俳句随想

髙尾秀四郎

第 70 回  アフター・コロナと俳句


家呑みの相手なじみの超熟女     龍一

間の抜けた顔でマスクが二枚来た  遊人

「ここだけの…」話できない2Mメートル  和寿

冒頭の3句は共に最近の野田川柳会報「ひばり」からの転載です。「龍一」は日本連句協会元常任理事の松澤龍一さんで「遊人」は彼の川柳における俳号ですので、はじめの2句は同一人物のものです。3句目の「2M」は言わずと知れた2メートルのソーシャルディスタンスを指しています。先行きの見えないコロナ禍の中、物事をシュールに捉え詩的に表現する俳句よりも、斜に構えて笑いにしてしまう川柳の方が社会的効用の観点からは、ほっとしますし、有り難いと感じます。

さて、前回は「新型コロナウイルスと俳句」というテーマで思うところを書かせていただきました。未だその先行きは見えておりませんが、むしろこのコロナ禍が終息した後の方が余程問題であると思い始めております。何故ならば「新常態」とも言われる新たな日常が今とは大きく異なり、これまでのやり方では立ち行かず、好むと好まざるとに拘らず、新たな日常に順応しなければならなくなると思われるからです。そのような新常態の中で俳句はどうなるのかを考えておくのもあながち無駄ではないと思い、更に一章を設けることとしました。

まず、新型コロナウイルス感染拡大に対して緊急事態宣言が発出された本年4月に、これからの世の中はどうなるだろうかを考えて書き出してみたメモが残っておりました。30項目ほどの中から「新常態」に関連すると思われる項目を以下列挙してみます。

•世界の勢力図で中国のプレゼンスが高まる(相対的に米欧の力が弱まる)

•働き方はリモートワークが主流となる。

その結果、
 ① 自宅にワークスペースを確保する
   家のリフォームニーズが生まれる
 ② 都心から遠くても広い住居への引っ越し
 ③ 家に近い場所のシェアオフィスが増加
 ④ 家の通信回線の増強や機器の需要増
 ⑤ 都心のオフィスの需要の減と賃料の下落
 ⑥ 繁華街の分散化
 ⑦ 増えた自由時間の活用の巧拙が問われる

•ビジネスの主戦場がリアル(対面、対人)からネットに移行

•産業別の明暗が顕著になる

人の移動を前提にした業種の衰退:自動 車、旅客、観光、飲食、金融・証券(メガバンク、メガ証券)
モノや情報の移動を前提とした業種の興隆:運輸・物流、通信、金融・証券(ネットバンク、ネット証券)

•情報リテラシー(情報活用能力)の高低が仕事における人の価値を決める、等々

新型コロナがこれまでの疫病やウイルスと大きく異る点は未だワクチンが見つかっていないこと、ワクチンが開発されたとしても、流行の過程で容易に変異し、ワクチンが有効ではなくなる可能性が高いことが上げられるようです。つまり効くワクチンがないことが前提で生活しなければなりません。従って「三密を避ける」は今後も解消されない可能性が高いということになります。そうなれば、従来のような句会や連句会は開催できなくなります。敢えて開催する場合にはマスクはもちろん、フェースシールドやアクリル板を常設した施設で開催することにならざるを得ません。実に鬱陶しく隔靴掻痒の感は拭えませんが、慣れる外ないようです。 しかし実際にオンラインの会議や飲み会及び連句会等に参加して感じることは、やはり実際に一堂に会して行う会議や飲み会、連句会と比べて、その場に行かなくて済む分、気楽で手軽ではあるものの、得られる情報の量と質において数段落ちるということです。それだけに、敢えてリスクを冒し、相当の準備をした上で開催する句会や連句会は、これまで以上に希少性があり、価値も高まると思います。4回に1回はリアルの会をという流れになるのではないでしょうか。少なくとも私はそうしたいと思っております。

これからは俳句の、季語と17音という「有季定型」に、もう一つ「防菌体制下」が加わることになるように思います。これに関連して、「マスク」に加え、「咳」「嚏」等が季語から外れ通季の季語に組み換えられる可能性があります。近頃の新聞紙上の俳句にはすでにこの傾向が現れています。個人的には、そのような環境下であっても「防菌体制下」は脇に置いて、これまでと同様の姿勢で句を詠みたいとは思っています。しかし現実として「防菌体制下」にあることは否定できません。

現代俳句協会編の「現代俳句歳時記」は太陽暦歳時記という特徴を持つ歳時記です。四季の部と並列して無季の部があると共に、四季の部の中には「通季」という区分が設けられ、一年を通して使える季語が掲載されています。ここには例えば「冷蔵庫」「ビール」や「香水」「ハンカチ」等が収められています。一方無季の部には天文であれば「昼」や「夜明け」のように日々目にする事象が掲載されています。コロナ禍に関連する言葉に戻れば、「マスク」は間違いなく通季の季語になるでしょうし、「ソーシャルディスタンス」は無季の言葉となりそうです。この歳時記は今から20年程前に編まれたものですが、なかなか先見性のある編集であったと改めて感心する次第です。

映画界において座頭市役の名演技で名を馳せた勝新太郎さんにインタビュアーが「どうしてそんなに目の見えない役を上手く演じられるのですか?」と聞くと、勝さんはこう答えたそうです。「目が見えない役だからって目を瞑っちゃいけないんです。見えない目で何とか見たい見たいと、必死で目を開けようとするから本物になるんです。」と。「逆も真なり」また「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあります。難しいこと、嫌なもの、怖いものに敢えて飛び込むことで開けることがあるのではないかと思います。コロナという手強い敵に近づき、懐柔し、我が物にするような気概をもって対処することで、何らかの解が見いだせるのではないかと思っております。

昨年末に中国で発生し、日本では春に緊急事態宣言が出され、日本中の人々にマスクを付けての生活を強いているコロナ禍。気がつけば今年も残り少なくなっておりました。

ホームステイ見上げればはや秋の月 秀四郎