俳句随想

髙尾秀四郎

第 66 回  食と俳句について


鮟鱇鍋夜目にも白き怒涛寄す  益子さとし

冒頭の句は三重県が数年前に「食の俳句」として募集した句の中で有馬朗人賞を受賞した一句です。

日本が豊かな社会になって以降、「ひもじい」という感覚をもう随分長い間味わっていないように思います。かつてお腹が空いて仕方がなく、水を飲んだり、道端の赤い樹の実を齧ったりしたことを覚えていますし、卵かけご飯を卵一個で三杯食べたこともありました。そんな忘れていた「ひもじい」という感覚を思い出すイベントに断食があります。私事になりますが、私の年中行事の一つに断食があり、1997年から始めてもう二十二年になります。仕事でお付き合いのあった平凡社の社長からご紹介をいただいたのが始まりで、毎年6月または9月に伊豆の伊東にある断食のサナトリウムに出かけます。犬も

一緒に行って、朝夕はそばにあるゴルフコースや桜の並木道を散歩し、その後温泉に浸かります。約一週間滞在して5~7キロほどの減量が出来ます。その後はまたしっかり戻って、元の木阿弥にはなりますが…。

思えば生きるとは食べることと言えるかも知れません。「食うや食わず」「食べていけない」は「生活ができない」という意味ですし、聖書のマタイ福音書四章にある「人はパンのみにて生くるものに非ず」は食べることが生きることと同義であることの裏返しでもあります。このように生きること、生活することとほぼ同義語となっている「食」の俳句について今回述べさせていただきます。

現代は飽食の時代と言われ、供給側は売上を伸ばすためにメガバーガーや20%増量、お替り自由等、消費者にいかに食べさせるかに腐心しています。その結果、街には不健康な程の肥満の人が溢れています。

肥満を客観的に捉えれば、in(食べる)とout(消費する)との差で、inがoutよりも多い状況が肥満と言えます。例えば1日3食を採らなければならないという、ある意味では生活習慣病的慣習を治すことで、大いに是正できるのではないかと思っています。現代のような便利な世の中では、余程の重労働でない限り、生活の中でinを上回るoutとしてのエネルギー消費をすることは稀ではないかと思います。そうであればinをセーブするのが最も合理的な方法のように思います。そんなことから私的な対応として現在、1日2食として毎日小さな断食をしています。断食は「食べられない環境を贖うという行為」であると思われます。古くから、また今でも「美食」という贅沢がありますが、現代では「食べないという贅沢」もまたあるように思います。一方、食べることの大切さを、身をもって知った経験があります。20年ほど前、胆嚢炎で入院し、初めて開腹手術を受けた後、しばらくは点滴のみの期間があり、その後、お粥から始まる食事がスタートしました。点滴のみを受けていた時には気力もなく、悲観的なことばかり考えていましたが、お粥を食べた日から劇的に元気になり、今までの状態が嘘のようでした。食べることが人間にとっていかに大切なことかをその時に痛感しました。食べるという人間の根源的な行為の大切さはまた人と人との繋がりのなかでも言えるようです。憲政史上初の首相の逮捕の主役となりましたが、今でもその行動力、人間味溢れる人物像に共感が寄せられている田中角栄という政治家には次のようなエピソードがあります。

自民党の腐敗に怒りを覚えた若手議員が自民党を離れて新党を結成する際の話です。田中角栄はその新人議員たちにこう言ったそうです。「何しろ一緒に飯を喰え。」と。一緒に飯を喰うことがどんな議論や血判状よりも人と人とを結びつけ、連帯感を醸成するために必要不可欠であるかを、彼は彼の人生の中で確信していたのだと思いますし、若手議員たちに自民党を外から改革する力になって欲しいと思っていたのかも知れません。

さて俳句においても「食」に関する季語がたくさんあります。「人事・食」に分類される季語です。食文化は時候、天文、地理等と異なり生活様式の変化にいに影響されますし、社会の発展や物流の発達等によって、かつては手に入らなかったものが手に入ったり、季節外れにも食べられるようになっています。従って、食に関する季語の変遷もまた激しいのではないかと思います。

岡田日郎という俳人の書に「食の俳句歳時記」があり、食に関する季語が集められています。この書は、その序文に「消費者の視点に立って季語が選択されているため、畑に育ち、海で泳いでいるものばかりではなく、流通し加工されて食卓に上るものも含まれている。」と書かれており、豊富な「食」の季語が収められています。この書の中で1月と2月の項に収められた句の中から著名な俳人の句を少し抽出してみました。宇咲冬男先生の句も含まれていました。

餅焼くやちちははの闇そこにあり  森 澄雄

初釜のたぎちはげしや美女の前  西東三鬼

水餅にものいふわれの知らぬ妻  鷹羽狩行

裏返し白あたらしき寒鰈  能村登四郎

寒鮒の煮らるさだめの桶の寂  宇咲冬男

島人に倣ひどんどの餅かざす  岸田稚魚

妻あらず盗むに似たる椿餅  石田波郷

ふるひよせて白魚崩れんばかりなり  夏目漱石

着る物のやや重き日の針魚かな 鍵和田秞子

蒸し飯なまじ才女でありにけり  草間時彦

これらの例句も踏まえて、食の俳句の作句のポイントについて述べれば、「食」に関わる季語が食材、料理または飲み物の名称であるため、極めて具体的であると共に、そのものを特定できるものばかりですので、季語の説明はもはや必要ありません。むしろその季語から連想できることや過去の思い出、その飲食を共にした人のこと、そして食が生きることと同義であることからも、食の喜びや生きることの価値までを詠めるならば、季語が断然生きてくるように思います。

本章の最後に掲げる拙句は今から20年ほど昔に、当時あした本部句会の事務局を担当されていた福田太ろをさんの勤務先の社員用クラブで開催された忘年句会において「闇鍋」を食べたことを思い出して詠んだ句です。何が入っているか分からない鍋の中身を、暗闇の中で食べるのですが、悲鳴や笑いが渦巻く中、意外と美味しかったことを覚えています。

そのむかし闇鍋句会ありにけり  秀四郎