一句一筆 (第六十三号より)

宮本 艶子

  冷し酒無明の底を透かしけり   安田 孝

ずっしりと胸に響きます。前号の「私の一句」で、大病院の医師として日々、命と向きあわれ、その中での紆余曲折を吐露されていました。飲めば飲むほどに、魑魅魍魎の世界をさ迷い、悟ることの出来ない煩悩、不安に苛まれるのが人間の性。しかし結句は「透かしけり」と―。浄化された一筋の光明を孝さんは見つめられています。

  母の日や包み紐切るもどかしさ   柳瀬 富子

母の日のプレゼント。その嬉しさは紐を切るのももどかしく感じるほどにワクワクします。中味は勿論ですが、贈り主の恙無い暮しも見てとれ、安堵したりするのが母親。富子さんのいつも変らぬ穏やかなお姿は家業の写真館を支え、然りげない心配りが、自然と人を呼び寄せ和ませてくれます。梶の葉句会へは自転車で颯爽と来られます。

  ワイン手に母になれざる母の日や   山崎 宗喜

女性としてのしみじみとした述懐です。その分、ご夫婦の絆はより深く強かったのではないでしょうか。彼岸と此岸、住む世界は違っても、心の絆は永遠と思われます。どの句からも夫への思いが溢れています。見守られ健やかに暮らした日々に乾杯です。宗喜さんは現役時代〈看護婦も医師も病者も生きて汗〉と素晴らしい句を詠まれています。

  天性のコメディアンかも棒振虫   山司 英子

「棒振虫」は蚊の幼虫。孑孑です。 「天性のコメディアン」と捉える軽妙洒脱な英子さん。〈蟻地獄待つと言うこの愉悦こそ〉擂鉢虫の幼虫になり切って詠んでいます。九十歳とはとても思えない若々しい感性はまさに英子さんの真骨。作品発表まで何度も推敲されます。校正の時、その痕跡を目にし、真摯な句作姿勢に頭が下がります。

  新緑の光あらたや改元日   山田他美子

五月一日新元号「令和」がスタート。「令和」の典拠は万葉集。天平二年正月大宰府の大伴旅人宅での梅花の宴の序から採られたとの事。当時大宰府政庁は防衛と外交の拠点。「平和でよき時代」を祈念するばかりです。他美子さんはご多忙の中、俳句道場にも出席下さるようになりました。確かな視点と深い考察力を持たれた頼もしい方です。

  将門の瞳きらめく神田祭   吉田 光子

光子さんは生粋の江戸っ子。神田祭と聞くだけで血が騒ぐことでしょう。祭神は大己貴尊。粋で鯔背な神輿巡幸で有名。将門は何処に―。摂社に祀られているそうです。古くは怨霊神としてこの地の守護神だったのです。明治になって逆臣と言われ退けられたのだそうです。光子さんは闘病中。でも道場へ毎回出席下さり、力を下さります。

  雲の峰韋駄天を待つ競技場   渡部 春水

東京五輪もいよいよカウントダウン。新競技場も完成間近。どの選手にもドラマがあり、新たな伝説が生まれます。雲の峰に負けないエネルギーが東京を包むことでしょう。春水さんは長い間、俳句道場の幹事として骨身を惜しまず句会を牽引して下さいました。春水さんの力強いバックアップに私は支えられました。感謝感謝です。

  五月雨や独り居に沁むノクターン   青木つね子

〈梅雨荒れや櫛風沐雨超え八十路〉〈語り合う人なきに慣れ梅雨の星〉― と現在の境地を詠まれています。雨に和すように胸にしむノクターン。同人誌「あした」の作品は五十音順。ずっと巻頭の重責を担ってきて下さいました。その編集方針を貫徹出来ているのも、その作品を信頼していればこそ。それに応えて下さるつね子さんです。

  石塀に一筆書やなめくじら   芦澤 湧字

蛞蝓画伯の登場です。貝殻がないだけで蝸牛のように愛されません。石塀に残る銀色の行跡。その一筆書こそ蛞蝓の思いを表現したものに相違ありません。湧字さんは俳句道場で研鑽。落語や相撲など多方面に精通しておられ、話し上手。酒席を盛り上げてくれます。秀四郎代表を支える若手の一人として嘱望されています。

  青梅や未熟なるまま進む老い   石井 季康

季康さんは博学多識で人生の大先輩。掲出句はご謙遜。まだまだ青梅―それは限りない、これからの可能性を秘めていることの現れ。若々しい探求心の発露なのです。縄文時代に飽くなきロマンを馳せたり、「かいず(クロダイの幼魚)」の釣れるのをじっと待たれたり、時には「風鈴の音を厭う」風潮に物申したりと、まだまだ意気軒昂です。

  青蕗や渾身の葉を天日に   江森 京香

晩春から初夏、蕗は太陽をいっぱい浴びてぐんぐん成長します。秋田蕗は葉柄が二メートルにも達するといい「渾身」の力を感じます。その葉柄のおいしいこと。大好きです。京香さんは百歳を超えられたお母さんやご主人など、まめまめしくお世話されています。「ずしりと重い」日々を愚痴ひとつ言わず、献身しておられます。

  堰に佇つ青鷺一羽風の息   岡崎 仁志

青鷺が身じろぎ一つせず堰に佇っている姿は彫像のようです。時々吹く風が後頭の冠羽を動かします。一連の「川」の作品は分水嶺からリバーサイドまで自在な景を楽しませてくれます。仁志さんは春水さんから俳句道場の幹事を引き継いでくれました。京都伏見生れ、京都大学で学び、停年まで雪印乳業に勤められました。「あした」の逸材です。