一句一筆 (第六十一号より)

白根 順子

  寒紅や八十路に対う心意気  設楽千恵子

紅はいつの世も女性を魅了する色であり、人生の節目に彩りを添えてきた。小さい貝にねっとりと練り上げた寒紅の濃い紅の塊は、極めて小さいものだけに、艶冶な連想をともなう。千恵子さんの俳句はそつがない。読者を納得させる力をもっている。「寒紅」という季語の斡旋によって、八十路に心ゆたかな充実を与えている一句である。

  生れし地は生涯恵方ありがたし  清水うた子

青春時代を戦時下に過ごしたうた子さんは、今年白寿を迎えられた。当時の結婚は家対家のもので、何かあれば必ず実家に相談し、力になってもらった。来し方を思う時、脳裡をめぐるのは自らを育んでくれた故郷なのである。水原秋櫻子の「馬酔木」の女流、馬場移公子女史は、うた子さんの兄嫁にあたる。

  一切を捨つるは難き野焼き見ゆ  清水 将世

「野焼き」は焼く場所によって、堤焼く、丘焼くとも表現される。害虫を駆除し、またその灰が牛馬の飼料となる草の成長を促し、蕨・薇などの肥料になる。つまり火を放って枯草を焼き払い、すべて無になったように見える大地は、新しい息吹を育む始点にある。この世に人間が存在する限り、慣習は守られると作者は考えているのだ。

  先急ぐ人には見えぬ名残空  須賀 経子

名残の空は行く年に思いをはせてしみじみと眺める大晦日の空の意である。年の空とも表現されるが、「名残の空」には、人との離別を心にして仰ぎ見る感がある。平成も最後の大晦日の空ともなれば、なごりは尽きない。限りある時間に追われている私達であるが、数年後ゆっくり大晦日に句会をやるという案はいかがなものであろうか。

  探梅や明日のあるを疑わず  菅谷ユキエ

歳時記の探梅の項に「山野に早梅を探って近づく春のたよりを尋ねるこころ」とある。芭蕉はこれを冬の季語とした。梅見・観梅など、元来の意味は同じであっても、「見る」と「探る」に微細な季節感の相違がある。ユキエさんの作品は確信に裏付けされている。「今日は無理でも明日がある」と。探梅の季語がよく生かされた一句である。

  八十路への日記に託す一里塚  鈴木 哲也

人生の中で、八十歳という年齢は格別な意味を持つ。「八十歳になってしまった」と、「八十歳を迎えることができた」では大きな違いがある。哲也さんはこれからの生活を、目的を持って一つずつ熟していこうとされているのだ。その区切りとなる目印を日記に書き入れるのであろう。今年は一里塚をいくつ越すことが出来るか日記に託される。

  初富士や関東の地に早や六十年  髙尾秀四郎

しみじみとした新年の述懐である。六十年は「むととせ」と読むのであろう。秀四郎さんの生まれ故郷は九州の長崎とお聞きしている。東京に家庭を持ち、家を建て、大過なく過ごすことはごく当たり前に思えるが、やはりご当人の頑張りがあってこそと思う。「あした」の代表として健康でいてほしいと願うばかりである。

  蒼天へ山湖は昏れぬ冬の果  高橋たかえ

美しい格のある「あした」の俳句である。「冬の果」は「冬尽く」の傍題に見られる。長い暗い冬から解放される喜びの中で、なお残っている冬を見つめているのである。まだ空には明るい蒼色が残っているものの、山湖は平らかに冬の色をひろげ黄昏に入っていく。冬男先生の同級生のたかえさんの俳句に、「あした」の原点を見る思いがする。

  秋思かな運河をすべるカンツォーネ  高橋 福八

イタリア旅行の作品である。ゴンドラに乗って運河を巡ったときの船頭の美声に酔いしれているのだ。「秋思かな」という上五には、カンツォーネへの旅情と共に、ヴェネツィアが沈み続けているという事実を憂う心があると思う。

福八さんは毎年新年の埼玉テレビで、清元の素晴らしい美声をご披露されている。

  脳裏突く竹の切先飾り竹  田口 晶子

正月の門松に添えて立てるのが「飾り竹」。掲句は飾り竹の先が斜めに切ってある「そぎ」の状態であろう。冬男先生の「門松の竹の切先なる気魂」に通じるものがある。晶子さんはソプラノの美声の持ち主であると共に、勇壮な文字の書家でもある。情報社会の中で自己の感性を大切にされるため、携帯電話は持たないという主義を通されている。

  温暖となりて甘しや庭蜜柑  竹本いくこ

いまは品種改良もあって、蜜柑栽培の北限がだいぶ北まで延びているようだ。昔は埼玉県の寄居町風布あたりまでだったと記憶している。いくこさんのご自宅には蜜柑の木があり、今年の温暖な冬に甘さを増しているという。何気ない呟きの俳句であるが、「温暖となりて甘しや」のフレーズにいくこさんの充実した生活を垣間見る思いがする。

  句を捨てることを臆せず年新た  次山 和子

和子さんにこのような俳句を作られると、筆者はびびってしまう。この句は二つの意味を持つ。一つは、「推敲を重ねて、結果、納得がゆかない句は臆せず捨てよう」。二つ目は、「今まで身をおいた句作の世界を、思い切って抜け出そう。」ということ。後者でないことを信じて、願うのみである。