俳句随想

髙尾秀四郎

第 79 回  駅を詠む句

秋情や終着駅で買うキップ  宇咲冬男

冒頭の句は冬男先生の句集「荒星」から抽いた句です。冬男先生の句の中で、今回のテーマ「駅」を詠んだ句を探してみたのですが、なかなか見つからず、ようやく見つかった句は季節違いの秋の句でした。前後の句から推察するに多分ドイツで詠まれた句であると思います。

俳句で「駅」の句を探すと古いものには「駅」を「うまや」と読ませるものがあります。「駅」という漢字の中に「馬」があるのは、「馬」が交通の手段であった時代に生まれた言葉であるからでしょう。今はその馬に代わって列車が走っています。「馬」に代わった交通手段の一つに飛行機がありますが、こちらの駅は「空港」と呼ばれています。列車のように地続きではない場所に行き、鉄路のような道がないことから「港」になったのかと推察しています。この2つを比べると、例えば別れの場面では、「駅」であれば別れて行った人は鉄路の先に居ることが窺えます。しかし空路や海路の「港」の場合、そこには空や海があるのみで具体的な辿るべき道がありません。そこでの思いは出航時の別れの紙テープのようにプツンと切れてしまうような感覚があるように思います。

今回は「駅」という場所に因んだ句について書いてみようと思います。まずは「駅」に関する少年の頃の思い出から。

小学校5年生、10歳の梅雨時に、母と長崎駅を夕方に出発する寝台特急「桜」に乗って上京しました。寝台車は寝る時間帯以外は向き合った6人分の寝台の一番下の寝台2つが座席になり6人が3人づつ向かい合って座ります。6人はほぼ1昼夜を一緒に過ごすので、はじめは余り話さないものの降りる頃には親戚同士のような親しさになります。長崎から上京した特急列車での朝は食堂車で洋食の朝餉を摂りました。銀のナイフとフォークを使い、バターが氷の上に花形に整えられて乗っていたのを何故か鮮明に覚えています。到着した東京は雨。有楽町のデパートにはフランク永井の「有楽町で逢いましょう」の長い垂れ幕が掛かっていました。東京駅から中央線で住まいを構えた立川駅まで行きました。神田、御茶ノ水、四谷、新宿等聞き覚えのある駅々を過ぎて、ほとんど聞いたこともないような駅に至ると急に不安になりました。到着した駅「立川」は長崎よりも田舎で淋しい町であると思いました。こうして東京での暮らしが始まったのですが、最寄りの「駅」は帰りたい町「長崎」につながっていると思うと、帰りたい気持ちが募り切なくなったものです。そんな望郷の念を抱きながらも新しい生活に馴染み、あっという間に半世紀以上が過ぎました。

現在、出勤する日には、住まいのある町田の小田急線の駅から新宿に出て、山手線に乗り換え、品川まで行きます。その途中の駅を通り過ぎる度に、それぞれの駅にまつわる思い出が蘇ります。どの駅にも降りたことがありますし、仕事やプライベートで行ったり、人とあったり様々な出来事があったので、半世紀以上もの時間が経過した今、それぞれの駅に重層的な時間と思い出の層が堆積しています。それぞれの駅を通過する度にそんな時空を超えた思い出が瞬時に交錯するため、スマホを見たり本を読んだりする時間がもったいないと思うほどです。

駅は交通の拠点であり、どこかへの出発点であるとともに、どこからからの到着点でもあります。そこは人がすれ違う道とは異なって、集団で人を運ぶ列車の導線の中にあるため、人が多く、多くの出会いや別れが生まれます。上京した石川啄木は懐かしい故郷の訛りのある言葉を聞くために駅に行きました。「ああ上野駅」の歌の集団就職で上京した少年は配達帰りに自分の東京での生活の出発点となった上野駅に行き、上京した日に抱いていた夢を思い出しています。竹内マリアの「駅」では昔付き合った彼のコート姿を目にして、お互いが変わった今を思いつつ、相手に気づかれないまま、互いに平凡な夕暮れの町に消えて行きます。そんな駅には多くのドラマがあり、小説にも映画にもドキュメンタリーにもなっています。俳句もその例外ではなく、駅にまつわる句はかなりあります。そんな駅にまつわる句から幾つかを拾ってみます。

花の駅夫の切符と重ね切る   久力澄子

春の雪駅に別れの京言葉   中坪達哉

駅裏の螢を連れて夫帰る   石川文子

花花花花花花の駅通過   山口超心鬼

燕みな帰り駅長だけの駅   曽我部予詩

あかあかと駅よ線路よ終戦日   原田 喬

みちのくや駅に始まる秋祭   小川軽舟

駅までに秋の暮色に追ひ抜かる   山口誓子

しぐるゝや駅に西口東口   安住 敦

駅裏や霙に灯る小提灯   大坪秀生

冬晴れのとある駅より印度人   飯田龍太

忘年の駅乗り過ごす為体(ていたらく)   高澤良一

角巻や駅の端から日本海   杉 良介

真下のみ照らす駅燈牡丹雪   右城暮石

20代の前半に、30キロ近い速度違反運転で警察からの召喚状を受け、裁判所の支所に行き、判事の面接と罰金の支払いをして放免されたことがありました。そこにはかなりの数の人が呼ばれていて、待合室のドアを開けて、ぎょっとしました。そこにはいままで出会ったこともないような人相風体の人達で溢れており、一瞬「こんなところに来てはいけない。来るようなことをしてはいけない。」と強く思ったことを覚えています。そこに集まった人達の唯一の共通点は道路交通法違反者であるということで、年齢、性別、住所、職業、国籍等かなり異なっているであろう人達が集まっていました。

駅も、その駅の立地によってある程度の共通項はあるせよ、その日その時間にその駅からどこかに行かなければならない人達が集まるので、それこそ様々な人が集まります。それゆえ悲惨な事件が発生し、また微笑ましい美談が生まれることもあります。駅はまた、「季語」という人口に膾炙(かいしゃ)され多くの意味と思いが詰まった言葉に負けないほど、一字をもって様々な事象を想起させる字句であり、その意味で俳句として詠みたい対象であると言えます。過去の随想の中で、人生の代表句に出来るような句を詠みたいと書きました。同様にいつか飛び切りの駅の句を詠みたいと今思っています。

春愁や駅に始まるヒストリー  秀四郎