一句一筆 (第九十一号より)

森川 敬三

冬菫湧きたつ吐息かすかなり   江森 京香

俳句には、季語を詠むという詠み方があります。この詠み方の場合、季語の説明にならないことが大切です。単なる説明にならないために、作者の感性や見立て、句に仮託する作者自身の心情が大切です。掲句は、「冬」や「菫」の色と形状から「湧く」「吐息」「かすか」を感じ取った作者の感性が生きています。また、それが読者の納得感を誘います。ひとときの安らぎをいただきました。

石清水撥ねて破魔矢に八幡宮   岡崎 仁志

面白い新年句になりました。上五と座五を合わせれば「石清水八幡宮」です。句中唯一の用言「撥ねる」が、光と空間性、新年のめでたさと躍動を感じさせます。もちろん、「清水」は夏の季語。掲句の意図が京都「石清水八幡宮」ではないとしても、季重ね「清水」の清らかさは新年句の作句意図にふさわしいと感じました。

笹鳴や狭庭にぽっとぬくもりを   越智みよ子 

鶯といえば「ホーホケキョ」。この鳴き声は、繁殖期のもので、それを過ぎ翌年の繁殖期までは「チャッ、チッ」という地鳴きになります。雪国富山に居住する私は、笹鳴を意識して聞くことがありません。そのため、私は春の訪れがごく近い「いま」を感じました。厳冬期を確かに生きて春への胎動「ぽっとぬくもり」を点す笹鳴。この句で降雪・積雪期を慰められました。

初日影仁王立ちしてひとり占め   角田 双柿

作者は「あした」の重鎮です。ご高齢のことと思います。けれども、この活力。掲句の力強さに畏敬と羨望の念を持ちました。新年を迎えた意欲でもあり、太陽の恵みを受けての生命力の充実でもあります。拙宅辺りでは久々に雪のない元日を迎えましたが、傘を持っての初詣となりました。そのような環境にある者として、先達のこの句に励まされました。

米寿なり屠蘇酌める幸しみじみと   川上 綾子

米寿、おめでとうございます。明けて米寿の年をお迎えになったのですね。これまでの人生を思い、家族や周囲の人への感謝や邪気を払いさらなる長寿を願う気持ちが一入です。読者にもそれが「しみじみと」伝わってきます。私の家では屠蘇の習慣がありませんが、酒器などのめでたい彩りまでもが目に浮かびました。ますますのご健吟をお祈りいたします。

年新た己信じていざ一歩   川岸 冨貴 

何といっても、「己信じていざ一歩」の直截な力強さに圧倒されました。新年を迎えた心持に年齢的老若はありませんが、このように言い切れるのは様々な人生経験を経てのことと拝察します。そして、作者のきっぱりとしたご性格も思わせる句柄です。「己」には、自らの信条や社会との関係、そ17して生命力など、多くの思いが込められているのでしょう。私もこのような心境に近づきたいものと強く思いました。

北風や君の図体頼もしく    河野 桂華

「君」はご主人でしょう。厳しい寒さを伴う北風から「わたし」を守ってくれるのです。現代は、男女の区別を厭う時代。けれども、やはり男女には自ずと違いがあります。男性は頼もしく女性はか弱く、という固定観念はいただけません。それでも、男性女性はその違いや特性を生かして社会生活や家庭生活を営んでいます。「図体」に俳諧味があって面白い!

来し方の悔いも愛おし落ち葉踏む 小泉富美子

落葉には、如何ともし難い寂しさが漂います。ですから、「来し方の悔い」=「落ち葉踏む」となってもいいところ。けれども、作者の前向きな心情は、その悔いさえ今となっては「愛おし」だととらえていらしゃるのです。そのように思えるのは、大いなる人生経験を経てのことと推察します。「悔い」にまみれている私には、理想の心境です。

しずる雪幼なの髪のぬれそぼつ   小岩 秀子

雪国に住む私には見慣れた光景です。その私が最初に注目したのは、名詞「しずり雪」ではなく動詞を用いた「しずる雪」です。動詞によって、作者が幾分離れたところから「しずる」の動きを見ているように感じたのです。そして背景の青空、陽光に輝くしずり雪や「髪」のしずくが見えます。作者の意図するところです。

書初や亡き師の書体礎に   設楽千恵子

私は、俳句講座で「守破離」を紹介しています。元々は茶道の言葉のようですが、諸芸一般に通じます。師の教えを受け、その型を身につける(守)→他者の型や自分の工夫でその型を破る(破)→師の型や他者の型、自分の工夫を止揚し、自分自身の型をもつ(離)が理想です。いずれの段階にあっても、師の教えが「礎」です。いつまでも初心を忘れない作者の思いが分かります。

寒取りや親方の叱咤熱はらみ   清水 將世

寒い時期でも、相撲は当然締め込み一つです。初場所を前に、「今年こそは……」と稽古に気合がこもります。見守る親方からは、いつもにも増して厳しく鋭い言葉が飛びます。叱咤には、励ましの思いもこもっています。これらすべてを「寒」と「熱」とで表現しました。作者の狙いです。力士の躍動と体から立ち上る湯気までが見えてきます。富山出身の朝乃山も応援してください

節分や若き綺羅もつ星ひとつ   白根 順子

「若き綺羅もつ」に作者の感性が生きています。そして、上五「や」切れ、座五体言止めのかっちりとした句形が句内容にふさわしいと感じました。これらのことを思うとき、掲句が現代連句の発句にも敵う句だと気づきました。作者は連句の手練れです。発句→俳句の歴史や「あした」が標榜している心象から象徴へに思いを至しました。