俳句随想

髙尾秀四郎

第 58 回  絶滅危惧種季語・秋


司召(つかさめし)の夜を屋上に一人かな  夏井いつき

冒頭の句に関しては後半で触れることとし、今年の、いままで経験したことのないような酷暑とも言える暑い暑い夏が終わり、迎える秋がいかほどほっとしたものになるのだろうかと期待を込めてそう思います。それにしても、ほぼ人為的な理由から発生したと考えられる気候変動で温暖化が進み、明らかにこれまでと違うサイクルが生まれはじめているように思われます。

「歌は世につれ世は歌につれ」という慣用句があるように、歌は時代を背負っていると思っています。実際、年代によって愛唱歌、十八番(おはこ)の歌は異なります。それは5年程の間隔で確実に変わりますし、近頃はもっと短い周期で変わっているのかも知れません。同世代で歌っていればそんなことを感じることなどありませんが、年代の離れた人たちとそんな場にいると、ひしひしとその違いを感じます。今ではあり得ないことではありますが、かつて監査の現場でリーダーを務めていた頃、会社、特に日本系の会社からは当然のように接待を受けていました。そんな場では歌の一つも歌わなければならないシーンが多々有り、場を盛り上げる工夫として、その場の責任者の年齢を常に考えて選曲をしていました。当時私は20代後半から30代はじめで、上場企業の経理部長や経理担当役員は概ね40代後半か50代。その年代の方々の時代の歌を推定し、その頃の歌を歌うように心がけていました。それが当たると親近感はぐっと増しますし翌日からの仕事も円滑に進むというプラスの面もあったので、結構真面目に取り組んでいた事を思い出します。歌が時代を背負うように、気候変動によって、これからは気候もまた時代を背負うようになるのかも知れません。そうならないことを祈るばかりです。

さて夏至を過ぎると昼夜の長さが逆転し、夜の長さが増してきます。9月にもなるともうすっかり夜の方が長くなり、秋の夜長となります。夜長と白夜という期間が極端に長い北極に近い北欧のスウェーデンに、かつて冬男師と共に訪れた時、ストックホルムの旧市街「ガムラスタン」には沢山の照明器具の店がありました。日照時間の短い北欧のかの地では夜の時間をいかに彩るかが大きな生活の課題であり、照明が生活の重要なアイテムであることを目の当たりにしました。日照時間が短くなって夜が長くなる秋はまた明かりが見直される季節でもあります。火を恋い、明かりを恋う季語が沢山あります。一方希少季語に目を転じると、流石に天文や地理での希少季語はなく、もっぱら人事や動植物の異名に限られているようで、少なくとも季語の世界において、気候が時代を背負うことに今のところはなっていないようです。

今回の秋の絶滅危惧種季語もまた歯の立たないものがかなりありました。

蟻吸(ありすい)= 啄木鳥(きつつき)の異名

鬼醜草(おにのしこぐさ)= 紫苑(しおん)の異名。紫苑は十五夜草、思い草とも呼ばれています。

釜蓋朔日(かまぶたついたち)=陰暦七月朔ついたち日のこと。地獄の釜の蓋が開いて亡者たちが帰ってくるという発想から生まれた季語。この時期一斉に増えてくる赤とんぼは地獄の亡者たちの生まれ変わりと言われていて、蜻蛉朔日(とんぼついたち)とも言われています。

牽牛子(けんごし)=朝顔の傍題。この季語は知っていたのですが、はじめの2文字は「けんぎゅう」であるとばかり思っていました。しかし季語になると「けんご」になることを知りませんでした。牽牛(けんぎゅう)は星座の名前でもあり、わし座のアルタイルで織姫のベガと共に二星と呼ばれ天の川を挟んで年に一度の逢瀬をする七夕伝説につながるので、その季節の朝顔の異名として何の抵抗もなく受け入れていました。しかしこの牽牛には全く異なった由来があることを知りました。朝顔の実は乾燥させると強烈な下剤になるそうで、昔中国で王の大病をこの薬能で治した男が、当時は財産であった牛を与えられ、それを牽いて帰ったことから牽牛子の名前が付けられたそうです。

つまくれない=鳳仙花の異名。赤い花弁で爪を染める遊びがあることから、「爪紅(つまくれない)」と呼ばれるとか。

われから=藻に鳴く虫といわれる謎の多い幻想的な虫。

梶鞠=七月七日の七夕の日に、古式に則って行われる蹴鞠の儀式のこと。蹴鞠に「梶」が付くのは七夕に歌を書き付ける葉が梶の葉だからとか。この季語は絶滅の道をまっしぐらに進みそうです。

毛見=刈り取る前の稲の実地検分のことで、「検見」と言えばご存じの方もおられると思います。2世紀ほど遡る制度であるだけに何故今残っているのかと思います。

誓文払=商人や遊女などが参詣して1年間の商売上の駆け引きの嘘や騙りの罪を払う行事。傍題に「夷切れ」「誓文切れ」があるようです。

司召=秋の除目(じもく) のこと。春の除目は「県あが召ためし」と言って地方官の任命を行い、秋には「司召」で中央の主要ポストの任命があったようです。冒頭に掲げた句は夏井氏が人事異動のあった人の心境を詠まれた句と受け止めました。

八月大名=八月の農閑期のこと。この時期は骨休めも兼ね、お互いの家々でお馳走合戦などしたそうです。

ままこのしりぬぐい=蓼(たで)の花の異名。「棘蕎麦」とう異名のある棘ある草であることから、このような名前が付いたようです。

さて、夏井氏の希少季語辞典の中に聞き捨てならない季語が見つかりました。「色なき風」です。大好きな季語であり、自らもかなりの句を詠んでいます。その季感、色彩感覚にはまったく違和感がなく、多分これからも詠み続ける季語であると思っています。

芭蕉が越前の那谷寺で詠んだ「石山の石より白し秋の風」はまさにこの色なき風であったと思っています。そんな色なき風の中で「これから」を思うと切なさが増すのは何故でしょうか?それは秋だからでしょうか?

余市とう色なき風の駅に立ち  秀四郎