一句一筆 (第六十六号より)

次山 和子

  スクラムと歓声きしむノーサイド  二村 博

二〇一九W杯日本大会の場面を髣髴とさせる様な一句である。快進撃を続けた桜の戦士たちが、準々決勝で南アフリカに屈したノーサイド。スタジアムのファンからの拍手は鳴り止まなかった。この句の「スクラムと歓声きしむ」の『きしむ』の措辞こそが、熱戦の場面を思い起こさせるに十分であり、一語の持つ力である。

  鰤おこし能登の岬を引き裂けり  野島 一枝

富山県人一枝さんの「鰤の海」連作の中の一句。豊漁と喜ばれる鰤おこしだが、「能登の岬を引き裂けり」の中七下五は、その雷鳴の凄まじさを想像するに十分である。成長によって名前を変える鰤は縁起のいい出世魚で「嫁ブリ」など現在も様々な風習が残り祝いごとにも欠かせない。鰤の海を詠み尽くした六句は、一枝さんなればこその作。

  蓮の骨ジャコメッティの鬼気見たり  橋本 里子

ジャコメッティの細長く独特の人物像は眼に焼き付いて忘れられない。里子さんは作品と向き合った衝撃を「鬼気見たり」と言い做した。ジャコメッティは人物像によって自身の探索を死ぬまで続けたとされ、追求し続けるジャコメッティの鬼気である。そして何よりもこの句の詩的空間を広げたのは、季語「蓮の骨」の懐の深さであり、それを斡旋した里子さんの力であろう。

  一輪の侘助に茶をもてなさる  浜田 輝子

「あした」昨年3・4月号にも「竹の秋渋き着物の茶席かな」と茶席の句を寄せておられる輝子さん。今席の茶花の侘助は白であろうか。〈侘助の花の俯き加減かな 星野高士〉輝子さんは片や多才で活動的。今号の六句も日常から句材を得ながら視点は巾広い。

  残る虫何処まで歩く四国辺土  藤本 嘉門

祈りの日々を過ごしておられる嘉門さん。奥様の供養の四国遍路は何回もの結願を果たされている。嘉門さんの句の大半は四国遍路を詠まれたもので、平成二十六年にはそれ等をまとめた句集「行脚」も出されている。四国辺土を歩き続ける嘉門さんに届く「残る虫の音」は、生あるものの終末への哀惜を募らせ、この小さな命にも祈りを届けておられるであろう。

  蒲団作るとじ針使う姑笑顔  三澤 律乃

昭和のいつ頃迄であろうか。蒲団綿を打ち直し、仕立て直すのは冬支度の一つであった。「とじ針使う姑笑顔」の中七・下五には、ふっくらと仕上がった蒲団に満足げなお姑さまの様子、見守る律乃さんの笑顔も思われる。生活の中にしっかりと季節のあった時代を思い起こした一句である。

  皆うまく隠れてしんと大枯野  宮本 艶子

夏野の舞台で、今まで賑やかに演じていた役者達が、暗転と共に一斉に消えてしまった―そんな情景であろうか。が、深閑としている大枯野は、春に青々と芽吹く草々、駈け回り飛び回る動物たちを抱き眠っているのである。春の希望を抱いているのである。艶子さんの作品は平明な中に味わいがある。まさに上質な平明と言えよう。

  冬めきぬ高志広らかに広らかに  森川 敬三

広らかに広らかにのリフレインは、お住まいの高志の国(富山)への敬三さんの最大の讃辞でもあろう。高志の国は大伴家持の赴任の地であったことでも知られ、そして何より年号「令和」の考案者の中西進氏が、富山市の「高志の国文学館」の館長を勤めておられることからも脚光を浴びている。広らかな高志の地は、古来より深く知を育んでいるのである。

  とど松もつららも北の国のもの  矢倉 澄子

一句一章で読み下した作品。立ち姿の美しいこの句は、澄子さんその人とも重なる。とど松の幼樹はクリスマスツリーとしても親しみがあり、日を受けて煌めくつららは見る者の心も透明にする。澄子さんは共に「北の国のもの」と言い切る。北国の耳を切る厳しい寒さこそが、この美を育んでいるのだと。詩品のある一句である。

  大熊手どこ吹く風と売れ残る  安田 孝

酉の市で売られる熊手は商売繁盛を願う縁起物。毎年一回りずつ大きな熊手を買い求められる様に励むとも聞く。掲出句は、その大熊手が売れ残っているという。〈かけひきの値の定まらず大熊手  小川涛美子〉ということか。が熊手は「どこ吹く風」と素知らぬ体である。この中七のことばの肌ざわりはなかなかに小気味良く洒脱な一句。

  軸を替へ障子明りに心足る  柳瀬 富子

富子さんは折々に軸を替え、和紙を通しやわらかく差し込む障子明りの内に座しゆったりと心を満たしておられる。変らぬ羨ましい暮らしである。近頃は床の間を設えた和室のある家も少なくなったが、伝統が育んだ和の心は大切にしたい。〈白障子閉ざすはこころ放つなり 正木ゆう子〉

  自己開く旅へ勤労感謝の日  山㟢 宗喜

勤労感謝の日は、勤労をたっとび生産を祝う日だが、良く働いた自分への自祝の日でもあろう。〈一泊の湯治勤労感謝の日  大泉抱二〉ともあるように。が宗喜さんの「自己開く」には、開放のみでなく、旅の出会いで自己を更に高めて行きたい思いが込められている様に思える。