俳句随想

髙尾秀四郎

第 57 回  絶滅危惧種季語・夏(二)


納涼映画終わればどっと海匂う 夏井いつき

絶滅を危惧される季語の探訪の2回目です。一年で最も季語の多い夏ゆえにもう1回夏の絶滅が危惧される季語を探ることとします。まず一点お詫びがあります。夏井いつき氏の希少季語辞典は「絶滅危急季語辞典」「絶滅寸前季語辞典」の2つあり、前回「絶滅危急季語辞典」からと申し上げましたが、これが誤りで前回は「絶滅寸前季語辞典」からの抽出。今回が「絶滅危急季語辞典」からの抽出になります。

今回は絶滅を危惧しながらも、やむを得ないと思えるものがある一方、蟷螂の斧にしかならないかも知れませんが、自分ひとりででも守りたいと思える季語の二つに分けて見ていきたいと思っております。後者は時代の波に乗れず、人の興味の対象からも外れてしまった等、様々な理由から絶滅危惧種となっている季語ですが個人的には愛しく思うと共に改めて詠みたいとも思う季語になります。

最初に前回同様、文字を読んでも何のことか推測さえも出来ないような希少かつ推測不能の絶滅が危惧される季語を取り上げます。冒頭に述べましたように、今回希少季語を抽出した「絶滅危急季語辞典」には71個の夏の希少季語があります。その内次の8個は何故これが夏なのか、そもそもどんな意味なのか、さっぱり分からないものでした。

青挿(あおざし)、安達太郎(あだちたろう)、丑湯(うしゆ)、起し絵(おこしえ)、嘉定喰(かじょうぐい)、薬狩(くすりがり)、桃葉湯(とうようとう)、土瓶割(どびんわり) 簡単に説明を付けておきます。

青挿(あおざし)=青麦の穂を炒って臼で碾いて糸のようによった食べ物。外来の食べ物で枕草子にも出ているようです。

安達太郎(あだちたろう)=「雲の峰」の傍題と言えばああそうかと思います。丹波太郎は京都・大阪での夏雲の異名で坂東太郎は利根川の異名。いわばニックネームというか愛称なのだと思います。

丑湯(うしゆ)=土用の丑の日に入る風呂のこと。体に良いそうです。 起し絵(おこしえ)=「立版古」(たてばんこ)の傍題。物語の場面を厚紙で切り抜き、枠の中に立てたもので、蝋燭や豆電球を灯して楽しむもの。

嘉定喰(かじょうぐい)=菓子か餅を神に供えてから食べるという疫病を払うための行事。嘉定はこの行事が始まった室町時代の嘉祥元年(西暦848年)の年号から取ったとのこと。

薬狩(くすりがり)=陰暦の五月五日に薬草を採ると効果があるといわれる行事。

桃葉湯(とうようとう)=桃の葉をいれた風呂。汗疹予防、暑気払いの効果があると言われているようです。

土瓶割(どびんわり)=尺取り虫の異名。木などに静止している時はまさに枝そっくりになるそうで、そうとは知らない人が枝と思しきところへ土瓶を掛けると土瓶が落ちて割れるから…。何というこじつけ季語でしょう。「雨が降れば桶屋が儲かる」的な発想から生まれたネーミングであり季語ではあります。

次に残したい絶滅が危惧される季語です。

腐草蛍となる(ふそうほたるとなる)=七十二候の一つ。腐った草が蛍になるという意味の季語。むっとする湿った空気の中で腐りゆく草からホタルが生まれるとは分かる気がします。

蛍売(ほたるうり)=かつての夏の夜店の中に蛍売の店もあったようです。買って帰って蚊帳の中に放したり自宅の庭に放したりして楽しんだようです。蛍はそれ自体が希少であり愛着もありますので、蛍の文字が入っているとどうしても目が止まります。かつて会計士になりたての頃、クライアントのある水道橋を流れる神田川で鯉を見つけた時にとても感動したことを覚えています。日本橋の上を走る高速道路がかなり先にはなるものの地下化されるようです。今後東京の河川の浄化が進み夏の夜に蛍が見られるようになったならどんなに素敵なことだろうかと思います。

ステテコ=膝丈くらいの、ゆったりとした男性用下穿き。目の粗い白地で作られている。かつてタレントの植木等がカンカン帽にチョビ髭、金縁眼鏡に腹巻きとステテコ姿の金貸し親父風いでたちで笑わせていたことを、今でも微笑ましく思い出します。かつては街中にそんな姿が見られました。リラックスはしているもののちょっと頼りなく、ペーソスに満ちていました。この姿の必須アイテムであったステテコがすでに市場から消えて久しいのですが、ユニクロが「おうちボトム」として部屋着の一つに加え女性用にカラフルなものまで出しているようです。この季語はどうやら自力で這い上がりやがて日常の生活にも復活して希少季語からも抜け出す可能性がありそうです。

納涼映画=夏の戸外での催し物としてかつて神社の境内や村の広場などを利用して行われていました。傍題に「涼み映画」があります。もう完全になくなったかと思っていたこの納涼映画を、市を挙げて推進しているところがあります。大阪府河内長野市の加賀田小学校では青少年の健全な育成を図り、家庭と地域の参加による非行防止と育成、地域活動による社会的環境の浄化などを掲げて毎年7月に開催しているとのこと。言い換えれば納涼映画はかつて、そんな効果のある催しであり地域をまとめる行事であったということになります。

絶滅が危惧される季語を眺めていると様々なことを思います。

●人は限られた時間と場所に生き、後戻りも先回りも出来ず時代と共にしか生きられないこと。

●その「時代」は間違いなく変わること。

●そこを外れた時空において人はもはやエトランゼ(異邦人)でしかないこと。

●それ故、時にはその外れた時空を覗き見て今を確かめることにも意味があること。

●そしてその外れた時空の象徴が絶滅危惧種季語に他ならないこと。

夏からスタートしましたので、これから秋、冬、新年、春と4回ほど絶滅危惧種季語にお付き合いいただきます。

消ゆる季語返り咲く季語夏暑し 秀四郎