俳句随想

髙尾秀四郎

第 54 回  俳人と芸人


残雪を垂直に踏む北の人   直樹

冒頭の句はお笑い芸人の又吉直樹さんの句です。なかなかの句です。お笑い芸人の方々は、世の中のことを面白可笑しく語ることを生業としています。社会的な効果としては、ギスギスした人間関係の緩和剤になる、労働や社会生活で溜まったストレスを発散させる等それなりの効果があると思われます。但し、近頃は、人の趣味嗜好がかなり広がり、かつ細分化しているため、個性をもったものへの需要が多く、多様化しているというのが相場のようです。友人の大学教授が、学生とのコンパで最初の飲み物を注文する時「とりあえずビール」が通用せず、それぞれがそれぞれの拘りの飲み物を注文するため、それらが揃うまで時間が長く、「とりあえずビール」での乾杯が出来ずに、大いに盛り下がるという話を聞きました。それは学生のコンパに限ったことではなく、お笑いにも、今の世の中全般にも言えることかと思っています。

冒頭の句を詠んだお笑いコンピ「ピース」の又吉直樹さんと俳人の堀本裕樹さんが月刊「すばる」の「ササる俳句 笑う俳句」という企画で二年間に亘り対談形式で、又吉さんが堀本さんから俳句を初歩から教えて貰うという企画があり、その企画の終了後に纏められたものとして、今回の随想の題名とは逆の「芸人と俳人」という本があります。今回はこの本を取り上げてみたいと思っています。

又吉さんはお笑いコンビ「ピース」の一人であり、2015年には長編小説「火花」で芥川賞を受賞した作家でもあります。そして俳句に関しては幼いころから憧れを持ちながらも恐ろしいという印象を持ち続けていました。その訳は、短い言葉で森羅万象を詠むというあり得ないことを成し遂げる行為や表現形式の難しさにあったようです。一方堀本さんは東京に出て大学卒業後就職するも挫折して故郷に戻った後、フリーターのような立場で句会を持ち、雑誌の投稿から世に認められるようになって、角川春樹氏との出会いから俳句のプロとなった人です。共に大阪出身ということもあって対談は関西弁で語られています。又吉さんが37歳、堀本さんが43歳と年齢も生まれ育った環境も近いので、打てば響く会話が随所に見られます。そして何より又吉さんの知的な好奇心と慎重で熟考する性格から発せられる疑問や感想が、俳句初心者が俳句を理解する上での良き学習材料になっているように思いました。

対談は又吉さんの俳句に対する恐れを取り除くところからはじまります。もともと詩歌には興味を持っていた又吉さんは俳句に関して自由律の尾崎放哉の句に共感を覚え、自らも自由律の詩を書き溜めていました。二人の対談は、五七五の定型、季語、切字の意味や効果、それらが必要な理由などが語られ、又吉さんからの鋭い突っ込みや全く異なった発想に、堀本さんが感心する場面などがあって、ある程度俳句を知っていたつもりの私にも新鮮で心躍るポイントが多々ありました。季語の項では、又吉さんの本業の漫才やコントのルーツに当たる「万歳」が新年の季語であること、そこにはシテとワキがいて、それは今の漫才のボケとツッコミに他ならないことなどに気付き、又吉さんは更に俳句にのめり込んで行きます。

お二人の対談は俳句の基礎から俳句の技とも言える擬人法、直喩、隠喩、倒置法、遠近法などの技巧編を経て、先人の名句・佳句の鑑賞、特定の俳人の句集から二人別々に良いと思う句を選ぶ選句に進みます。そして又吉さんがもっとも恐れていた句会を持ち、最後は夏の鎌倉に吟行に行って嘱目吟をものするところで卒業となります。各対談の最後にお二人で一句を詠むのですが、又吉さんが詠んだ句を時系列で並べると次のようになります。放哉の影響からか、自由律の句をスタートとして徐々に有季定型の俳句らしい句に進化してゆく変化が見て取れます。

(対談)
銀ぎんなん杏をポッケに入れた報い
父の足裏に福笑いの目
石しゃぼんだま鹸玉飲んだから多分死ぬ
廃道も花火ひらいて瞬けり
激情や栞の如き夜這星
爪切りと消しゴム競う絵双六
朦朧と歓声を聞き浅蜊汁
(句会)
春光を吸ひし書物の軽さかな
春の月素振りの男児泣きにけり
壁に満つ淫猥な文字春夕焼け
静寂は爆音である花吹雪
(吟行)
春の蝶はははと笑ひ飛びにけり
苔光る老鶯の鳴く方へ行け

お笑い芸人の方々の見方というものがあり、例えば写真やポスターを見ると、そこに吹きだしを付けて、どんなセリフを言わせようかと考えるそうで、それは間違いなくお笑いのネタになるのだろうと思いました。この本の構成はお笑い芸人の又吉さんが俳句を学び俳句を好きになる過程として編まれていますが、私自身にとっても多くの気づきがありました。句会の項ではお二人の他に3人が加わる5人での開催になったため、5人全員が出句した6句全てについて選んだ理由、詠んだ背景を語り合っていました。それ故お互いの考えや感覚の違いが共有でき、俳句の理解や深さを理解し合えるようになるのだと思いましたし、今後是非取り組んでみたい方式であるとも思いました。また、俳句が俳諧の連歌として生まれた連句の発句であること、俳諧は俗であり可笑しさであることを思えば、俳人にとって芸人は決して遠くない存在であるようにも思いましたし、どの芸能や芸術にも言えることとして、「異なった登山口であっても頂上は同じ」という例えが当てはまるのではないかとも思っています。

本稿の最後は、俳人の冬男師が詠まれた、唯一の「芸人」が詠み込まれた新年の句をもって締めさせていただきます。

芸人のどこかかなしや松三日   冬男