一句一筆 (第五十七号より)

渡部 春水

  風立ちて気合の入るふき流し  川上 綾子

鯉幟や吹流しは風がなければだらりとしているが、待望の風が来ると、ここぞとばかり気負い立ってはためく。人が落ち込んでいる時にその風景を見ると、励まされるものだ。 長い人生では波乱の続く期間もあるが、誰にでも順風満帆の時期が必ずある。俳句と連句で長くご一緒している綾子さんが落ち込んでいる姿を見たことがない。

  青嵐方位磁石の確かなる 川岸  冨貴

古代ギリシャでも磁石の力が知られており、プラトンは磁石について書き残している。実用化されたのは方位磁石が最初で航海術を進歩させた。船を揺らす程の嵐の中でも方位磁石は狂うことはなく、航路を正しく導く。山道で迷った時も磁石が大いに役立つ。人生でも道に迷うことが常であり、冨貴さんは信念を指針として進むことの大事さを詠まれたのか。

  虹の橋誰も渡らねば美し  河野 桂華

冬男師が「虹の座のまろさは天のまろさかな」を詠まれたのは昭和六十年。桂華さんが、師の句から連想して作句されたのかどうかは分からないが、破調ではあるものの立派な象徴句であると思う。船旅で師と出会い俳句を始められた桂華さんは、「あした」の皆さんとは中々会えないが、徳島でお仲間と俳句と俳画の展を催したり俳句への情熱が大である。

  夏霧濃し行方混沌核論議   岸田 芳雄

芳雄さんは掲句の他「原爆忌」と「京都議定書」の時事句を出された。米朝間で世界を揺るがしている「核論議」の行方が注目されている。夏霧が消えるのか、このままなのか。かのキッシンジャーが「核兵器と外交政策」を著して「柔軟な外交政策」を提唱したのは一九五八年で東西冷戦の時代。六十年後の現在も「核兵器」は保有国の外交手段として厳存。

  羅に着替えて過去をはらり捨て  小泉富美子

羅とは美しい響きの言葉だ。何処かで羅を纏った女性に擦れ違ったりすると、振り返って後ろ姿を眺めたくもなる。作者は、「着替えて過去をはらり捨て」と詠まれているところから想像すると、何か難しい問題を抱えておられたのかも。別季語ではあるが「花衣ぬぐや纏る紐いろいろ 久女」の名句。

  団扇出す父ははの風聞きたくて  小岩 秀子

その団扇はご両親が愛用されていたものでしょう。昔の団扇は絹や和紙で張られた高価なものがあったので、その類の品物かも知れない。エアコンもなく、さして広くもない家の中で、一家団欒の賑やかな生活があった。その中で子供達が成長した。謹厳実直な父や優しい母の姿が今では懐かしい。
秀子さんは団扇を手にしながら暫し郷愁に浸っておられる。

  葉桜や表札のみの空き家増え  設楽千恵子

最近の新聞によれは、全国の空き家は八百二十万戸もあり、五年前より六十万も増えたとのこと。今では地方のみならず大都市でも増え続けている。子供が独立して、後を継がずに更地にすると税負担が増加することが一因とも言われている。他人事ではない。千恵子さんのご近所でも同様であるらしく葉桜を眺めながら世相の変化に複雑な思いに浸っておられる。

  万緑や名山武甲毅然たり  清水うた子

筆者も同じ埼玉県に住んでいるが、東部地域であり、近くに山が見えない。電車で秩父を訪ね、車窓から武甲山が見えて来ると毅然とした姿に目を見張り、「万緑の名山」を詠んだ作者のお気持ちがよく分かる。誰もが故郷の山に郷愁と誇りを持ち、精神的に落ち込んだ時などはその山を思い出して励まされ、何とか窮地を脱せねばとの気持ちにさせられるものだ。

  蛍火を無心に追いぬ露天の湯  清水 將世

將世さんは金沢のご出身であり、露天風呂は北陸の名湯らしい。ご両親を相次いで亡くされ、法事で帰られた時の句かも知れない。湯に浸かると蛍火が見えて来た。雑事を忘れ無心にそれを追う。ほっとした至福の時間であり、明日への活力にもなる。奥様の芳子さんも俳句道場の会員であり、共に句作りに励まれて、めきめきと腕を上げておられる。

  無聊とはわが文机の水中花  白根 順子

「あした」の要としてだけでなく、日本連句協会・さきたま連句協会等の重鎮として多忙な日々の続く順子さん。書き物をしながら文机にある水中花を見つめ、人の心を慰めてはくれるが「水中花は無聊なことよ」と同情を寄せる。一方では、公私に渡って忙殺されて来たご自身を振り返り、ゆったりとした時間への憧れも抱かれておられるのかも知れない。

  野馬追の駿馬よ時を止めたくて  須賀 経子

「夏木立」と題された十句に野馬追の二句がある。七年前の大震災で相馬野馬追いが危機に瀕したが地元の尽力で見事に続行。平成十二年七月の「あした」の吟行で訪れた野馬追祭に五十名が参加し、猛暑の記憶が消えない。経子さんの句は「炎帝や野馬に漢の志気乗せて」あの時の感動を思い出して「駿馬よ時を止めたくて」と詠まれたのかも知れない。

  春炬燵読み止しの本そのままに  菅谷ユキエ

最近は炬燵をする家が少なくなった。縁側に面した春炬燵での読み止しのご本は何だろう。俳書か小説かエッセイか。新刊かそれとも何度も読んでいる愛読書でしょうか。難しい内容ではなさそうですが、本に栞も入れずにうとうととされたのかも。忙しい人生が続いたが、今はゆったりとした日々。ユキエさんの句は肩が張らず素直で読みやすい作品が多い。