俳句随想

髙尾秀四郎

第 48 回  ランドセル俳人の五・七・五


いじめられ行きたし行けぬ春の雨 凜

冒頭の句は平成29年1月の時点で15歳になる小林凜(本名、西村凜太郎)君が11歳の時に詠んだ句です。「行きたし」と思った行き先は小学校でした。当時凜君は学校で壮絶ないじめを受けていて不登校児となっていました。今回はランドセル俳人として朝日新聞にも取り上げられた小林凜君の俳句を中心に書こうと思います。

まずは小林凜君のプロフィールを簡単にご紹介します。小林凜君は大阪府岸和田市で平成13年(2001年)の5月に、予定より3ヶ月も早く、体重わずか944グラムでこの世に生を受けました。医師からも「命がもつか、三日間待ってください。」と言われた程であったとのこと。成長してもやはり体は小さく、小学校からいじめの標的になりました。そのひどさと学校側の無関心に対して親御さんのご判断で不登校に。今も不登校で自宅にて学びながら「不登校日記」というブログを綴っています。この凜君を逆境の中で支えたのが、祖母から手ほどきを受け、自らの思いを吐露し、やがてその句作が世に認められるに至った俳句でした。

このところいじめによって自殺に追い込まれた少年少女の記事が後を絶ちません。また幼児の虐待という痛ましい事件も数え切れません。いじめは一種の差別から生まれるものです。弱い者、能力が不足する者、卑小な者が対象となり、人種や宗教の違いなどもその原因となっていじめに至ります。学生の頃、部落研究会の顧問の教授から「差別をされるから差別する」という言葉を聞き、根の深さ、差別が社会に蔓延する潜在力の大きさを知りました。ご存知のように部落研究会の研究対象は部落民の差別問題です、部落民とは江戸時代にあった士農工商の身分制度の下に「穢多」「非人」と呼ばれ、住む場所も限定された最下層の人たちのことで、明治時代に「新平民」となった人々のことです。島崎藤村の「夜明け前」、住井すゑの「橋のない川」はこのことをテーマに書かれています。

部落問題は顕在化した差別ですが、潜在化した差別が「いじめ」と言えます。それだけに根が深く、陰湿な面があると思われます。大人の世界にも「いじめ」はあります。しかし大人の場合には被害者が大人ですので知識も判断力もあり、逃げ場や逃げる方法を探すことができます。しかし子供の世界に逃げ場はなく絶望的な状況に置かれているために悲惨です。

差別をなくすためには、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)「高貴さとは義務を伴う」に通じるような、強い者、優位にある者こそ、弱い者、劣位にある者を守る義務があると言う精神を持つこと、持たせることが、差別の連鎖とも言える悪循環を好循環に変え得る方策ではないかとは思うものの、容易なことではないと思っています。なぜならばそれは大人の世界の投影であり、格差社会ともいえる今の社会の長い格差の連鎖に根ざしているからです。凜君は自らのブログで、そんな社会を見透かしたように、いじめに遭っている子供たちへ「逃げろ!逃げることは卑怯なことではない、理不尽な世界からの勇気ある方向転換である。」と呼びかけています。

私事になりますが、一時期、中指のペンだこが空豆大になるほど勉強した時期がありました。その時確信したことの一つに、「最も身につく方法はサブノートを作ること」でした。つまり学んだこと、読んだことを自分の言葉と文字で書き直すことです。凜君は自己表現のツールとして自分の感性や感慨を俳句によって表現し、自分の姿を客観視することができるようになったのだと思います。また回りに母と祖父母という共感する人々がいて、やがて新聞の俳句欄という社会的に認知されるメディアで評価されたことで、ますます自信を深めたのではないでしょうか。

凜君の好きな俳人は小林一茶。幼稚園の年長の頃に出会った俳句がその後の辛いいじめという逆境の中での救いとなり、力となったようです。俳号「小林凜」の「小林」は一茶からいただいたとのこと。一茶の句の中でも「やせ蛙負けるな一茶これにあり」が一番好きなのだとか。

 「ランドセル俳人の五・七・五」という小冊子の中から命の叫びにも似た凜君の句を拾います。

ブーメラン返らず蝶になりにけり(10歳)

春の虫踏むなせっかく生きてきた(8歳)

雛納む朱き舞台に立つ日まで(10歳)

春嵐賢治のコートなびかせて(10歳)

いじめ受け土手の蒲公英一人つむ(11歳)

穴の主七年眠り夏の空(10歳)

かき氷含めば青き海となる(11歳)

ななかまど燃えたくなくて身を揺する(10歳)

蜩の日を沈めしが仕事かな(11歳)

乳歯抜けすうすう抜ける秋の風(9歳)

老犬の居たあとぬくし星月夜(11歳)

紅葉で神が染めたる天地かな(9歳)

肩並べ冬のアイスに匙ふたつ(10歳)

北風や水面の月のかき消され(10歳)

飼い犬のムンクの叫び寒空に(8歳)

雑煮膳一つ多きは亡き人に(10歳)

夕焼けやもう居ぬ祖父はどの雲に(11歳)

法事済み一人足りなき月見かな(11歳)

 この本の出版に当たって推薦の言葉を送られた聖路加病院の日野原重明先生が百歳になられた時に、当時10歳であった凜君が送った一句は「百歳は僕の10倍天高し」

本稿の最後は凜君の直近の「不登校日記」のブログの中の一句をもって締めくくりとします。そして陰ながら凜君の句作と戦いにエールを送りたいと思います。

冬の薔薇立ち向かうこと恐れずに(15歳)