俳句随想
髙尾秀四郎
第 101回 「ライトハイク」という文芸
秋の夜の「ライトハイク」の小さき旅 秀四郎
先日、日本連句協会のホームページの「お問い合わせ」に、一般社団法人ライトハイク協会の代表者からイベントへのお誘いのメールが届いていました。どんな団体なのかと、そのURLを覗いたところ、なかなかお洒落なWEBサイトで、落語家の林家たい平師匠が理事として、ご自分がライトハイクに興味をもったきっかけ等が写真入りで掲載されていました。代表者の出身地である愛媛県今治市の市長からのメッセージや、地元企業の協賛、後援として関連する企業や団体の名前も掲載されていました。そして「ライトハイク」の説明として次のように述べられていました。『季語や定型(5・7・5)等のルールはない自由詩。上下語数を揃えた二行詩がライトハイクです。並行する上の句と下の句という、異質のものがひとつになる「和」を表現する詩です。人の心をくすぐる「俳(HAI)」を掲げ、会話形式で言葉を結ぶライトハイクは、世界中の誰もが気軽に参加できる短詩系文芸です。』
そしてイベントとして銀座の無印良品館6階の特設会場で第二回「結ぶ言葉 ライトハイク」を開催するという案内も載っていました。そこでネットから申込をし、当日参加することとしました。
当日、会場である銀座の無印良品館6階に。行くと、フロアの端にスクリーンと椅子を並べただけの小さなコーナーがありました。司会役が協会の代表者でゲストは英語・バイリンガル落語パフォーマーの流水亭はなびという女性の落語家でした。ルールは出されたお題と同じ文字数を守ること。制限時間は5分と設定されていて、ほどほどと言うより少し長いようにも感じられました。全体で1時間半の中、前半は単発の題で3題、後半は「三つ編」という形式で3題が出されました。
俳句は自分のみで目に触れたもの皮膚で感じ、耳で拾った音に対して感じたことを季語という中心的な言葉を軸にして5、7、5の定型の枠の中に言葉を入れていきますが、このライトハイクは音数の制限ではなく、文字数の制限のため、漢字かな英語、数字、句読点も使えるので、俳句よりもかなり詠みやすいと言えそうです。このライトハイクの面白さの原点はお題に付けるという点にあると思われます。誰かがお題を出し、その意を汲みながら付けるということで別の人の作った世界を自分のものとして引き寄せながら詠めるという一種のコラボレーション、共鳴、共感、シナジーの妙があるように思いました。
前半3題の一つに「銀座でひとつ」という流行歌の一節のような言葉が出されました。この6文字の題に対して、「出会いは無限」「二人の世界」「どんぐり拾う」等が出てきました。これら参加者からの付けに対して、同じ題をAIに聞いた結果は「心が和む場所」「大人の時間よ」「街が輝いてる」等で余りに常識的であり、やはり人間の方に軍配が上がるようです。
後半の「三つ編」はお題に対する付けの中から主催者が選んだ作品を新たなお題として次を付けるという方法で3句付けて、最初のお題を含めて4つの連続性のある言葉とするものでした。その結果、次のような言葉が並びました。
素のままで出かけよう
家族になった君と一緒
宇宙人に会いに行こう
月がきれいな夜だから
最初のお題は、場所を提供していただいている無印良品の商品のキャッチとのこと、最後は、この4行をベースに流水亭はなびさんが即興で小話にまとめてお開きとなりました。冒頭の一句は、この会の帰りに浮かんだ句です。聞くところによると「ライトハイク」の名称は最初「ライト俳句」であったそうですが、途中から「俳句」をカタカナ表記に変えたそうです。やはり「俳句」と漢字書きにすると、これが俳句だろうかという疑問が湧き、有季定型の俳句とは明らかに異なることから、漢字の「俳句」の使用を取りやめにしたとのことでした。つまり「ライトハイク」は新たな詩の文芸と言えます。お題に対して様々な人が様々な付けをすること、それを互いに見ることができることから、人の多様性、視点の違い、言葉の面白さ、不思議さを感じることができるという面白さや楽しさがあります。言葉を付けることで、自らの中に眠っていた言葉が蘇り、引き出されるという快感も味わえます。
和歌の始まりは、スサノオノミコトが詠んだとされる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣つくるその八重垣を」という歌と伝えられていますが、その後、和歌を連ねた連歌が生まれ、その大衆化したものが「俳諧の連歌」であり、それを江戸期に至って「連句」として芸術の高みにまで昇華させたのが芭蕉でした。その連句の平句からは川柳や狂歌も派生しています。明治期に入ってその連句の発句を「俳句」として独立させたのが正岡子規でした。そしていま新たな文芸として創られたのが「ライトハイク」と言えます。
この文芸に対する小中高の生徒の感想を見ると「字数のみで制約が少なく、想像以上にハードルが低く十分に楽しめた。」「新しくて簡単で作りやすかった。」「俳句を作るのは苦手だけどライトハイクのおかげで作るのが楽しくなった。」等の声が紹介されていました。この小中高の生徒の声にもあるように、ライトハイクの最大の強みは入りやすさ、読みやすさにあると思われます。そしてこの文芸の面白さに目覚めた人はやがて、独立した自分の作品と呼べる俳句や川柳に移行する可能性が大であり、またお題に付けるという面白さから、前句に付けて詠み進む連句へ移行する可能性もまた大であろうと思われます。つまり、このライトハイクという文芸は、詩文芸の世界への入り口、一種のエントリーモデルになり得ると思われます。従って、この文芸と俳句や連句は協力し合うことで、人々を詩文の世界に誘うことができるのではないかと思いました。
個人的には、手軽で便利な乗り物として自転車に乗るように、文字を書く時には簡単に消すことができて書きやすい鉛筆を用いるように、やはり俳句という表現形式が自分には一番合っていると思いますし、気の合った仲間が集まれば、連句を巻きたいと思います。しかし一方で、時に俳句の有季定型や連句の式目から離れて自由な発想で決められた文字数の中でお題を睨んだ自分の世界を紡ぎ出すのも悪くないと思った次第です。
