俳句随想

髙尾秀四郎

第 69 回  新型コロナウイルスと俳句


月明や沖にかゝれるコレラ船  日野草城

冒頭の句は昭和初期に詠まれた句であり季語は「コレラ船」で夏。コレラという疫病は我が国で大昔から度々流行っては多くの人命を奪っていたようです。1879年( 明治12年)と1886年( 明治19年)には死者が10万人の大台を超え、日本各地にそのための病院の設置が進んだそうです。また1890年( 明治23年)には日本に寄港していたオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号の海軍乗員の多くがコレラに見舞われたという記録があり、1895年( 明治28年)には我が国の軍隊内で流行し、死者4万人に達したとの記録もあります。現在感染が拡大し、人々を底知れぬ恐怖に陥れている新型コロナウイルスを遥かに超える惨事であったことがわかります。冒頭の句の「コレラ船」を「コロナ船」に変えれば正に今、件くだんのダイアモンド・プリンセス号( DP号)の句になります。今回は予定していたテーマを急遽切り替えて、新型コロナウイルスと俳句というテーマで思うところを書かせていただきます。

第二次世界大戦直後にアジア各地から日本軍の復員兵や引揚者の帰国が始まると、彼らによって持ち込まれたコレラで多数の死者が出て、流行期には罹患者へ危害を加えたり、流言飛語が流布するなどの混乱も見られたようです。現在問題となっている「自粛警察」に通じるものがあります。船舶でコレラ患者が出ると、検疫のために40日間沖に留め置かれることとなり、この船を俗に「コレラ船」と呼び、当時の俳句や川柳で夏の季語になったようです。一方「コロナ船」や「コロナ禍」はまだ季語の地位を得ておりませんが、やがてこの言葉が季語になる日も近いように思います。

本年2月にイスタンブールの友人である大学教授夫妻から「これから世界一周のクルーズ船に横浜から乗船するので、訪日して乗船する前に会いましょう。」という連絡が入りました。乗船前の一夜、我が家で共通の友人も交えて小宴を開きました。その翌日、彼らが乗船するはずのDP号で新型コロナウイルスの感染者が出たという報道があり、下船すべき乗客が下船できなくなったことから乗船予定者も乗船出来なくなりました。友人夫妻はその後、家内の案内で那須塩原温泉と日光の観光にでかけ、「幸運でした。」の言葉を残して帰国の途に就きました。思えば、乗船できない幸運に恵まれた彼らとは反対に、一つ前の寄港地から乗り込んだ人もいたはずで、禍福は紙一重の偶然であり、糾える縄であるとつくづく思いました。

今回の新型コロナ禍と俳句との関係を考えるとまずは句会への影響があります。2011年3月11日に発生した東日本大震災の折のあした俳句道場は、地震発生の3月こそ中止になったものの翌月は開催されていました。地震は人が集まることを否定するものではなかったからです。しかし今回のコロナ禍では句会や連句会が「三密」にストライクの文芸であるだけに、自粛の対象として真っ先に挙げられることになりました。そのためあした俳句道場は3月から5月まで中止となり、6月の開催もまだ流動的な状況にあります。但し、浅草連句会という若い人の多い連句会ではオンライン連句会が企画され、私も誘われて参加してみました。ZOOMという会議用のアプリを使ってお互いの顔を見ながら、チャットという個人が全員に発するメッセージによって付け句をし、治定されたものは書記役がワードファイルに打ち込んで、それを画面切り替えによって皆で眺めることにより次の付け句を考えるという、通常の連句の座で行うことがほぼオンラインで出来ることが確認できました。体験をしてみて、これは使えると思った次第です。今後の新たな方向になり得るのではないかと思っています。

次に作句との関係ですが、すでに新聞の俳句欄ではコロナ禍を詠んだ句が散見されます。但し、まだ「コロナ禍」に関する言葉が季語にはなっていないため、他の季語との組み合わせで作句されています。またこれを機に「マスク」が通年で使わざるを得ないものとして無季の季語に変わるかも知れません。

闌春や自粛の日々の句を詠みぬ 北川 護

ウイルスと生きて紫陽花まだ蕾 畑中和子

辛抱が試されている菜種梅雨 氏丸隆年

休まぬとナースの覚悟春のゆく 八尾玲子

ひたひたとコロナウイルス春の塵 野島巧休

( 日経俳壇より)

かつて左足首を骨折した折、普通に歩けること、歩いて思い通りの場所に行けることがどれほど幸せなことであるかを痛感しました。骨折が治ってから、少し落ち込むことがあった時にも、そもそもこの歩ける状態自体が大変な幸せなことなのだと言い聞かせるようになり、そのことで今の自分が望外の幸せ者であると認識するようになりました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のが人情であり、人の世の常ではありますが、もしコロナ禍が終息した暁に、今の不都合や不便さを思い起こし、感謝の気持ちや幸福感を持つことができれば、この先の日々や人生はそれまでと異なった一段深い幸福を感じられるチャンスの到来となるかも知れません。このような内省的生き方を推奨するためにも「コロナ禍」のような新型コロナウイルス感染拡大を記憶にとどめる季語が生まれ、安心し切った民衆の心に一本釘を刺しておくべきと思いますし、それはまた俳句という文芸の使命かとも思います。

身の回りを見渡せば、人の消えた盛り場や観光地、朝晩のガラガラに空いた電車、人が座っているデスクの方が少ないオフィス、出演者もオンラインの画面でしか現れないTV、電話を掛けても自動応答で担当者不在を告げる役所や会社の問い合わせ先等、これで経済や生活は成り立つのかと思う一方、澄んだ青空、肌に優しい雨、光り輝く新緑と草花、透明度を増した川や海、減る一方であったが希少種の鳥たちの増加、断捨離が進んですっきりした部屋や互いに人を思いやる心の芽生え等を目の当たりにするにつけ、悪いことは克服し、新たに発見できたこと、良くなったことを残してゆきたいと思います。この7・8月号が皆さんのお手許に届く頃にはコロナ禍が終息し、また新たな生活パターンが生まれていることを切に祈るばかりです。

コロナ禍の空にわが身に夏きざす  秀四郎