俳句随想

髙尾秀四郎

第 64 回  「転居と旅と俳句」について


草の戸も住み替る代ぞ雛の家  芭蕉

先日、岩波文庫の「人生論ノート」という、哲学者・三木清が著した本の新本を家内が持っていました。聞けば書道の師に薦められて購入したとのこと。その本は私が大学生の頃、友人と読書会を開いて取り上げた課題図書であり、今も本棚の奥に眠るその小冊子にはかなりの書き込みがあってセピア色に変色しています。この本の中で特に「旅について」という章に共感を覚えていました。その骨子は「旅の本質は漂泊である」ということで、俳句随想第9回「旅の句」の章はこの章を背景にして書きました

芭蕉は旅に出る度に良い作品群を生み出しています。また奥の細道紀行を著した旅に出かける際には、戻るべき庵を処分しています。冒頭の句はその処分した庵のことを詠んだ句です。「雛の家」というように芭蕉が立ち退いた後の庵には、女の子のいる家族が移り住んだようです。この句も収められている『俳諧一葉集』の詞書には、「…。日々住みける庵を相知れる人に譲りて出でぬ。この人なむ、妻を具し、娘・孫など持てるひとなりければ」と書かれています。

「人生論ノート」の「旅について」の章で触れられていた「漂泊」とはいつも過ごしている場所や環境から離れ、見知らぬ場所や環境に身を漂わせる状態を言います。従って「漂泊」は転居にも旅にも共通する事象であると思います。転居でも旅でも、場所や環境が変化することによって揺さぶられ漂う心に詩が生まれるのではないかと思います。

この転居に関して私の自分史の住所の箇所を時系列に追ってみると、今の町田まで17回の転居をしていました。その内の最初の7回は親や家族の都合によるものであり、残り10回は自分自身の都合によるものでした。会計士を目指して自宅から千葉県松戸市にあった大学の学生寮に入寮したことを皮切りに、親や兄弟の家への居候、マンションの購入、結婚、死別、再婚。そしてマンションを一戸建てに買い替えての転居で今の町田に辿り着いています。自分自身の都合で行った転居の最初に当たる学生寮での数年間は、同じ釜の飯を食う仲間ができたこと、様々な人間がいてその中で暮らしてゆくためには自己主張のみならず妥協も必要なこと等を学ぶとともに、半年に一度は部屋替えがあって、先輩になるほど良い部屋に昇格してゆく過程で部屋を変えることについてアレルギーがなくなり、むしろ無駄なものを捨て、本当に必要なものは何かを見出すという意味で断捨離を実践できたことは良かったと思っています。その後の転居についても、この学生寮の経験のためか、余り億劫という思いは抱かなかったように思います。今の町田に移り住んでほぼ30年。人生の4割以上に相当します。俳句を始めた時期がこの町田への転居と重なるため、俳句を始めてからは転居をしていないことになります。従って、転居の句は作っておりません。その昔の転居を思い出して句を捻るという方法もあるかとは思いますが、いままでそんな句を詠んだことがありませんでした。

さて今、若い人の間で常識化しつつある言葉に「シェアリングエコノミー」があります。物・サービス・場所などを、ネットを介して多くの人と共有・交換し、利用し合う社会的な仕組みで、自動車を個人や会社で共有するカーシェアリングをはじめ、ソーシャルメディアを活用して、個人間の貸し借りを仲介するさまざまなシェアリングサービスが登場しています。例えば車を例に取れば、それらを所有するのではなく、必要になった時のみ借りて使うということです。確かに都内に住んでいて車を持つことは、月極の駐車場料金が5~6万円、それにローンで買えばその月額支払額、車検料、自動車税、保険料、維持のためのメンテナンスコスト等を考えると、月額で10万円を下回りません。月に4回使って1回が1万円以下とすれば、圧倒的に借りるほうがコストパフォーマンスは高いと言えます。一方所有する人は、自分が使わない時間、他の人に貸すことで、所有に掛かるコストを大幅に下げることができます。家についても同様のことが言える時代に突入しそうな気配があります。このことは今後転居がより簡単に安価になり、その選択肢も広がることを示唆しています。今後少し長めの旅行に行く感覚で転居することがますます一般化する可能性があるのではないかと思います。

このような感覚で転居が出来るようになる世の中では、旅行自体の増加も相俟って、環境の変化をもたらし、心は大いに漂白することになるでしょうから、詩は生まれやすいのではないでしょうか。そのため今までよりも良い俳句を捻る機会や場面が増えるのではないかと勝手に思い込んでいます。しかし一方で、転居や旅によって生まれる環境の変化に漂いながらも、自分自身が何であるか、言い換えればアイデンティティーとも言える自我や他者との違いの認識を持つこと、それを見失わない努力もまた必要かと思います。

故渥美清さん扮するフーテンの寅さんがマドンナに振られた後、荷物をまとめて旅に出るのは、気まずさもあったでしょうが、「渡世人がそこに留まってはいけない。」とDNAが囁いたのではなかったかと思います。自分のアイデンティティーがあればあるほどその思いは強いと思います。風狂の世界に入った芭蕉が居所を変え旅に出たのは、俳諧人としてのアイデンティティーを強く意識した結果だったのではないかと思います。冒頭の「雛の家」の句を書留めた奥の細道の序文「月日は百代の過客にして、…」を読み直せば、もう確信のように転居と旅をステップボードとして奥の細道の旅に出た芭蕉の気持ちが分かるような気がしてきます。

さて、昔々転居をした夜半に目を覚まして、ふとここはどこだろうと思ったことがありました。そうだ転居したのだと気づくと共に、前の家の回りで交流のあった人たちのことが一入懐かしく、どうしているだろうか、また会いたい、と思ったことがありました。「転居」という文字からそんな記憶が蘇りました。そしてもう転居はしないまでも、旅に出て、心を漂わせたいと思う今年の秋ではあります。

住み替えの秋ひとしおに人恋いぬ  秀四郎