一句一筆 (第五十九号より)

             白根 順子

  その赤はたましいの色曼珠沙華 橋本 里子

曼珠沙華は梵語で天上に咲く赤い花の意という。彼岸花の名があるように、秋の彼岸の頃、群がり咲いて何とも美しい。突然現れて、亡き人の魂が語りかけてくるようにも思う。蘂にそっと触れて「またね」と呟いてみる。「曼珠沙華何とはかなきいのちかな」とも詠う。里子さんは「あした俳句道場」へ斬新な作品を投句、話題を提供してくださっている。

  結願や心身満たす銀杏の実 藤本 嘉門

嘉門さんのお齢で四国八十八ケ所の札所を徒でめぐれる人がいるだろうか。掲句の「結願」は九回目の大窪寺であろう。「歩きながら休め」の声を耳にしてから、次の札所に着く時間も早くなったという。第八十八番大窪寺の大師堂で各札所を参り終えたお礼を述べると、お大師様が大きな声で「よう来たぞ!」と仰ったという。ご立派な人生を尊敬している。

  車椅子の母と眺める秋夕焼 三澤 律乃

 お母様の車椅子を押されたのは、散歩の道か病院の屋上か。いずれにしても残り少ない母と娘の時間である。秋の夕焼は夏の夕焼にくらべ時間的にも短いが、その短さを惜しみつつ、二人ともその美しさに寡黙になる。懐かしいひと時である。今年の夏の暑さは厳しく、夕焼を見るということをしなかった。美しい秋夕焼に、律乃さんのやさしさが染まる。

  障子洗う川も部落も痩せにけり 宮本 艶子

久しぶりに帰った故郷。子供の頃、この川で大人たちは障子を洗っていた。今は村の道路も整備され、様変わりしている。「痩せにけり」という下五が一句を締めている。艶子さんの故郷は奈良。おっとりした雰囲気の中に芯の強さを秘める良識の人。この十年間、艶子さんの両眼を信じて「あした」の編集・校正を行ってきた。まさにこの上ない相棒である。

  磯菊に日の香渕の香風岬 森川 敬三

磯菊は海岸に自生し群生する多年草で、晩秋に多数の黄色の筒状花をつける。この一句には眼前の光景がぱっと開ける思いがした。磯菊を詠んでこれ以上の作品はないであろう。語呂もよく、「風岬」で作者の立ち位置が鮮明。叙景句であり抒情句でもある。敬三さんは細やかな心配りの方で、遠方の富山から編集部に何かとご助言をくださっている。

  柿落葉まだ紅のわだかまり 矢倉 澄子

 柿落葉で一度切れるので、紅にわだかまりを持っているのは、柿落葉であると同時に作者自身であろう。この心意気が頼もしい。澄子さんは冬男先生のドイツでの句碑建立行事に参加された。もう十五年も前のことであるが、着物をお召しになられた澄子さんには華があった。まだまだ若さと華やかさに執着していただきたいと思っている。

  とろろ汁粘りほどよき絆かな 安田 孝

炊き立ての熱い米飯、麦飯にかけて食味する「とろろ汁」は、うすめる出し汁でその味が決まる。妻の作るとろろ汁より母親の味が好きだという男性もいるだろう。しかしその粘り具合こそ、とろろ汁の骨頂である。「ほどよき絆」とは、ご夫婦間の日常の状態であり、奥さまを愛し、信頼しているという表現なのだ。季語との付け合いのほどよい一句である。

  冬仕度遺品少なくして棲めり 柳瀬 富子

遺品とは、ご主人の遺された品々であろう。思い出が重なり、なかなか整理できないでいたが、今年の冬は思い切って身の回りの断捨離をしてみたということである。富子さんは物静かで思慮深い方であり、他人に迷惑をかけることなどありえない。しかしこの一句からは、なお自分自身を律する厳しさが垣間見える。「冬仕度」の季語が動かない。

  寝ころんで般若心経星流る 山﨑 宗喜

この一句から、宗喜さんが元来の姿に戻られたと感じた。五六年ほど前「八月はどうしても俳句ができない」そして次の年も八月の投句はなかった。八月はご主人の祥月なのだ。「寝ころんで般若心経」とは不謹慎にも思えるが、山登りが趣味の宗喜さんは友人と草原に寝ころんで空を見上げていたのかも。「元気かい」というご主人の声が聞こえるようだ。

  命尽きし一木を伐る暮の秋 山司 英子

植木屋さんの来ている庭の様子であろう。枯れてしまった古木の根に清めの塩を撒いてから鋸をいれる。木にも寿命はあるようだ。「暮の秋」という晩秋の季語が作者の気持ちを代弁している。かつて抜けるような青が持ち味の西洋アサガオ「ヘブンリーブルー」が梅の木に巻き付いて花をさかせたのを嫌い、アサガオを切ってしまったという一途な英子さんだ。

  台風過子ども俳句のバス走る 山田他美子

平成十八年十月、町田市民文学館「ことばらんど」が開館され、他美子さんは職員として勤められた。「ことばらんど」では、小学生向けの「子ども俳句教室」を春と秋に開催、毎回、市内外の公園など自然の中で俳句を作るという。また、連句を通じて文学館と市民の協働のありようを伝えるべく、「風時計」という連句通信の編集・発行も担当されている。

  古時計秋思の音を刻みけり 吉田 光子

「秋思」と題する一連の作品の中の一つである。秋思とは秋のしみじみとした情趣ともの寂しさの意味を持つ。光子さんは茶事に長けておられるので、秋の夜半さまざまな書物を紐とき、茶室の一場面を組み立てているのかもしれない。教養の一つとして俳句があり、古今集があり、万葉仮名がある。調べ事に没頭している部屋に古時計が秋思の音を告げる。