俳句随想

髙尾秀四郎

第18回 新年の句

  目出度さも中位也おらが春   一茶

 冒頭の句は小林一茶が文政二年に執筆した「おらが春」の中の代表句であり、一茶が句作の中で最も充実した時期の句のようです。この句と照応する句に「ともかくもあなたまかせの年の暮」があります。一茶は宝暦十三年(一七六三年)信濃北部の北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)の中農の長男として生を受け、二十五歳のとき小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学び、江戸で宗匠となって多くの俳句を詠みました。また五十歳からは故郷の信州柏原に戻り、六十四年半の生涯を閉じています。法名は釈一茶不退位。 俳号「一茶」の由来は、『寛政三年紀行』の巻頭で「西にうろたへ、東にさすらい住の狂人有。旦には上総に喰ひ、夕にハ武蔵にやどりて、しら波のよるべをしらず、たつ泡のきえやすき物から、名を一茶房といふ。」と一茶自身が記しています。 一茶の作った句の数は約二万句と言われ、芭蕉の約千句、蕪村の約三千句に比べ非常に多作であったことも一茶の特徴の一つです。幼少期に母親を亡くした家庭環境から、義母との間の精神的軋轢を発想の源とした自虐的な句風をはじめとして、風土と共に生きる農民的な視点と平易かつ素朴な語の運びに基づく句作が多い俳人と言われています。

 今回は冒頭の句の「おらが春」の季語が属する「新年」の句を取り上げようと思います。本俳句随想の別章にて、日本人の新年に関する発想は「ゼロクリア」と書きました。大晦日から一夜明けた元旦をスタートとする「お正月」は新たな年であり、過去を一旦洗い流し、まっさらの状態から始まると日本人は考えます。誰もが新たな年を迎え得た幸せと、訪れた新たな年における幸せを祈り、お参りに出かけたり、互いの無事と誼を伝え合う挨拶回りに出かけたりします。幸せになりたい、幸せになるように仲良くしようという思いの表れであります。そんな正月に、一茶は「めでたさも中位なり」と言いなしています。この物言いは、「そんなに幸せではない」、とも「幸せではあるものの、それが程々なものに過ぎない」とも、「幸せは中位なのだが、それで良いのだ」とも受け止められます。しかし一茶の年代記を読むと、その頃、何人もの子供を幼くして亡くしているので、「そんなに幸せではない」と詠んだ可能性もあります。いずれにしても中くらいの幸せの中に一茶はいたのでしょう。 翻って自分の今の幸せはと思うと、やはり中くらいではなかろうかと思います。そんな思考を巡らせていると、そもそも幸せとは何なのだろうか、という問いに行き当たります。人類の歴史の中で、このテーマ「幸福とは?」ほど多く議論されたテーマは他にないと思います。そして、その解は未だに出ていないという意味でも、余りにも汎用であり、また余りにも正解や結論の出にくいテーマのように思います。

 ここで、幸福論の代名詞、アランの幸福論を少し繙いてみます。アランはフランスの理性主義者で徳の第一位に「意思」を置き、幸福を平静超脱の状況として、その幸福を自らの行動によって得ようという意思を持つべきと説いています。彼の言葉を借りれば「小さな子供がはじめて笑うとき、幸福だから笑うのではなく、笑うから幸福なのだ」「幸福になろうと望まないならば、幸福になることは不可能」そして「われわれが自分を愛してくれる人たちのためになしうる最善のことは、やはり自分が幸福になること」と明言しています。そして、私は、決してアランの幸福論を茶化すつもりではないのですが、彼の幸福論を一言で言い表すならば、「幸せは歩いて来ない、だから歩いてゆくんだね…」であろうと思うのです。そう、かつて一世を風靡した流行歌「三百六十五歩のマーチ」の一節です。話は少し逸れますが、万人に支持される詩歌や散文には、そこに骨太の真理が含まれているように思います。そのような観点から、新年の句をいくつか拾ってみます。

  決意とは繰返すもの大旦   尾熊靖子

  靴大き若き賀客の来て居たり   能村登四郎

  年酒して負けトランプの父や佳し   小山田抒雨

  賀状うづたかしかのひとよりは来ず   桂 信子

  初夢や金も拾はず死にもせず   夏目漱石

  初場所や行司にもある初土俵   鈴木榮子

  写し手の飛び込んで来る初写真   田中佐和子

 宇咲冬男先生の新年の句は、今回、自注現代俳句シリーズⅤ期 宇咲冬男集から抽出しました。いずれも一九六四年から一九七五年にかけての作品です。

  年明けてなおもどこかに記者の癖

  ペン先の渇きてゐたる四日かな

  俳誌の名「あした」と定め年立ちぬ

  大いなる時の白さや鏡餅

  無駄多く生きて賀状の嵩高し

 本稿の最後に掲げる新年の句は私の作句一覧表によれば二〇〇二年の新春句会に出したもののようです。その頃、この句の表現する境地には達していなかったように思います。従って、虚の句に近かったかも知れません。しかし今読み返してみると、正に今の心境であり、この句が我が手のひらに乗り、身に添うた思いがあります。芭蕉が嘱目で詠んだ句をその後何度も何度も手直ししているように、時間の経過と心境の変化によって見直しが必要になったり、句の意味に改めて納得したりすることはあるのだと、つくづく思います。そして、この句のように、正月は、やはり幸せを祈り、そのための抱負を語り、また「去年今年」という季語にあるように、来し方行く末を思う時候のようです。

  初笑いやがてはほのと泣く齢   秀四郎