交流センターには近くの遺跡などからの出土品が多く展示されていた。中空土偶(国宝)や幼児の足形付土版(いづれも過日東京国立博物館で展示)が印象的であったが、特にヒスイ製勾玉に心を動かされた。ヒスイは日本ではほとんど新潟県糸魚川市の姫川でしか採れず、X線解析でも糸魚川産であることが実証されたという。約7千年前の縄文中期の出土品である。ヒスイは青森三内丸山遺跡からも出土しているというが、このような遥かな遠い時代に縄文人は広い範囲で互いに交易をしていたのである。驚きであった。今この地では「北海道・大東北の縄文遺跡群」として世界遺産の登録運動中である。