俳句随想

髙尾秀四郎

第 74 回  寺田寅彦と俳句(2)

昼顔やレールさびたる旧線路   牛頓

冒頭の句は5、6月号に合わせて寺田寅彦の夏の句の中からピックアップしたものです。今回は、前回の俳句随想の中で、映画に用いられている斬新な手法は日本の俳諧や歌舞伎など日本文化にその原点があること、何故そのような手法が日本で生まれたのかについて、その寺田寅彦の論稿を参照しながら述べたいと思います。 寺田寅彦の論稿は、かなり長く難解な表現であるため、原文を活かしながらも相当の切り貼りをさせていただきました。まずは、「俳句の精神」という論稿からの抜粋です。

『日本人の自然観と西洋人の自然観の違 いがある。日本人は自然を自分と一体と見 ている。西洋では人間と切り離し別のも の、道具や品物、征服すべき対象とみてい る。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着させて自然と人間との化合物ないし膠こう質しつ物ぶつを作るという可能性である。季題という言葉は人間の肉体並びに精神の活動の種々相を極度に煎じ詰めたエッセンスである。またそれらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。日本古来の短い定型詩の存在とその流行によってこの上述の魔術(季題が呪文になること)に対するわれわれの感受性が養われて来た。換言すればわれわれが、長い修業によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。これらによって西洋では科学が発達し、日本には俳句が生まれた。このことを象徴するものが「季題」である。俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白である。限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって連想の燃料に点火する役目をつとめるのが季題である。俳句が最短の詩形であるがために、その語彙(ごい)の中に連想と暗示の極度な圧縮が必要であるということ、それからまたそういう圧縮が可能となるための基礎条件として日本人のような特異な自然観が必要であること、なおその上に環境条件として古来の短詩形の伝習によって圧縮が完成され、そうしてできあがった語彙の象徴的効力がそれぞれに分化限定されたこと、それらの条件が具備して、そこではじめて俳句という世界に類のない詩が成立した。』

続いて「俳諧の本質的概論」という論稿からの抜粋をご紹介します。

『古い昔から日本民族に固有な、五と七との音数律による詩形の一系統がある。俳諧はわが国の文化の諸相を貫ぬく風雅の精神の発現の一相である。風雅は自我を去ることによって得らるる心の自由であり、万象の正しい認識であるということから、和歌で理想とした典雅幽玄、俳諧の魂とされたさびしおり(わび、さびの意味)というものがおのずから生まれて来るのである。さび、しおり、おもかげ、余情等種々な符号で現わされたものはすべて潜在する真実の相そう貌ぼうであって、しかも、それは散文的な言葉では言い現わすことができなくてほんとうの純粋の意味での詩によってのみ現わされうるものである。饒舌よりはむしろ沈黙によって現わされうるものを十七字の幻術によってきわめていきいきと表現しようというのが俳諧の使命である。この幻術の秘訣はどこにあるかと言えば、それは象徴の暗示によって読者の連想の活動を刺激するという修辞学的の方法によるほかはない。暗示の力は文句の長さに反比例する。俳句の詩形の短いのは当然のことである。七五の音数律はわが国語の性質と必然的に結びついたもので人為的な理屈の勝手にはならないものである。本体を表現するに現象をもってせよ、潜在的なる容器に顕在的なる物象を盛れというのである。流行の姿を備えるためには少なくも時と空間いずれか、あるいは両方の決定が必要である。季題の設定はこの必要に応ずるものである。俳句の作者はこれら季題の一つを提供するだけで、共同作者たる読者の連想の網目の一つの結び目を捕えることになる。「俳諧はその物その事をあまりいわずただ傍(かたわら)をつまみあげてその響きをもって人の心をさそう」のである。この潜在意識によるモンタージュの方法は連俳において最も顕著に有効に駆使せられる。連句付け合わせの付け心は薄月夜に梅の匂えるごとくあるべしというのはまさにこれをさすのである。俳諧は截せつ断だんの芸術であることは生花の芸術と同様である。また岡倉氏が「茶の本」の中に「茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わす事をはばかるようなものをほのめかす術である」と言っているのも同じことで、畢竟(ひっきょう)は前記の風雅の道に立った暗示芸術の一つの相である。「言いおおせて何かある」。連句は音をもってする代わりに象徴をもって編まれた音楽である。俳諧風雅の道は日本文化を貫ぬく民族的潜在意識発露の一相である。しかし歴史的に見ても連俳あっての発句である。修業の上から言っても、連俳の自由な天地に遊んだ後にその獲物を発句に凝結させる人と、始めから十七字の繩張の中に跼蹐(きょくせき)してもがいている人とでは比較にならない修辞上の幅員の差を示すであろう。鑑賞するほうの側から見ても連俳の妙味の複雑さは発句のそれと次序(オーダー)を異にする。発句がただ一枚の写真であれば連俳は一巻の映画である。実際、最も新しくして最も総合的な芸術としての映画芸術が、だんだんに、日本固有の、しかも現代日本でほとんど問題にもされない連俳芸術に接近する傾向を示すのは興味の深い現象であると言わなければならない。』

以上の論稿を私の独断と偏見に基づいてまとめれば次のようなことが書かれていると言えるのではないでしょうか。

「日本人の自然観は自然を自らと一体としてとらえているために対立するものではなく自らの身体の一部のように考えている。一方、日本古来の短い定型詩の存在と伝習及び流行により「象徴国の国語」が出来た。この2点から「季題(季語)」が生まれた。季語は単なる季節の言葉ではなく、それを越えた日本人と自然との関わり合いであり、文化とまで言って良いほどのものととらえられている。そのような視点で自然や文物を見る姿勢から風雅の精神が生まれ、自我を去ることから得られる心の自由を得て、和歌や俳諧が生まれた。それらの表現形態は全てを述べるのではなく短い言葉で暗示させ、連想させるという特徴を持っている。」 そしてこのような自然観、国語、表現形態が生まれた理由を求めれば、それは国土の狭さと民族の同一性に帰着するように思います。

人が住める土地を表す言葉である「可住面積」という視点から日本の国土を見ると、可住面積は国土の30%に過ぎません。同じ島国の英国と比べると、国土が日本の70%ですが、可住面積は60%もあります。ドイツの国土は日本よりも若干狭いものの可住面積は60%もあるため、相当に広いということになります。しかも人口は日本の方が圧倒的に多いので、日本は彼の国々に比べ相当に狭い土地に犇めき合って暮らしていることになります。加えて同じような顔つきで共通の言語を使う人々が暮らしているため、お互い様の精神が育ち、謙譲の美徳が一際重んじられ、利他の精神が芽生え、心の自由が生まれると共に、良い意味での忖度や思いやる気持ちが醸成されたことは疑いようもありません。多くを語らずとも語らない部分、書かない部分を推測してくれる文化が育ったと考えても良いように思います。それらはお茶、俳句、日本画のような日本の文芸や技芸に共通しているものと思います。

当時の世界の中でとびきり狭く人の多かった江戸期の江戸には「江戸しぐさ」という所作がありました。例えば「傘かしげ」は雨の日に道で細い路地をすれ違う際、お互いに傘を外側に傾け、相手が濡れないようにすることです。アポイントなく相手を訪ねていったり、約束の時間に遅れるなど相手の時間を奪うのは重い罪であるとする「時泥棒」。「もったい大事」は「もったいない」の精神で、物を大切に、再利用しながら最後まで使うことであり、その他にも「うかつあやまり」「喫煙しぐさ」や「束の間のつき合い」など相手を気遣い、一歩引く姿勢を粋な仕草、考え方としています。

俳句に話を戻せば、季語を含めて17文字しかない短詩型の俳句では、長々説明する余裕などありません。季語の説明などは以ての外ですし、ダラダラと散文的な記述も許されません。季語一つでその季語にまつわる伝承や共通の認識は分かっているものとして文字にはしません。そしてその季語と取り合わせたものの取り合わせの妙でその2つにないものを醸し出し、生じさせ、類推させて多くのことやより深い事象を感じ取らせようとします。象徴句とはそのような手法を極めたものと思いますし、そこに俳句の醍醐味があるようにも思います。この技法は発句と呼ばれた俳句に生きていますが、その発句をスタートとした「連句」、その昔の「俳諧の連歌」から受け継がれたものであることは言うまでもありません。

寺田寅彦の論稿の最後の方に次の記述がありました。「… 実際、最も新しくして最も総合的な芸術としての映画芸術が、だんだんに、日本固有の、しかも現代日本でほとんど問題にもされない連俳芸術に接近する傾向を示すのは興味の深い現象であると言わなければならない。」

現代において日本のアニメが世界を席巻していることは、これらのことと別次元のこととは到底思えないと考えているのは私だけでしょうか。

俳諧の海は渺々春岬  秀四郎