俳句随想

髙尾秀四郎

第6回 代表句


海に出て木枯らし帰るところなし 誓子

 昭和十九年に発表された山口誓子の句です。無謀とも言える戦争に突き進んだ日本。敗色が深まり、報国という美名のもと「海ゆかば」の捨石として若い命が海に散る作戦が敢行され、一方では言論統制厳しき頃の句です。真実を語ることのできない苦しさ、無力感、絶望感を抱いていた人々に対して、俳人の精一杯の惜辞として、この句は多くの共感を得たようです。

 名句と呼ばれる句は一気に読み下すことができます。何の抵抗もなく、心の一番奥深い場所に到達します。そしてやはり時代を背負ってもいると思います。今読んでも素晴らしいと思えるこの句を、もし昭和十九年の日本で目にしたとするならば、きっと総毛立つような共感を覚えたことでしょう。この句は山口誓子の代表作といわれています。

 俳句を生業とする人はもちろん、俳句を人生の友とする人であれば誰でも、代表句と呼ぶにふさわしい句があるものと思います。芭蕉であれば「古池や」の句であり、宇咲冬男先生の句であれば「大虹」の句などが該当するでしょう。もっとも私は先生の句の中では、句碑にはなっていませんが、「梨の芯」の句を推したいと思っています。「句碑にはなっていない句」というよりも「句碑にすべきではない句」ではないかと思っています。余談ですが、そもそも句碑は、ある意味で、「据えられた場所と心中するような句」であるだけに、その場所と不可分な句である方が望ましいのではないかと思います。それだけに心象句や象徴句は句碑になりにくいのではないかとも思っています。私個人としては、句碑となった「大虹」の句よりも、ならなかった「梨の芯」の句をもって冬男先生の代表句と考えたいと思っています。何故ならば、この句が不易であり流行、時代を背負った句であり、人間宇咲冬男が見える句と思えるからです。話が逸れました。代表句に戻ります。

 代表句に関して、自分自身の代表句を考える時、それは自他共に認めるものでありたいと思うのは当然かと思います。しかし、句会でしばしば経験するように、自らが自信満々で出した句が惨敗し、軽い気持ちで出した句が入選や秀逸に選ばれることがしばしばあります。自分の評価と他からの評価のギャップは思いのほか大きいということでしょう。

 かつて企業で管理者研修を受けた際に、自分の部下からの評価について、自分の想定する部下からの評価を書いたシートと、実際の部下からの声が書かれたシートを突合せるというセッションがありました。そしてその場において多くの管理者が、その差の大きさに愕然としていました。「自分としては精一杯頑張って、部下のことを思って指導しているのに」「ここまで酷評されるとは…」等など、そのセッションでの管理者各位の表情は驚きと落胆と絶句に満ちていました。つまり、自己評価と他人からの評価はかくも大きく異なるということです。その主な理由は、自己評価の方では自己の思い込み、思い入れが余りにも強すぎるということかと思います。言い換えれば自己を客観的に見てはいないということです。このことはそのまま自分の句に対する評価にもつながるように思いますし、句会における出句の意外な成績につながります。句会では句作の良否もさることながら、選句眼の良否がより重視されるという方向は、この点を睨んでのことと思います。その意味で、自他共に認める代表句が出来るのは、俳句を始めて、この選句眼が培われた後ということになりそうです。

もう一点。代表句の生まれる過程について言及するならば、そこには何か自分の力のみとはとても思えない、別の力が働いているのではないかと思われる節があるように思えてなりません。世に「天恵」とか「天啓」と呼ばれる言葉がありますが、名句には必ず天恵や天啓があると思っています。詠んだのは自分ですが、あたかも頭の後ろから囁かれたような、突然見えない誰かが脳裏に吹き込んだようなフレーズが生まれることがありますし、背中をポンと押されて、ためらっていた表現の壁をひょいと越えた感覚をもったこともありました。皆さんも句会の席で特選や秀逸に選ばれた句について、「いやはやそこまでは自分でも考えておりませんでした」と言いたくなるような過分なる賞賛の評をいただいたことはないでしょうか。そんな時の句は推敲に推敲を重ね、舌頭千遍を繰り返した句であったでしょうか。意外とすんなり詠んだ句ではなかったでしょうか。但し、単なる偶然だけで名句が生まれることもまたないと思っています。偶然が重なったことは否めないとしても、その前に散々句作で呻吟し、一見無駄と思われる時間を相当な期間過ごされた後ではなかったでしょうか。私は良い句が出来た時、そんな苦労を見かねて神様が力を下さったと考えることにしています。

 何事にも言えることですが、作句にもやはり一つのピークがあると思います。作句のピークに創作された句が代表句になるのだと思います。同様に、人の一生の中にも様々なピークがあるように思います。体力、知力、財力等など様々な領域でピークがあります。但し、ここに挙げた体力、知力、財力等を含め、それらはある程度客観的に数値で表現できます。しかし数値では測ることのできないものもあります。その一つは、他ならぬ「幸せ」です。アランの幸福論を持ち出すまでもなく、幸福は自らの考え方によって大きく変わりますが、それを測る術はありそうであってないものです。

 遠い昔に観たアメリカの映画「追憶」にこの幸福について考えさせられた興味深いシーンがありました。そのシーンに至る粗筋は、大学の同級生で、生まれも育ちも性格もまるで違う二人が、卒業してかなり時が過ぎた後の同窓会で出会います。男性を演じたのはロバート・レッドフォードで女性はバーブラ・ストライサンドでした。彼は海軍の士官になっていて、女性はハリウッドの映画人という設定であったと思います。出合った二人は互いに想像もしなかった変貌を遂げた相手に惹かれ合い恋に落ちます。しかしやがて戦後のアメリカを襲ったレッドパージをきっかけに、ハリウッドを追われた彼女は、私的な面でも破局を迎えることとなります。私が思い出すワンシーンはその直後のシーンになります。ロバート・レッドフォード扮する主人公は大学のクラブの仲間と湖でボートに乗っています。その前までの陰鬱で悲しげなシーンとは打って変わって、光に満ちた場面には夏服を着た二人が輝いて見えます。どちらからかこんな質問が出ます。「お前にとって最高の年、最高の月、最高の日はいつだった?」その回答は大学のアメリカンフットボールリーグでのリーグ優勝した年等、青春時代のエポックでした。

 そんなシーンを観ながら、ふと、自分にとって最高の年、月、日はいつだったのだろうか、それをこれから越えることはできるのだろうかと。 そして今、この思考法で、今の自分にとっての最高の句、代表句と呼べる句はどれだろうかと、思うことがあります。

 「一年の計は元旦にあり」と言います。年の初めに、自らの最高の年、月、日を思い浮かべ、それをいかに超えるか、超えないまでも、いかにこれからのよすがとするか、を考えると共に、俳句についても、現時点での「私の代表句」を思い浮かべながら、いかにそれを超える句を生み出すかを考えてみるのも悪くないと思います。今年が皆様にとって最高の句を作る年になりますように!

 初旅のあしたに詠まん代表句 秀四郎