俳句随想

髙尾秀四郎

第15回 俳縁について

人の世は花ある刻と果つる時 篠原弘脩

 冒頭の句は、本年三月二十二日に他界いたしました、岳父、篠原弘脩氏の句です。今回は、俳縁というテーマで書かせていただこうと思っておりますので、かなり私的な内容になりますことをご容赦ください。

 「縁という言葉が好きです。」と本随想の過去の稿で書きました。そのきっかけが俳句であれば「俳句の縁」です。もう俳句を始めて二十年以上が経ち、この間、俳句及び連句を通じて様々な出会いがありました。

 この俳縁の起点は、間違いなく、冒頭の句の作者である岳父、篠原弘脩氏との出会いであると思っています。私の現在の婚姻は再婚であり、最初の結婚で結ばれた相手は、二十六年前に乳がんで、2歳半の娘を残してあの世へ旅立ちました。その後、ある人の紹介で参加した千人規模の大夜会の隣に座った縁で家内と知り合い、再婚することとなりました。ちなみに彼女の向こう隣に座っていた人物は「千の風になって」を作詞作曲した芥川賞作家の新井満氏で、お互いにタキシードを着ての参加が求められた会であったため、「どこで着替えて来たんですか?」と尋ねると、当時電通の社員であった新井氏は、「自宅からこの格好で京浜東北線に乗って来ましたよ」とのこと。彼女と三人で大笑いしたことを覚えています。そうして知り合ってから約半年で再婚しました。篠原弘脩氏は彼女の父親に当たります。再婚後、彼女の子供二人と私の子供一人の合計五人は、抽選で当たった光が丘の公団の新築分譲マンションに居を構え、新しい生活をスタートさせました。新しいスタートに当たって差し上げた挨拶状には、こんな文章を綴ったように記憶しています。「…この結婚で、父を欲しがっていた娘二人と母を求めていた娘一人が一緒に暮らすこととなります。ささやかでも明るく楽しい家庭を築きたいと思っております。…」

 当時の私は会計士業界から、伸び盛りのIT企業の管理本部長に転じていたため、「超」の付く忙しさの中にあり、健康に気遣うことなどありませんでした。そしてついに胆嚢炎に掛かり、生まれて初めての病気療養を強いられることになります。そんな中、考え方や生き方を変えてみようと思うようになり、その一つとして俳句を始めることにしました。すでに弘脩氏が会員となっていたあしたの会を紹介され、当時、池袋で開催されていた月例の本部句会に参加するようになりました。今の句会でもそうですが、句会の後は反省という名目も含めて酒を酌み交わす会がありました。5、6名の仲間が常に集まり俳句談義に花を咲かせ、帰宅時には同じ小田急線を利用する山元志津香さん(現、「八千草俳句会」主宰)としばしばご一緒させていただきました。当初は、自分の作りたての句を取り出し、ご批判をいただく場面もあり、とても親切に教えていただいたことを覚えています。

 当時、私の句は一般選でもほとんど選ばれず、冬男主宰選でも予選が精一杯の状態で、ほとほと情けなく、どうすれば選ばれるのかと真剣に考えてもいました。それもそのはず、当時の句を見ると、「季重ね」「切れなし」「字余り」と酷い句を量産していました。その後、公私共に紆余曲折を繰り返す中で、俳句は自らを客観的に見つめる手立てにもなったと思っています。その頃のことをふり返ると、宇咲冬男先生、現在俳句同人誌あしたの会員であられる皆さんの他、福田太ろをさん、成田淑美さん、阿部朝子さん、桒田多田男さん、谷田男児さん、新井秋芳さん、須賀金男さん等など様々な方々と知己を得ました。また私よりも若干後に入られて、特に連句に力を入れておられ、瞬く間に捌き手になられた臼杵游児さん(現、連句協会会長)は、二次会の常連でもありました。

 話を岳父、篠原弘脩氏に戻し、しばし思 い出話をさせていただきます。

 俳句を通じた旅の思い出は、国民文化祭(広島、大分、群馬等)、あしたの会の日帰り吟行や一泊吟行などで様々な地に同行しましたが、中でもドイツにおける句碑建立と北欧の旅は思い出深い旅となりました。訪問先はドイツの他、スウェーデンとノルウェーで。スウェーデンには当時、日本のスウェーデン大使館に勤務し、丁度帰国してストックホルムに住んでいた友人夫妻がいましたので、かの地での滞在の一夜、団体行動から離れ、弘脩氏と一緒に彼らの新居である市内のアパートメントを訪問し、夕食を共にしました。日本贔屓の彼らの部屋の一角には日本の畳が敷かれ、書が掲げられて、着物をオブジェにしたコーナーがあり、海賊の酒、「アクワビット」を、海賊の歌を歌いながら四人で何度乾杯したことでしょう。実に愉快な夜でした。

 弘脩氏は、経歴を見ても、決して世渡りの上手い人ではなかったように思います。それだけに迎合しない芯の強さを持った人でした。また自己表現に長けた人でもありませんでしたので、少ない言動には誠意がこもっていました。

 弘脩氏の卒寿と私の還暦を祝う会を平成二十一年二月に家内と娘達が開いてくれました。その時に、急遽、弘脩氏の卒寿を記念して編集した手作りの句集「草笛」から十句を抽きます。あしたの会で同行した方々の記憶にもあろうかと思いますが、北欧や敦煌への旅の句も含まれています。

ありし日の昭和争乱梅雨しとど
青時雨つまずきし身をふり返る
白夜尽きず奇なる言葉のウムラウト
大夕焼十万億土覗き見ん
玖瑰や香ばしき海抱きとめ
夜の秋や亡友に酒盃の長恨歌
窓叩く野分や何を世に問うて
荒るるなら底の底から冬の海
宇宙抱く天山巡る雪解水
天を突くポプラ穂先にゴビの春

 亡くなる一日前の病院で握った手は、かつてそう励ましてくれたように「秀さん、頑張れよ」と語るかのようでした。当初「寒き春」の季語で詠んだ故人への悼句は、やはり「涅槃西風」こそが相応しいと思い直し、次のように直しました。この句をもって俳縁の起点となり今日に繋げてくれた故人への悼句としたいと思います。

涅槃西風俳縁空の彼方まで 秀四郎