一句一筆 (第六十五号より)

次山 和子

  影掃いて伝えたきこと油点草   須賀 経子

この影は己が影であろうか。伝えたきこととは一体何であろうか。季語を「杜鵑草」とせず「油点草」としたのは何故であろうか。謎故に詩情を揺さぶられるのである。句は、作者の手を離れ読み手に委ねられた瞬間から自由に羽搏きはじめると言われるが、その好例であろう。

  鵙鳴くや一声ごとに天高し   菅谷ユキエ

縄張りを主張してキキキキッと鳴く鵙の鋭い高音は、秋の澄んだ大気に良く通る。その様をユキエさんは「一声ごとに天高し」と言い做した。自然の生命力を読み切った心地よい一句である。 〈晴天は鵙がもたらすものなりや 山口波津女〉

  イグアスの滝は芭蕉の句となるや  鈴木 哲也

地理学を専攻され、世界を歩いておられる哲也さんの今号の六句は南米の旅の句。掲出句のイグアスの滝は、ブラジルとアルゼンチンの国境を流れるイグアス川の大瀑布。その飛沫を浴び圧倒されながら、何と哲也さんは芭蕉の句を思っておられる。
〈暫時は滝にこもるや夏の初 芭蕉〉俳句は、まさに時空をも越えるのである

  死を美しと思いし秋の雨の部屋   髙尾秀四郎

秋は以外に雨が多く、この季節の雨はひたすらもの淋しい。死を美しいと思ったのは、秋の雨の部屋であったればこそであろうが、「死を美しい」とはどのような思いなのか。「美しい」には、心を打つ、潔い等の意味もあり、作者は人の終焉こそもっとも心を打つものであると言い做しているのである。万感迫る深い一句である。

  枹はずむ気魄のリズム秋気澄む 高橋たかえ

 「秋高し」と題するたかえさんの六句は、すべて太鼓にまつわる連作で、さまざまな角度から詠んでおられる。掲出句は枹捌きに焦点を当て、繰り出される気魄のリズムが秋空に轟く様を活写。読み手も、あたかもその場に居合わせた様な臨場感に浸るのである。

  関八州釣瓶落しの赤に燃ゆ 高橋 福八

田舎ぐらしの経験のある者にとって釣瓶井戸はなつかしい。縄や竿の先につけた桶は、まっすぐに井戸に落ちて行く。釣瓶落しである。関八州、関東一円が落日に燃える様を作者は「釣瓶落しの赤に燃ゆ」と。そして、燃え立ったあとの関八州は一気に暮色に沈んで行くのである。一物仕立てで詠み切った雄大な景である。
〈赤富士になりゆく釣瓶落しかな 乙部露光〉

  蛇穴にするりと五塵捨て去りて  田口 晶子

五塵とは衆生の本性を汚すとされる、色、声、香、味、触である。蛇はそれ等すべてを捨て去って穴に入ると晶子さんは言い做した。「するりと」の一語はこの句の要であり自身の終末も是くありたいと、ふと思われたのでは。これは筆者の深読みであろうか。
〈落日の刻はかりゐる穴まどひ 松本節子〉

  いい年を取ったじゃないの名残茄子  竹本いくこ

「いい年を取ったじゃないの」と、名残茄子にも自身にも語りかけている作者である。紫紺に揺れる名残茄子は美味である。その味わいを己の来し方とも重ねる。いくこさんは長年東洋治療院を営まれ、多くの患者さんを病苦から救ってこられた。日常のことばで、さらりと片肘張らぬ一句は素手の強みとも言えよう。
〈秋茄子や初老といふは水に似て  鍵和田釉子〉

  加代ちゃんと玉蜀黍のハーモニカ  寺田 順

日比谷連句会でご一緒だった順さんは、こだわらぬお人柄で、句ものびやかで楽しい。実のぎっしりとつまった玉蜀黍は、何といってもハーモニカ噛りが美味しい。玉蜀黍のハーモニカからは、夕空晴れての曲が流れる。令和の加代ちゃんは、おかっぱ頭だろうか。楽しい想像が広がる。

  捨案山子過去を視つめておりにけり  樋田 初子

取入れが終った畦に寝かされている捨案山子は、それ丈で物悲しい。〈磔刑のいつまで続く捨案山子 小木田久富〉過疎化、高齢化、機械化等で稲作の事情もずい分と変化して来た。捨案山子はどんな過去を視つめているのであろうか。畦を走る子どもの声。近隣助け合った賑やかな収穫の様子。そして、米づくりの未来をも案じているのかも。

  涼や肩越しに聞く娘の案内  戸田 徳子

           曝車椅子にて正倉院展

徳子さんは奈良に足を運び、正倉院展を拝観されたのであろう。博物館内の混雑を思い車椅子を利用。それを押されたのはご長女。「肩越しに聞く娘の案内」の中七・下五の母娘の間に醸し出されるやわらかな空気は読む者に伝わる。その案内は、どんな説明より徳子さんの胸に届いたことであろう。情緒に富む一句である。

  すっと来て何やら伝言蜻蛉かな  西田 杏子

日常の一齣をかろやかに切り取っている。何を伝えに来てくれたのかと思う間にも、旋回して姿が見えない蜻蛉である。〈ためらってまた矢のごとき蜻蛉かな  小沢信男〉目の前に現れては消えて行く事実の中で何を掴むか、それを平明なことばでどう適格に表現するか。常に感性を研ぎ澄ます心掛けこそ大切と自戒を深めた一句である。