一句一筆 (第六十二号より)

宮本 艶子

  朝の道靴音高き新社員  寺田 順

順さんの句はいつも市井の人々の何気ない姿を活写していて楽しい。掲出の句「靴音高き」に新社員の弾む気持・緊張感が伝わってきます。サラリーマンの働き方も、この先のAI時代に入ると、人が担ってゆく仕事の内容も、どんどん様変りすることでしょう。そんな中でも、未来に夢をもって働ける共生社会が実現してほしいものですね。

  掛軸と無言の会話利久の忌  樋田 初子

天正十九年陰暦二月二十八日、秀吉の怒りに触れ自刃した千利休。「心」の掛軸に静かに対座し、「利久忌」を修する茶人・初子さん。「無言の会話」に茶の湯を極限まで追求した利久の教え、その精神に一歩でも近づきたいという真摯な作者の姿が浮かびます。茶道は点前から理を、そして悟りへと通じると教えられたことを思い出しました。

  春陰や彌勒に深く坐せる女  戸田 徳子

この句の弥勒は京都太秦の広隆寺の至宝・半跏思惟像の弥勒菩薩。しなやかで気品ある美しさは、むしろ近寄りがたい。その御仏に時を忘れたかのように跪く女性。その姿に魅了させられた作者。花曇ではなく「春陰」という趣のある季語が、重厚な作品にしています。〈朝顔蒔く小さきものほど思い籠め〉徳子さんのお人柄が思われます。

  回り道万朶の花を避けたくて  西田 杏子

咲き誇る万朶の花、ぞろぞろ溢れる花見客。そんな道を行くのは苦手。疲れます。そんな時は回り道をしてでも、ゆったりとしたいものです。精神科医でいらっしゃる杏子さん。冬男先生の主治医だったとお聞きしています。「あした」の結社に席を置かれていましたが、この三月から同人誌「あした」へ投句を再開。うれしい限りです。

  風船の旅見送るやうなじの毛  二村 博

色とりどりの風船に手紙など結んで放つ。気流に乗った風船は風まかせの旅。たまたま拾った人から思いがけない便りが届くこともあり、風船を手放す一瞬の高揚感はたまらない。少女の初々しい項の毛のそよぎが、その期待感を表わし、見つめる作者の目差しが好ましい。博さんの何かの研究のための一環だったのかも知れません。

  蓬摘む背ナのぬくさや山羊の声  野島 一枝

人生の中で、八十歳という年齢は格別な意味を持つ。「八十歳になってしまった」と、「八十歳を迎えることができた」では大きな違いがある。哲也さんはこれからの生活を、目的を持って一つずつ熟していこうとされているのだ。その区切りとなる目印を日記に書き入れるのであろう。今年は一里塚をいくつ越すことが出来るか日記に託される。

  北窓開く母の匂いの薄れ行き  橋本 里子

お母さんの介護を続けてこられた里子さん。介護を終え俳句道場にも参加されるようになりました。昨年の年間秀逸は一位の五句。その作品に〈今日一日母を捨てたし五月闇〉とも。私も義母を看取るなかで様々な想いが交錯しました。母との濃密なつながりも時と共に、自ずと薄れて行くと述懐。誰もが通る道。これからはご自身の新しい境地を開かれますように――。

  啓蟄の新たに歩むあしたかな  浜田 輝子

輝子さんは「河」や「白」などの結社で研鑽され、再び「あした」の門を叩いて下さいました。その新たな決意を詠まれています。すでに句集も出されており、ベテランです。平明な中に、きらりと光る作品をこれから発表して下さることと、楽しみにしております。

  釣釜や茶室に遺す妻の匙  藤本 嘉門

卒寿も近いという嘉門さん。四国八十八箇所の巡礼は常に亡き奥様とご一緒です。遺愛の茶杓にも思いが溢れます。俳句四季二月号の船越淑子選で〈一食を絶って供養の遍路かな〉は秀逸でした。嘉門さんの巡礼は私事にとどまりません。法の道をひたすら歩まれる姿に、時として幾多の魂が寄ってくるといいます。果てのない仏道の旅です。

  春祭り機屋の障子明けて見る  三澤 律乃

〈山車曳きて田畑を覚ます春祭〉この句は清水うた子さんの義姉・馬場移公子さんの作品。春祭の景と意義が鮮明に詠まれています。養蚕の盛んだった秩父地方には機屋も多くあったことでしょう、障子を開け、春祭を楽しむ律乃さん。「金太郎飴」を買ったり、皆で大皿のお煮しめをいただいたりと、思い出は尽きません。

  春昼や隣りに日差し座るバス  森川 敬三

こういう光景に何故かほっとします。今流行の路線バスの旅にでも出掛けたくなります。どこか尖った世情、片意地を張ってトラブルの絶えない昨今。うららかな春の日差しと共にゆったりと過ごせたら、最高の贅沢。〈朝桜きのうと違う吾をさがし〉実りある人生を邁進されている敬三さん。今年は日本連句協会の新理事にもなられました。

  天上の夢の片々ささめ雪  矢倉 澄子

「細雪」と聞くだけで、谷崎潤一郎の小説がフラッシュバック。澄子さんの「ささめ雪」はこまかに降る雪。また、まばらに降る雪で冬の季語。それを「天上の夢の片々」と捉える詩情に感服。同時発表の他の五句は春。春らしい色彩と澄子さんらしい、こまやかで美しい情感ある句が揃っており、平安絵巻を観るようです。