俳句随想

髙尾秀四郎

第 34 回  日本の秋を詠む句

 

秋深き隣は何をする人ぞ    芭蕉

冒頭の句は松尾芭蕉が元禄7年(1694年)の9月28日、大阪に滞在したときに弟子の芝柏が主催した俳諧興業へ病気の為欠席することとなったため、発句として遣わしたものです。この句を「秋深し」で覚えられている人も多いと思いますが、「秋深き」と連体形で切っており、その次に来る体言が省略されています。ここには人の心、景色、音、天象等が入り、そのような秋深き◯◯の中で、隣人を思う句になっています。大阪の蕉門の興業に出席した人々に対して、こんな秋深くなった良い季節に何をしておられますか、という挨拶になっています。この俳諧興業は結局芭蕉の為に開こうとしたことから流会となり、芭蕉はその約二週間後の10月12日に大阪で逝去しました。芭蕉が詠んだ最後の発句ということになろうかと思います。

日本の秋こそが紅葉に映える美しい秋であると思っていました。しかしアメリカ東海岸のマンハッタン島を北上したNY郊外の晩秋に接し、日本の秋よりもスケールの大きな美しさがあると思いましたし、オーストラリアやニュージーランドの秋(北半球では春)もそうでした。たまたま冬に行ったカナダも、多分秋の紅葉は美しいのだと思います。しかし、やはり日本における秋は、そこに生まれて育った我々にとって、しっくり来るものであることは間違いないと思います。紅葉だけを採れば日本に勝る美しさであっても、そこには富士山はありませんし、焼き芋売りも通りません。日本酒や美味しい魚も望めません。

一方、生まれが九州の長崎で、東京で言うならば赤坂、六本木に匹敵する思案橋の付近で育った身にとって、農事のこと、畑や田のことは遠足でしか目にしない風景でした。それだけに、東京の郊外で、「神奈川県」町田市と揶揄される地は別世界でした。田植え、草取り、青田、青田風、実りの秋、稲刈り、稲架、脱穀、藁塚、農閑期等一連の稲作に関連する季語を、毎週末の散歩で目にすることができました。

 秋はまた、夜長であり、長き夜に語り合う季節でもあります。幼いころの記憶では、ご近所の貸家を営んでいる老人(多分80才にはなっておられた)を私の両親が夜ごとお招きし、お茶とお菓子でもてなしながら、四方山話を伺っていました。私はまだ小学校に上がる前の頃であったため、その夜のお菓子を買いに出かけるお役目を負っていました。買ってきたお菓子は必ず1個は残してくれたのでとても楽しみにしていたのを覚えています。その夜話の中には次のようなものもありました。

「昔ある町に大店を営んでいる男がいて、少し規模を縮小して気楽に暮らして見ようと思います。まず奉公人を半分に減らし、商いも縮小し、こじんまりした店にしてみます。するとそれなりに楽に回ります。男は味を占めて、さらに店の規模をその半分にします。そんなことを繰り返すうちに、奉公人が全ていなくなりました。店はそれでも何とか回っています。女房と二人になった男は、女房に、お前も自由になったらどうだと勧めてお暇を出します。そしてある朝、男は自らもまた旅に出て誰もいなくなった。」という話です。これは経済学の縮小均衡論に近いお話ですが、幼い頃、眠い目をこすりながらこんな話を聞いていたものです。当時の日本中の秋の夜は、ラジオを聴き、そんな夜話を語り合っていたのかと思います。

別の章で、英語の春を表すSpringは上下に弾むからと書きました。秋は英語でAutumnまたはFallです。木の葉が木から落ちるから秋をFallと呼ぶようです。これらの言葉からも分かるように、英語にはかなり擬音語、擬態語が多いように思います。ちなみに漢字で戦(いくさ)は戈(ほこ)を持ってなぎ倒す(単)という言葉から成りたっていますが、英語で戦争はWarです。敵と見方がワ~ッとぶつかり合うからWarなのです。ちょっと笑ってしまいそうです。大分本題から逸れました。ここで苗字を挙げずとも知れた著名な人々の秋の句を拾ってみます。

荒海や佐渡に横たふ天の川  芭蕉
うつくしや障子の穴の天の川  一茶
別るるや夢一筋の天の川  漱石
秋たつや素湯香しき施薬院  蕪村
もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭  虚子
秋寂びし苔踏ませじと門をとづ  秋桜子
鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな  犀星
初秋の蝗(いなご)つかめば柔かき  龍之介
ふるさとの土の底から鉦たたき  山頭火
石炭の尽きし山々紅葉せる  誓子
銀杏散るまつただ中に法科あり  青邨
みな大き袋を負へり雁渡る  三鬼
ますぐには飛びゆきがたし秋の蝶  青畝

最初の三句は天の川の句です。視点の違い、捉え方の違いが際立っています。次の五句は秋の文字を詠み込んでいます。それだけに、フェードアウトする季節感が詠まれています。残りの句はそれぞれの作者の生活や人生が秋の中で詠まれていることが手に取るように見えて来る説明の要らない名句です。

冬男師の句で私のお気に入りの秋の句もご紹介しておきます。

詩につまづき生につまづき西鶴忌
こほろぎひとつ胸の裂け目に居りて鳴きぬ
妻かなし噛みゆけばある梨の芯
霧匂ふことをかつては知らざりき
尼寺や散るも限りのある紅葉
きのふは京けふは東京の初紅葉
句の旅にほとけの姿入む身かな

今の住まいがある東京・町田は、転居の多かった我が人生の中で最長不倒を誇っています。生まれ故郷の長崎への思慕は消えませんが、四半世紀を超えて住むこの町は、知人も増え、もはや第二の故郷を超えつつあります。本稿をこの町の秋を詠んだ句で締めくくりたいと思います。

里神楽住めば都の土地に住み   秀四郎