俳句随想

髙尾秀四郎

第 68 回  酒と俳句について


ビール酌む男ごころを灯に曝し   三橋鷹女

冒頭の句は昭和の女流俳人3Tの一角を占める三橋鷹女の句です。酒の句はその多くが酒飲みの男性によって詠まれています。しかしこの句は女性の目から見た酒を飲む男を詠んでいるという点で新鮮な印象を与えています。さて、これまで様々なテーマを取り上げて来ましたが、気がつけば大好きなお酒に関して一章も設けていなかったことに気づきました。何たることでしょう。そこで今回はお酒をテーマに俳句を語りたいと思います。

季語に含まれているお酒を季節ごとにまとめてみました。ここで分かることは、酒と呼ばれる飲み物は世界中に数え切れないほどありますが、季語に取り上げられたお酒は日本発で言うならば日本酒と焼酎、海外のものではビールと火酒(ウオッカ)と温めたウイスキーやワイン程度しかありません。日本酒の場合も季語と認められているものは季感を示す形容のあるものとなっています。それゆえ単に「酒」として句に含める場合には季語との抱合せとしなければならないと言えそうです。

(季語となっているお酒の一覧)

  発祥が日本の酒 発祥が海外の酒
白酒、桃の酒、治聾酒  
甘酒、一夜酒、新酒火入れ、酒煮る、蝮酒、冷酒、梅酒、紫蘇酒、焼酎、泡盛 ビール
菊酒、猿酒、新酒、今年酒、早稲酒、新走り、温め酒、濁り酒、月見酒、紅葉酒 葡萄酒醸す
熱燗、鰭酒、寝酒、玉子酒、生姜酒、霙酒、松葉酒、甲羅酒、寒造 火酒(ウオッカ)、ホットウイスキー、ホットワイン
新年 年酒、屠蘇酒  

良い酒とは酒自体の質や値段ではなく、飲むシチュエーションが良いかどうかであると思っています。例えば気の合った仲間と嬉しい報告や何かを達成した時に飲む酒は間違いなく良い酒と言えます。一方悪い酒は、嫌なこと、辛いこと、悲しいことなどがあって、それらを紛らわせたり忘れたりするために飲む酒です。しかもそんな場合には往々にして一人で飲むことが多く、必然的に陰々滅々と飲みます。結果として悪酔いをしてしまいます。学生寮の仲間で、国家試験を諦めて受けた就職試験の面接時に、「世の中にはどうしても直せない問題や、立場上出来ないとか、嫌とは言えない場合もあると思います。そんな時にあなたはどうしますか?」という面接官の質問に対して「そんな時にはそうならないような努力をしますが、それでも駄目ならば、酒を飲んで寝ます。」と答えて面接官の苦笑いを誘い、合格したヤツがいました。そんな酒もまた良くない酒の一種かと思います。しかし生きるためには良い酒も悪い酒もまた必要なのだと思います。かくして「酒なくて何の己が桜かな」となります。

酒に因んだ俳句は結構あります。その中でも良いと思える句を列挙してみます。何故良いかと言いますと、酒に溺れていない、酒におもねっていない、言い換えれば、「酒に飲まれていない句」だからであろうかと思います。

年酒酌むふるさと遠き二人かな  高野素十
熱燗やかゞめたる背にすがる老い  久保田万太郎
酒のめばいとど寝られぬ夜の雪  松尾芭蕉
十五から酒を飲み出て今日の月  宝井其角
御仏に昼供へけりひと夜酒  与謝蕪村
恋猫や蕎麦屋に酒と木遣節  角川春樹
春宵の美酒とは美人注げばこそ  鷹羽狩行
長き夜や日本酒一点張りの客  鈴木真砂女
水割りの水にミモザの花雫  草間時彦
三鬼忌のハイボール胃に鳴りて落つ  楠本憲吉
カクテルのコップと白き盆梅と  山口青邨
月に供へ清酒は水と異ならず  山口誓子
辻々の清酒白雪春の雪  坪内稔典
穴子裂く大吟醸は冷やしあり  長谷川櫂
おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒  江國滋酔郎

さて、25年ほど前、私が45歳の頃にサントリー・オールドの宣伝が復活し、「恋は遠い日の花火ではない。」というキャッチコピーのCMが流れていました。当時に当たる1995年2月8日の日記には、このコピーとCMを見て昔を思い出した次のような記述が残っています。

『(前段省略)さて、最近気になるCMがある。サントリー・オールドのCMである。「恋は遠い日の花火ではない。」というコピーで、中年男女の心の奥に小さな恋の炎がともるというものである。あのメロディーラインは団塊と呼ばれる僕たちにとって今更ながらに懐かしい。サントリー・オールドが当時、特級というランクに位置づけられていた時代である。僕は東京に自宅があり、大学の寮が千葉県の松戸にあったので、家に帰って学費を貰い、ついでにわが家にある頂き物の高級酒を寮に持ち帰ることが多かった。そんな夜は、普段話もしない同期や先輩までが狭い僕の部屋に集まって少しずつオールドをなめていく。確かにいつも飲む、トリス、レッド、ハイニッカ等とはひと味もふた味も違うことは分かった。寮にはテレビがなかった。テレビは喫茶店まで見に行った。社会との接点は專ら新聞とラジオであった。新聞は各館に一部ずつであるため、なかなか順番が回って来なかった。もう一つのメディアであるラジオは、時々は仲間内の貸し借りのカタや質草として消えることはあっても、概ね各部屋の住人が所持していたように記憶する。そのラジオからあのCMは流れてきた。

リッチで少し退廃的な風情のある大人の酒場を思わせるメロディーであった。高そうで二の足を踏みそうな粋なバーのドアに手を掛け、思い切って数センチだけ開けると、ジャズと笑い声、バーテンダーが振るシェーカーの音、グラスを合わせる音などが聞こえる。タバコの煙にかすむ室内には酒と微かな化粧の匂い。そんなドアを慌てて閉めた時のような、一瞬の別世界を覗かせるメロディーであった。少しばかりの琥珀色の液体を味わいながら、僕たちはあのメロディーを心の中で口ずさんでいた。テレビCMの画面に現れる中年の男女はあの頃の学生達かも知れない。(後段省略)』

お酒との付き合いが長いため、お酒について話し始めると恰も懐かしい故郷の話をするような気持ちになります。お酒のつながりで出会った人物のこと、失敗談や笑い話等、話の種は尽きません。またふと思い出した時にそんな話を書いてみようと思っております。

酔えばまた戻る日々あり遅き春  秀四郎