一句一筆 (第九十四号より)
宮本 艶子
永久の刻違えず開く古代蓮 角田 双柿
驚嘆なのは蓮の種子の生命力。双柿さんのお住い熊谷に隣接する行田市には「古代蓮の里」があります。1971年工事現場で掘り返された種が自然発芽。千四百年〜三千年前の種とか。〈永久の刻を違えず〉の蓮の神秘を思わずにはいられません。花は開花から散るまで四日間と短命ですが、その美しさは浄土を想起させます。花托はアシナガバチの巣に似ており万葉時代は「はちす」と。未来永劫の蓮です。
改札口出でてぶつかる大西日 川上 綾子
真夏の衰えを知らぬ夕日。予期しなかった大西日は〈ぶつかる〉という表現がピッタリですね。改札口を出てのことですから、思わず手をかざしたことでしょう。6句のうち5句はどれも情緒ある作品。その中で〈大西日〉は直載な詠みで綾子さんの西日に向かってきっぱりと歩んで行こうとする姿が表出されていて快い。
秋季満つ肚を括って病むばかり 川岸 冨貴
卒寿を過ぎた冨貴さん。入院をされ弱気になられ「あした」の出句も断念しようとしたこともありました。再起され連句に同人作品に邁進して下さっているお姿にどれほどか私も勇気を得たことでしょう。〈肚を括って〉のたじろがない覚悟が病気を一蹴してくれることでしょう。打ち出しの季語「秋季満つ」のクリアで引き締った語感が中七下五の心情の吐露を力強くも清々しく感じさせてくれ、心強い。
頂上は楽園なるや山登り 河野 桂華
かつては進行・修行のための登山でした。現在は霊峰富士登山もすっかり観光化してしまいました。目的は別にしても山登りは一歩から。道程は苦難がともないます。それでも思いがけない鳥の囀りや珍しい花々にほっと一息つきます。桂華さんは〈頂上は楽園なるや〉と期待をこめます。一点の雲もない展望はこの世のパラダイス‼あせらず一歩一歩です。
ときめきぬ梅雨の晴れ間の風の色 小泉富美子
上五〈ときめきぬ〉に思わず惹き付けられます。〈梅雨の晴れ間の風の色〉と美しい流れが佳いですね。白南風ですね。「きっと今日は良い事がある」ときらきらとした期待のこもった風の色。それを全身で感じている富美子さん。6句全てに卒直な想いを季語に託され、心に響きます。〈石楠花や今を優雅に生きており〉教育者の矜持、素敵です。
夏の浜津波が奪う青春譜 小岩 秀子
仙台にお住いの秀子さん。東日本大震災は13年経った今も決して忘れられない災禍でしょう。エネルギッシュな夏の浜に佇てばあの時、津波に奪われた多くの命を想わずにはいられません。殊に青春譜を記せなかった若い命の無念さを。
気候変動、地球沸騰時代に人類はどう対峙すればよいのでしょう。その心構えを改めて問われている気がします。〈汗拭う健やかなりと思いける〉|生きている実感ですね。
鳴き止めば軽くなる杜蝉時雨 設楽千恵子
五感で捉えた詩情が佳いですね。杜のどの木も蝉の木と思うほど蝉が一斉に鳴き立てます。むんむんする暑さと相まって肌にまといつく熱苦しさです。突然、ピタッと止んだ蝉時雨。静寂の中の解放感。〈軽くなる〉の千恵子さんの鋭い感覚に拍手。蝉は出現時期、一日の鳴く時間帯もほぼ決まっています。蝉時雨も生態の一つ。それを詩に昇華しました。
稲光り天の網から逃げられず 清水 将世
一天にわかに掻き曇る中を網のように走る稲妻。老子の「天網恢恢疎にして漏らさず」が頭をよぎります。雷は「神鳴」。太古から雷は天の怒りという。稲妻は光を注視。昔は稲妻に霊的なものを覚え、稲の実りと結びつけ「稲つるび」とも。稲作は生活の根幹。一方で天変地異を起こす象徴。自然への畏敬の念の薄れつつある昨今、将世さんの示す〈天網から逃げられず〉の謙虚さに立ち止まりたいですね。
紙魚穴や大河ドラマは源氏の世 白根 順子
〈紙魚を追ひけだかき銀にたぢろぎぬ 林翔〉。紙魚は雲母虫とも。紙魚穴から雅びな平安の「光る君へ」の世界にワープした順子さん。藤原道長一族の権力闘争の世に「源氏物語」に着手したまひろ(紫式部)のきっかけは?54帖の大作をどのように書き進めたのか。紫式部をはじめ平安中期に活躍した清少納言、和泉式部など皆、国司の娘でした。彼女たちの文化を支えた律令制度。今後の展開に興味が尽きません。
竹林の大きゆらぎの厄日かな 須賀 経子
厄日は災難にあった日。歳時記でいう「厄日」は立春から数えて二百十日、二百二十日を指します。稲の開花期で暴風雨の襲来を警戒したのです。経子さんは〈竹林の大きゆらぎ〉に不安を覚えたのでしょう。「かな」の切字に心の内がよく表われています。〈海光のきらきら光る厄日かな〉穏やかな海を詠み、厄日の不安と安堵を巧みに並立させています。
風立ちぬカンナは萎えを知らぬ花 菅谷ユキエ
一群となって赤や黄の鮮やかな花をつけるカンナ。背丈も一、二メートルに。花期は長く夏から初冬まで咲き続けます。ユキエさんの内に堀辰雄の「風立ちぬ」を思います。〈カンナは萎えを知らぬ花〉に死と向かいあいながら永遠の愛と生を見詰める姿に通じているように感じました。赤いカンナの花言葉は情熱・人生の最後まで輝き続けることを願うです。
岩煙草駆け込み寺の文士墓 髙尾秀四郎
薄暗く湿った岩などに生える岩煙草。タバコに似た葉は岩から垂れるほど。花は紅紫色の星形とか。〈駆け込み寺の文士墓〉に鎌倉の東慶寺を思います。不法な夫に苦しむ女性を救った縁切寺。寺格の高い尼寺も今は僧寺に。季語「岩煙草」が苦難の女性と文士と程好く響きあい「あわれ」。境内奥には西田幾多郎、田村俊子、鈴木大拙、和辻哲郎らが眠ります。