俳句随想

髙尾秀四郎

第 102回  俳句における私の『守破離』

1.守破離とは

芸道の基本として世阿弥が著した「風姿花伝」の中の「序破急」を下敷きに、千利休が、その後残した言葉が「守破離」という考えの大元と言われます。「守」は、師匠や先達の技をひたすら真似ること。そもそも「学ぶ」の語源が「まねぶ」であるので至極当然のことです。真似て学んで基本をマスターした後は、それを打「破」して一歩先に進み、自分なりの工夫をします。そしてそれが成功して初めて師匠や先達とは異なった、自分なりのオリジナリティを築くことができ、「離」が出来る、という学びのステップです。 芭蕉の句をこの「守」「破」「離」というステップに分類すると、この「守」の時期に文字通り「まねる」という意味で、和漢の古典からの引用や本歌取りが多く見受けられます。その後の芭蕉は、芭蕉七部集の「冬の日」「春の日」「阿羅野」さらに「猿蓑」に至って蕉風を確立し、さらに「軽み」の新風を唱導するに至りますが、この過程は正に守破離のステップであったように思います。

2.自らの体験から

自らの体験から申し上げれば、40歳にして働き過ぎから胆嚢炎を発症し、入院して手術を受けることとなり、仕事を離れることとなりました。その頃管理本部長という立場にあって、自分がいなければ会社は回らないというほどの自負があったのですが、休んでみると予想に反し、会社は何とか回っていたのでした。そんなことから仕事一筋の生活に疑問を持ち、何か仕事以外のこともやってみようと考えていた時、家内の父親(岳父)から自分の所属する俳句結社に誘われて入会したのが俳句との出会いとなります。そこから句会においての悪戦苦闘が始まります。句会に出された句は主宰者により予選、入選、秀逸、特選と選別されますが、私の句は最も低い評価の予選にすら入らない状況で、ほとほと俳句の才能の無さに落ち込む日々が続きました。それもそのはず、「季重ね」「季違い」、「二段切れ」「三段切れ」「切れ字なし」等箸にも棒にもかからない句を量産していました。そこから、先輩諸氏の句、入選以上に選ばれた句と自ら詠んだ句との違いを確認したり、入門書を読んだりの試行錯誤を行い、徐々に予選、入選そして時には秀逸の評をいただくようになりました。そうして自分が感じたこと、詠みたい事象、句にしてみたい季語を選んで自分らしさが出る句を詠めるようになり、句作が俄然面白くなってきました。私が入会した会のスローガンは「抒情から象徴の高みに」であり、抒情句や象徴性の高い句を良しとしていました。それはまた自らが共感することでもあったので、その精神を汲んだ句を作るよう努力し、主宰の評の中で「象徴性の高い句である」との評価をいただくようにもなりました。

しかし毎月の同人作品の出句の際にすべてが抒情句というのは、必ずしも自らの句として出したいと思うものではありませんでした。時には叙景句や俳諧味のある句、時事句も詠みたいと思いました。それは正に自らの生活や生き生き方の反映でもあるからです。

3.型があっての「型破り」

TVで俳句を取り上げ、芸能人の詠んだ句を評して順位付けする番組があります。先生の添削で句が生き生きと蘇る様を見るのは大変面白く勉強にもなります。しかしその中で破調の句があたかも上級者の句のように扱われている点についてはいささか疑問を感じています。

また私が「俳句同人誌あした」のホームページの中で開いている「ネット俳句会」には毎回100句近い数の投句があります。この中で『この句は三段切れです。』という指摘をしたところ、『阿波野青畝の句に三段切れの句があります。自分の句の三段切れはダメで、阿波野青畝の句が良いのは何故でしょうか?』という主旨の質問がありました。この質問への私の回答は大要次のようなものでした。『今回引用された青畝の句に限らずルール違反の名句は沢山あります。「降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男」(二段切れ)「目には青葉山ホトトギス初鰹 素堂」(季語3つで三段切れ)彼らはその違反を知った上で、敢えてルールを犯しています。それでも良い句になると確信していたのでしょう。しかし初心者は、まずルールを守った作句を重ね、やがてそれを打ち破る冒険をすべきです。「守破離」の精神です。当ネット句会は基本的に初心者の方が多い句会という認識の下、ルール違反を認めておりません。その方がその後の成長につながると思うからです。ご了解のほどよろしくお願いいたします。』

4.私にとっての守破離

私は「守破離」とは俳句、連句、短歌、川柳、狂歌、等の文芸やお茶、書道、舞踊や武道に至る習い事における学びのステップとして辿るべき道であると思うと同時に、それらはひとつづつ昇ってゆき、新たに立つステージではなく、あくまでもステップであり、その道を究めたという人にあってもなお、「守」や「破」は行われていて作品の中にはそのどれもが在って良いものではないかと思っています。多分守破離の「離」の段階を経験したと思えた頃に出した自分の句集を見ると、そこには守の句、破の句、離の句があり、私の結社のスローガンで言うならば、抒情の句も象徴句もありますが、一方で叙景の句、時事句、俳諧味のある句も含まれています。もしも全てが抒情句または象徴句であるとしたら、きっと独りよがりの理解されにくい句集になるでしょうし、作者の生活や考え、生き方、趣向などが窺える句集にはならないと思います。

そもそも俳句が連歌の大衆化によって生まれた「俳諧の連歌」として誕生した「連句」の発句から独立した文芸であることを考えれば、そのDNAには間違いなく俳諧が含まれているはずであり、俳諧味のある句も詠んで然るべきと思いますし、時には感動した景の句も詠みたいと思います。つまり目指すものが抒情句、象徴句であるとしても、全てがそうでなければならないのではなく、叙景句も俳諧味のある句も詠んで良いと思います。守破離は確かに学び方のステップとして分かりやすい説明ですが、守から破、破から離と階段を上がって行き、離の段に立ち尽くすのではなく、時には戻って破の段や新たな守の段で考え直したり、新たな学びをすることもまた必要なのではないかと思います。そして、自分は何か、何を求めて何処に行こうとしているのかを句という小さな器に乗せて詠むのが俳句の醍醐味であり楽しさなのではないかと思います。そのような状況を「離」と呼んでも良いのかも知れませんが、むしろ、「自分らしい句を詠めるようになった状況」、と呼ぶ方が、私にとっては納得できますし腹落ちいたします。